■第10章「消失」:二話(接続できない)
高島の画面には、ログイン済みのはずの自分がいた。
通知が出てから二度目の再認証でも、「接続中」のまま動かなかった。
回線の問題ではない。
自宅のWi-Fiは安定している。
スマートフォンの回線でも同じだった。
回線が悪いなら、エラーは乱れる。
乱れないということは、整えられている。
更新通知を開く。
件名は短い。
「アカウント情報の更新について」
本文は丁寧だった。
「確認のため、再認証をお願いします」
確認という言葉は、否定ではない。
否定ではないから、怒りの置き場がない。
再認証の画面に進む。
パスワードを入れる。
二段階認証の番号を入れる。
完了、の表示が出る。
その直後に、また「接続中」に戻る。
接続中は、保留に似ている。
保留は拒否ではない。
拒否ではないから、抗議できない。
抗議できないものほど長く残る。
学内ポータルを開き直した。
講義の担当者欄は、相変わらず未定だった。
研究者ページは、相変わらず準備中だった。
閲覧できないのではない。
閲覧する必要がない側に、自分が移された。
そう感じた。
感じた理由を、すぐ言葉にできた。
言葉にできることが、怖い。
図書館データベースに接続する。
島の関連が出る古い紀要。
戦時期の港湾記録。
海域調査の抜けた報告書。
論文の断片が、机の上で繋がりかけていた。
検索窓にキーワードを入れる。
検索。
結果が出る。
タイトルが並ぶ。
だが、PDFのリンクを押すと白い画面になる。
「このページは表示できません」
その文言は優しかった。
責める調子がない。
優しい文言ほど、人は自分を疑う。
別の端末で試す。
同じだった。
学外からのアクセス権限の問題かもしれない。
そう思い、学内VPNに接続しようとする。
接続は完了、と出る。
完了したまま、ページは表示できない。
高島は、机の上の紙を揃えた。
揃えることで、問い合わせる代わりを作ってしまう。
揃えてから、画面を見る。
揃えても、表示は戻らない。
戻らないのに、手だけは揃える。
揃える癖が、手続きに似てきている。
問い合わせをしようと思った。
思っただけだった。
ヘルプデスクのページはある。
問い合わせフォームもある。
送信ボタンの直前で、ログインを求められる。
ログインをすると「接続中」に戻る。
問い合わせるために接続が必要で、接続のために問い合わせが必要だった。
これは迷路ではない。
迷路なら、出口が存在する。
ここは、出口の概念が外されている。
連絡先を探した。
宛先欄に「教務」と打つ。
候補が出ない。
名簿検索に職員名を入れる。
該当者なし。
画面の空白は、ただの欠落ではなかった。
空白は、正しい範囲を示していた。
正しい範囲の外には、誰もいない。
誰もいないから、責任もない。
高島は気づく。
これは隠蔽ではない。
隠蔽なら、守る者がいる。
封印なら、見張る者がいる。
だが、ここには担当者がいない。
窓口が存在しない。
窓口が存在しないこと自体が、手続きだった。
国家は命じていない。
大学も命じていない。
「やめろ」とは言っていない。
ただ、できない形を残しただけだ。
できなければ、事故は起きない。
事故が起きなければ、責任者はいらない。
責任者がいなければ、誰も悪くならない。
島も、そうだった。
掘るな、と書かれていない。
触るな、と書かれていない。
ただ、触れない形が残っている。
触れない形が残る限り、誰も困らない。
困らない限り、誰も言わない。
言わないまま、価値だけが地下に残る。
机の上の断片を並べた。
地下施設。
封鎖された海域。
戦時期に止まった搬出記録。
「廃棄」
「移送」
「検疫」
どれも途中で止まっている。
止めた理由は書かれていない。
理由が書かれていないということは、理由が不要だったということだ。
不要だった理由は明白だった。
汚染。
それ以上の説明を不要にする言葉。
一語で世界を止める。
止まったまま、誰も悪くならない。
金は、ある。
採掘量と搬出量の差。
戦後に急減する記録。
誰も回収していない空白。
残っている。
しかも膨大な量だ。
欲しがらなかったのではない。
欲しがれなかったのだ。
触れれば、管理が始まる。
管理が始まれば、正しさが動く。
正しさが動けば、生活が壊れる。
高島は自分の身に起きたことを思い出す。
研究は否定されなかった。
ただ、進める理由だけが失われた。
島も否定されていない。
価値は認められている。
だが、使う理由がない。
理由を作れば責任が生まれる。
責任が生まれれば誰かが壊れる。
だから理由を作らない。
合理的だ。
あまりにも。
ふと、自分の計算式を思い出した。
汚染を中和できるなら。
仮説は一度だけ成立しかけた。
数字が寄った。
偶然ではない方向に。
その瞬間に浮かんだのは、論文ではなかった。
研究費。
学生の雇用。
父の介護。
生活。
守れる、という感覚。
守れるなら、触れる。
触れられるなら、回収できる。
回収できるなら、管理できる。
管理できるなら、正しくできる。
その論理が、あまりにも自然に繋がった。
高島は、その論理を押し戻した。
押し戻しながら、同時に言い換えていた。
「盗む」ではない。
「回収」だ。
「破る」ではない。
「例外」だ。
言葉を整えると、行為は正しく見える。
そのやり方を、彼はもう知っている。
島がそう処理されたように。
隠したのではない。
処理したのだ。
その一文が、資料の間に自然に収まった。
収まったことが、彼には小さな安心になった。
安心は便利だった。
便利なものほど、早く使う癖がつく。
高島は机の上を整えた。
紙の角を揃えた。
ペンの向きを揃えた。
画面のウィンドウの位置を揃えた。
揃えることで、自分はまだ「問い合わせていない側」にいると確かめたかった。
自分は、まだ触っていない。
まだ接続できていない。
まだ越えていない。
その「まだ」が、唯一の免罪符だった。
だが、触れない理由を誰よりも理解している。
理解しているということは、もう接続が始まっているということだ。
接続は成立ではない。
接続は、戻れなくなる準備だ。
彼は資料を引き出しにしまった。
鍵はかけなかった。
いつでも取り出せる距離。
触れられる距離。
その距離が、彼を安心させた。
触れない、という選択肢をまだ持っていることが。
その夜、もう一度ログインを試した。
「接続中」は変わらない。
変わらないことが、丁寧に正しい。
正しいから、諦めが合理になる。
高島は画面を閉じた。
閉じると、接続できないことが確定する。
確定する前に閉じれば、まだ“たまたま”にできる。
選ぶしかなかった。
それでも、選んだ。
翌朝。
学内システムは何事もなかったように動いていた。
動いている世界の外に、自分だけがいる。
接続できないのではない。
接続先が、最初から無かったことにされている。
次に消えるのは――接続しようとした自分の痕跡だった。
その痕跡が消えたあとに残るのは、
「接続中」ではなく、「未申請」になる。




