第38話:「届いたのかもしれない、という予感」** (火曜日)
前日の会議での“言葉の交差”や、ひよりとのやりとりが、じわじわとリンコの思考の中で波紋を広げていきます。
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火曜の朝。
広報部の席で、リンコは社内報の修正案に軽く目を通していた。
ページの隅に手書きした、あの一文が目に入る。
> “余白のなかで選ばれる言葉が、感情の輪郭になる”
「…もう誰かが読んだかもしれない」
誰か。
月曜の会議で、目を合わせなかったけれど――資料のページをそっと指でなぞる様子が、記憶に残っていた。
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昼休み。
未来が給湯スペースでリンコに話しかけてくる。
「昨日のあれ、すごかったね。
先輩が文章の一文、引用してたの、聞いてた?」
「うん。自分の書いた言葉が、“使われた”ってことがちょっと不思議だった」
「使われたっていうより、“残ってた”んじゃない?
先輩のあの話し方、“誰かの文章をちゃんと読んでから話す人”の空気だったよ」
リンコは、ミルクを紅茶に落としながら黙ってうなずいた。
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午後、業務に戻ったリンコは、取引先との調整メールを書いていた。
件名:「読者アンケート追記案について」
本文の最後に、ふと自分の言葉を短く添えた。
> “一文に、誰かが沈黙してしまう瞬間がある。
> でも、その沈黙は、たぶん読まれた証なのだと思う。”
その“誰か”が誰かは、言葉にしなかった。
ただ、昨日の会議室の光景だけが、文章の背景に残っていた。
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夕方。
リンコは帰り際、エレベーターの前でひよりと偶然鉢合わせる。
一瞬だけ沈黙。
でも、ひよりが軽く笑って言う。
「昨日の一文、読んだとき“ちょっと悔しいな”って思ったんですよね」
「…悔しい?」
「文章って、丁寧なだけじゃ残らないと思ってたけど。
あれは、“感情の中心に届くタイプ”だった。先輩が拾った理由、なんとなくわかりました」
リンコは、正面ではなくエレベーターの表示パネルを見ながら答えた。
「届くかどうかは、書いた人じゃわからないものです」
「ですね。…でも、わたしには届いたって言えるかも」
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火曜日は、“届いたかもしれないという予感”が静かに浮かび上がる日だった。
誰かが沈黙していたからこそ、言葉が残っていた。
そして、それを覚えていることが、少しだけ自信になっていた。
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リンコの静かな視線と、“言葉がどこに届いたのか”を探るような余韻を中心に描いた一話になったと思います。




