第3章 人間の姿で、君は
朝の光が、カーテンの隙間から差し込んでいた。楓はキッチンでコーヒーを淹れながら、ふと肩を見た。
焔は今日も小型の狐姿で、肩に乗って静かに座っている。
赤い瞳が、楓の横顔をじっと見つめていた。
「今日も仕事か」焔の声はいつもより柔らかく聞こえた。楓はカップを手に、頷いた。
「うん。締め切りが近い依頼があって……
でも、昨夜描いた絵の続きを、少しだけ進めたい」
焔の尻尾が、ぴょんと動いた。
「それは、いいことだ。
お前の心に、色が増えている証拠」
楓はデスクに向かい、ペンタブを起動した。
昨夜の白狐のイラストが、画面に表示される。
まだ未完成の部分に、ゆっくり線を加えていく。焔は肩から飛び降り、デスクの端に座った。
そして、突然――体が淡い光に包まれた。光が収まると、そこにいたのは人間の姿の焔だった。銀色の長い髪。赤い瞳はそのまま。
白い着物のようなシンプルな衣装に、九尾の尾が背後で優しく揺れている。
整った顔立ちで、どこか儚げな美青年。楓は手を止めて、息を飲んだ。
「……焔?」焔は静かに微笑んだ。
人間の声は、低く穏やかだった。
「この姿の方が、話しやすいだろう?
お前のそばにいるなら、こちらの方が自然だ」
楓は頰が熱くなるのを感じた。
こんなに近くで、こんな姿を見たのは初めてだ。
「きれい……」思わず漏れた言葉に、焔は少し目を細めた。
「人間の言葉で褒められるのは、悪くない」焔は椅子を引き、楓の隣に座った。
画面を覗き込み、静かに言った。
「ここ……もう少し赤を強くしてもいい。
お前の心が感じた、俺の瞳の色を」
楓は頷き、ブラシを調整した。
焔の赤い瞳を、キャンバスに再現していく。
指が自然に動く。
少しずつ、絵が生き生きとしてきた。作業中、焔はほとんど言葉を発さなかった。
ただ、そばにいてくれる。
その存在が、部屋の空気を優しく変えていく。30分後、楓はペンを置いた。
「……できた。
今日は、ここまで」焔は絵を見つめ、静かに頷いた。
「いい色だ。
お前の心に、俺が灯した灯火が、ちゃんと映っている」
楓は焔を見た。
人間の姿の彼は、赤い瞳がより深く、優しく見える。
「焔……ありがとう。
そばにいてくれるだけで、描けるようになった」
焔は少し照れたように目を逸らした。
「礼など、要らんと言ったはずだ。
だが……お前が笑う顔を見るのは、悪くない」
楓は小さく微笑んだ。
胸の奥が、また少し温かくなった。
「これからも、そばにいてくれる?」
焔は赤い瞳を楓に向け、静かに答えた。
「約束だ。
お前の空白が埋まるまで……いや、埋まった後も」
窓の外で、朝の陽光が優しく部屋を照らした。
二人の影が、静かに重なる。空白のキャンバスに、二人分の色が、少しずつ増えていく。




