第11話:「午前2割、午後8割」** (木曜日)
今回は広報部の同期・遥が登場し、リンコに揺さぶりをかけてくる回です。オフィスのざわめきと、個人的な空気が絶妙に重なる一話——じっくりと味わってくださいね。
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午前10時。広報部は提出資料ラッシュで空気がピリついていた。
リンコは社用メールの返信に追われながら、スプレッドシートの確認をしている。
「…今週、資料多くない?」
「ね〜。昨日の“会議室ふたりぼっち事件”とかマジで逃避したくなったでしょ」
背後から声をかけてきたのは、同期の野々村遥。
リンコはぎくっとしつつも、口元をひきつらせる。
「え、なんで知ってるの」
「先輩が、ちょっとだけレンズ曇ってたって未来ちゃんが言ってた。
あのメガネが曇る=感情揺れた、でしょ。社内暗号としてはもう定着してるから」
「その社内暗号、精度高すぎん…?」
ふたりで笑い合ったあと、リンコはふと窓の外を見る。
あの日の“閉じ込め時間”が頭をよぎる。静かな声と選ばれた言葉——
午後。
企画部と広報部が合同で資料確認ミーティングを行うことになり、社内の一角がざわめきはじめる。
リンコが確認用のコピーを持って席を移動すると、ちょうど先輩と視線が合う。
「あ、ありがとう。資料…間違いなかった?」
「うん、言葉の選び方、すごく“伝え先”が見えてた気がします」
その言葉に、先輩はふと口角をゆるめる。
「伝わってるなら、それが一番いい」
目元はレンズの奥で見えない。でも、表情の“間”で何かが読める気がした。
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夕方、広報部の書類棚で遥がぽつりと言う。
「午前は仕事モードだったリンリンが、午後には“先輩仕様”に戻るんだもん。すごく分かりやすいよ」
「…そんなに変わってる?」
「うん。午前2割、午後8割って感じ。しかも照れ方が“金曜の夜の並び方”っぽい」
リンコは思わず笑いながら、書類をそろえた。
「じゃあ明日は…金曜、全部仕様になりそうですね」
「うわ、それもう恋じゃん。てか金曜、私も張り込むからよろしくね〜」
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木曜日は、“仕事と気持ちの境界線”がちょっとだけにじんだ日だった。
午前はいつもの自分、でも午後には“誰かに向いてしまう言葉”が増えていた気がする。
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社内のプリンター横。リンコは、ふとメールを書こうとPCに向かう。
宛先は“先輩”。
> 明日の最終提出、広報目線から一言追加しておきます
> 伝える角度が、伝わる先に届きますように。
送信したその文末に、あの日の“鍵のかかった時間”の空気が少しだけ混ざっていた。
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仕事モードの中に差し込まれる、さりげない視線とやりとり
遥の軽快さも加わって、リンコの気持ちがちょっと揺れる午後を描けたと思います。