番外編:セリカの悲劇
1.縛られた魂
中世ヨーロッパの辺境、森と川に囲まれた小さな村。石造りの家々が点在し、朝霧が立ち込めるこの地は、厳格な慣習と信仰に縛られている。村人たちは日の出と共に働き、夜は教会の鐘の音で眠りにつく。女性は家事と子育てに、男性は畑や鍛冶仕事に従事する…その役割は揺るぎない掟だった。
この村に、セリカという若者が生まれた。生まれは男性、出生名はセリウス。だが、セリカの心は女として息づいていた。幼い頃から、彼女は母が編む毛織物の柔らかな感触や、市場で売られる花の髪飾りに心を奪われた。村の少年たちが泥遊びや剣の真似事に夢中になる中、セリカは川辺で花を摘み、髪にそっと飾って鏡代わりの水面を覗き込んだ。
「セリウス、男なら男らしくしろ!」
父の怒声が響く。村の大工である父は、セリカの「女らしい」仕草を許さなかった。母は優しく、密かにセリカに布切れを縫った服を渡したが、父に見つかれば燃やされた。村人たちもまた、セリカの柔らかな物腰や長い髪を嘲笑した。「男のくせに女のようだ」と囁き、子どもたちは石を投げつけた。
セリカは夜、納屋の片隅で一人、母の古いドレスを手に持つ。布の感触に心が安らぐが、同時に胸を締め付ける孤独が押し寄せる。
「なぜ私は、こうして生まれてきたの…」と呟き、涙を拭う。だが、セリカにはもう一つの秘密があった…魔法の才だ。村では魔法は禁忌とされ、魔女狩りの恐怖が漂う時代。セリカは密かに森の奥で、草花を光らせたり、水面に幻を映したりする術を磨いていた。
両親を流行り病で失ったセリカが18歳になったある日、市場で花の髪飾りを手に持つセリカに、屈託のない声がかけられる。
「お前、セリウスだっけ? そんな女が買うようなもん、どうするんだ?」
振り向くと、エリックが立っていた。鍛冶屋の息子、19歳。たくましい体躯と、陽気な笑顔。村一番の人気者で、女性たちの憧れの的だ。セリカは慌てて髪飾りを隠し、顔を赤らめる。
「い、いや、これは…ただ見ていただけで…!」
エリックは笑い、「まぁ、いいけどよ。お前、なんか面白い奴だな!」と肩を叩く。
その温かい手に、セリカの心は初めてのときめきを感じる。「エリック…」と呟き、彼の背中を見送る。
2.禁断の魔法と芽生える愛
セリカの魔法の才は、森の奥でひそかに開花していた。古い書物を読み漁り、草木や石に宿る力を操る術を学んだ。
ある夜、川辺で水面に自分の姿を映し、魔法で長い金髪と柔らかなドレス姿の自分を創り出す。鏡のような水面に映る「本当の自分」に、セリカは涙を流す。「これが…私の魂の姿…」。
だが、村の掟は厳しい。魔法使いは悪魔の手先とされ、発見されれば火あぶりの運命だ。セリカは自分の力を隠しつつ、エリックとの交流を深めていく。エリックは鍛冶屋の仕事の合間に、セリカを森に誘う。
「セリウス、お前、なんか不思議な奴だよな。いつも一人で何考えてんだ?」エリックは無邪気に笑う。
セリカは彼の澄んだ瞳に心を奪われ、つい本音を漏らす。「私は…自分らしくありたいだけだ。皆と同じでなくとも…」。
エリックは首を傾げ、「まぁ、お前はお前だろ? それでいいじゃん」と笑う。その言葉に、セリカは初めて心の安らぎを感じる。
エリックは村の他の若者とは違い、セリカを嘲笑しない。鍛冶仕事で作った小さな鉄のペンダントを、「お前に似合うかな」と渡してくれる。セリカはそれを胸に抱き、夜ごと祈るように握りしめる。
しかし、エリックの目は別の女性に向いていた。村長の娘、アンナ。穏やかで優美な彼女は、村の理想の女性像そのものだった。
教会での集会で、アンナがエリックに微笑み、談笑する姿を見たセリカの胸は、嫉妬の炎で焼かれる。「やっぱり、エリックも彼女のことが…。私が女ならいいの…?」と独白し、夜の森で魔法を試す。
彼女は自分の姿を女性に変え、村の誰もが振り返る美貌を創り出す。だが、心のどこかで、それが偽りの姿であることを知っていた。
3.双魂の鏡の誕生
セリカの魔法はさらに進化し、ついに一つの奇跡を生み出す…双魂の鏡だ。
森の奥、古代の石碑が立つ場所で、彼女は数か月を費やして鏡を完成させた。木枠には蔦と花の彫刻を施し、鏡面には川の水と星の光を封じ込めた。触れる者の「もう一つの魂」を映し、肉体も精神も変える力を持たせた。
「この鏡があれば…誰もが本当の自分を生きられる…」。セリカは鏡に触れ、初めて完全な女性の姿に変身する。金髪が肩に流れ、柔らかなドレスが風に揺れる。声も仕草も、すべてが「セリカ」そのものだ。
彼女は鏡に映る自分を抱きしめ、涙を流す。「これが私…本当の私だ…!」。セリカは決意する。エリックに本当の自分を告白し、彼の愛を得ることを。
