第35話:「文章よりも、沈黙の余韻が残る日」** (土曜日)
昨夜の食事で交わされた言葉は、まだ“関係の確定”には至っていないけれど、心のどこかで少しだけ温度を変えている——そんな繊細な揺れを丁寧に描きます。
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土曜の午前。
リンコは、自宅のノートPCで社内報の構成ファイルを開いていた。
文章を打とうとするたびに、昨夜の会話がふとよぎる。
> “言えなかったことにならないように、形にします”
そのとき先輩が小さくうなずいた表情だけが、画面の白に浮かび上がるようだった。
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昼前、未来からメッセージが届く。
> 「昨日どうだったー?
> …“文章になる夜”になってたらいいなって思ってた」
リンコは返信を打つ前に、しばらく文面を見つめていた。
「文章になりそうで…なってなくて、でもそれがちょうどいいって感じ、なにか特別なことがあったわけじゃないけど」
そう打ち込んだあと、メモ帳を開いた。
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そこには、昨夜の店で思い浮かんだ言葉が並んでいた。
> “言葉を出さなくても伝わる時間があるとしたら、
> それを覚えているだけで、来週を静かに始められる気がする。”
その一文が、今のリンコの気持ちの中心にいた。
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午後、リンコは買い物がてら書店をのぞいた。
昨日ふたりで食事したカフェの奥にある棚を歩いていたとき、
ふと“言葉を置いておく場所”みたいな空気を思い出した。
「…もう一度、誰かとあそこに行くことになるなら、
次は“話さなかったこと”じゃなくて、“言わずに伝えたこと”が増えてたらいいな」
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夕方。
帰り道の交差点で、信号待ちの赤が長く続いた。
スマホに触れることなく、ただポケットの中で両手を包んでいた。
誰かからのメッセージを待っているわけじゃない。
でも、誰かを想いながら信号が青になるのを待つ時間は、少しだけ優しかった。
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土曜日は、“文章になる前の余韻”を抱える日だった。
心の中に残った沈黙が、きっとふたりを次に進ませる力になる。
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リンコの繊細な気持ちが、昨夜の言葉を静かに反芻するように描かれた回になったと思います。