彼女は村の祭りの夜、女性の姿でエリックを森に誘う。月明かりの下、セリカはドレスをまとい、エリックに微笑む。「エリック…これが本当の私よ。セリウスではない…セリカ…」
エリックは目を丸くし、笑い出す。「へー!セリウス、すげぇ魔法だな! めっちゃきれいじゃん! でも、遊びすぎだろ!」
彼の言葉は無邪気だが、セリカの心を刺す。彼はセリカの内面を見ず、ただ「魔法の遊び」としか受け止めなかった。
「エリック…お願い、私を…本当の私を見て…!」とセリカは必死に訴えるが、エリックは首を振る。
「セリウス、面白いけどよ…お前はセリウスだろ? 変なこと言わないでくれ」
彼は笑顔のまま去っていく。セリカは森に一人残され、鏡の前で膝をつく。鏡面には、彼女の涙が映る。
4.嫉妬の炎と悲劇の夜
祭りの後、エリックとアンナの親密な姿を目にする機会が増えた。アンナがエリックに手作りのパンを渡し、二人が教会の庭で笑い合う。
さらに、セリカの魔法の力の存在が村の噂で広まり、セリカが村に出かけると、村人たちがヒソヒソと「ほら、あれが…」「悪魔の手先め…」と噂する声が聞こえてくる。セリカは自分にじわじわと魔女狩りの危機が迫っていることを実感する。
セリカの心は嫉妬と絶望に飲み込まれる。鏡の前で、彼女は自分の姿を見つめ、呟く。「なぜ…なぜ私だけが、こんな苦しみを…?」。鏡面が揺らぎ、セリカの心の闇を映し出す。
彼女の魔法は、感情に呼応して不安定になる。ある夜、セリカは鏡に囁く。「エリックを…私のものにしたい…」。鏡は彼女の欲望を増幅し、暗い力を放つ。
セリカはエリックを森の奥、双魂の鏡の前に誘う。月明かりの下、彼女は再び女性の姿で現れる。長い金髪が輝き、ドレスはより華やかで、髪には花が飾られている。
エリックは驚きつつも、笑顔で言う。「セリウス、またその魔法か? ほんと、すげぇな!」
だが、セリカの目は涙で潤んでいる。「エリック…私はセリカよ。アンナではなく、私を愛して…!」。彼女はエリックの腕をつかみ、必死に訴える。
エリックは困惑し、彼女の手を振り払う。「セリウス、いい加減にしろ! お前は男だ! 俺は…俺はアンナが好きなんだ!」
その言葉が、セリカの心を砕いた。鏡が不気味な光を放ち、セリカの手に魔法の力が集中する。彼女は叫ぶ。「私のものにならないなら、いっそ…!」
セリカの手から放たれた闇の刃が、エリックの胸を貫く。彼は驚愕の表情で倒れ、血が地面を染める。「セリ…カ…なぜ…」と呟き、息絶える。
セリカは自分の手を見つめ、震える。「私が…私がやった…?」。鏡は彼女の絶望を映し、嘲笑うように鈍く光る。
セリカはエリックの亡骸を抱きしめ、泣き叫ぶ。「エリック…ごめん…ごめんなさい…!」
彼女は自らの短剣を取り出す。虚な目で短剣を見つめるセリカの脳裏に、エリックと過ごした日々が走馬灯のように蘇る。セリカが「私も…いっしょに…」と呟き、自らの胸に突き刺す。血がドレスを赤く染め、セリカは鏡の前でエリックに覆いかぶさって倒れる。
5.鏡に囚われた魂
セリカの魂は死後も消えず、双魂の鏡に囚われた。鏡は彼女の希望と絶望を吸収し、使う者の心を試す存在となった。
村人たちはセリカとエリックの死を「魔女の呪い」と恐れ、鏡を森の奥に封印した。だが、鏡は時を超え、さまざまな者の手に渡り、自由を与える者もいれば、破滅へと導く者もいた。
セリカの魂は鏡の中で漂い、愛と自由を求めた結果犯した、自分の行為の愚かさを悔やむ。彼女はユキの試練を見守りながら、自身の悲劇を繰り返さないことを願い、いつか自分の魂を解放してくれる「真実の愛」に出会えることを待ち望んでいる。
神奈川県の海沿いの町、澄子の家の屋根裏。双魂の鏡の中の世界で、セリカが呟く。
「彩花の愛は、ユキの気弱な姿…悠斗を包み込む優しさだ。亮太の愛は、ユキの輝きに燃える炎。どちらも、ユキの魂を揺さぶる『真実の愛』だ。我が時代、我が愛は一方通行だった。だが、ユキは愛される者たちに囲まれている。彩花の涙、亮太の言葉…それらが、ユキの心を定める鍵になるやもしれぬ」
セリカは鏡を通して外の世界の様子を覗く力を使って、ユキの学校でのドタバタを見守る。
「彼女…いや、彼の魂は、我が持たなかった内面の強さを持つ。ユキの気弱さと輝き、彩花の愛、亮太の情熱、玲の応援…それらは、我が時代にはなかった光だ。我が魂は、ユキに同じ過ちを繰り返してほしくない。彼が己を受け入れ、愛を得るなら…我が魂も、ようやく安らぐやもしれぬ…」
セリカがユキたちの様子を眺めながら、フッと軽い笑みを浮かべる。遠い時代の中世の村で、セリカが求めた自由と愛による悲劇に、ユキの輝きと彩花たちの絆によって、救いがもたらされるのかもしれない…。(つづく)