第五章 第十八節「知らない街みたいだ」
中央平原を、半人たちが駆け抜けていた。
蹄が大地を叩き、風が草原を裂く。
それぞれの背には、エル、オズ、ジゼルの三人が跨っていた。
風圧で外套が翻り、陽光が髪を焼く。
まだあの朝の風の“匂い”が、かすかに残っていた。
エルたちは、しばらくのあいだ、誰一人として口を開こうとしなかった。
そして、丘陵をひとつ登りきった瞬間、視界が一気に開けた。
春の陽に包まれた大地の果て――
鏡のように光を弾く巨大な湖が広がっていた。
「……セリューヌ湖、だ」
先頭を走った半人の戦士、アレッジドに跨っていたエルが呟く。
「中人たちの呼び方か。我々半人は“海魔の水域”と呼んでいる」
「海魔の水域……?」
エルが尋ねると、アレッジドが短く頷く。
「旧時代――魔王の軍勢の一柱が、勇者によりこの水底に沈められたと聞かされている」
「どういうことだ? 魔王含めた魔族って奴らは、全員勇者が消し去ったんだろ?」
オズが訝しがる。
その「勇者」という響きを背中で聞きながら、エルは少し身を縮めた。
いつものオズなら、すぐに気づいたのかもしれない。
だが、彼もまた心に余裕がなかった。
「ああ、そうだ。だが、魔王の下に辿り着くまでに、勇者が倒した魔族も数多くいる。海魔はその一種とされている」
「ふーん。そんな物騒なのが沈んでるって割には……ちょっと、キレイすぎるんじゃない?」
遠目からでも分かる光る水面。
ジゼルが、見たままの感想を漏らした。
「……ガレオンにとっては、北の象徴の街だったんだ」
エルが、少し遠い目をして言った。
「エル、アンタやけに詳しいわね」
「そりゃ、エルの故郷だからな」
オズが代わりに答える。
「まあ、そうだったの? 知らなかったわ」
「前に言ってたぞ。なあ、エル?」
「……」
「エル……?」
「え……あ、ごめん」
エルは小さく首を振った。
勇者の血、星の儀、ワシリーサとの別れ。
まだ胸の奥深くで、その余韻が重く沈んでいる。
陽光が眩し過ぎて、言葉が出なかった。
「中人たちよ。我々が送り届けるのはこの丘を下った先までだ」
アレッジドが告げる。
丘の向こう、青銀の湖面がゆっくりと揺れていた。
丘を下った先で、草原が終わっていた。
そこから先は、緩やかな湿地と、湖へと続く道。
「ありがとう、アレッジド。あなたたちのおかげで予定よりずっと早く中央平原を抜けられた」
オズが振り返る。
「礼には及ばん、客人たちよ」
半人の戦士、アレッジドが頷いた。
「……最期に――」
強い一陣の風が、言葉の続きを攫っていった。
アレッジドは唇を引き結び、すぐに言い直す。
「……貴様らのような者と出会えたことに、我々こそ感謝をしている」
そう言い残して、アレッジドは他の半人たちと共に蹄を返し、丘を登っていった。
彼らの姿が春霞の向こうに消えるまで、三人は無言で見送った。
各々がその言葉の意味を思う。
「よし……行くか」
沈黙を破るように、オズが小さく肩を回しながら言う。
「ここから先は、魔の道じゃないはずだ」
自分に言い聞かせるような声音だった。
「ガレオン……いや、レガリア共和国だね」
エルが言葉を継ぐ。
「こんなに南まで来るのは初めてだわ。あ……あれ、見て」
ジゼルが指を差した。
遠く、湖面の向こうに何かが立っている。
光の中に霞む輪郭――それは、水の上に浮かぶ巨大な影だった。
「湖の上に……城が、あるな」
オズが目を細める。
「……モン・ド=ロワだよ」
エルが答えた。
「セリューヌ湖の中央に聳える、ガレオン皇族の古城のひとつ。……この国がまだ“皇国”だった頃の、象徴みたいな場所だよ」
風が湖面を渡り、遠くで鈴のような音がした。
春の陽が傾き、湖の光が三人の頬を照らす。
* * *
滅国の七日間――その最終日、金竜が最後に通った街があった。
その名は、セリューヌ。
古来よりセリューヌ湖の沿岸に栄え、ガレオン皇国の北東の都として、中央平原を監視する砦の役割も担っていた。
だが、金竜エルドラドの神威に晒されたその日――
街は焼け、砕け、湖畔の石造りの区画ごと崩れ落ちた。
水面は紅く染まり、月を映す鏡は一度、完全に割れた。
──そして二年後。
瓦礫の上に人々が戻り、再び灯がともる。
かつての名は封じられ、街は新たな呼び名を得た。
アンシャン・ド=ロワ――皇族の古都。
その名のもとに、皇族の再興を信じる者たちが集い、この湖と城は再び“北の象徴”と呼ばれるようになっていた。
* * *
セリューヌ湖の岸に沿うように築かれた街は、思いのほか賑やかだった。
まだ新しい石畳の歩道には人の往来が絶えない。
通りには屋台の香りと、馬車の車輪が刻む音が混じり合っている。
「いいじゃない、別に。たっぷり貰ってきたんでしょ?」
少し無理に明るさを纏わせた声だった。
「いや、駄目だ。ジゼル、お前の胃袋に合わせてたら……きっと俺たちの魔術師団はすぐに破産しちまう」
オズが肩をすくめて窘めた。
軽口に乗せた声の奥に、疲れの色が薄く滲んでいる。
「……ケチ」
ジゼルは小さく呟き、串焼きの肉を一口かじる。
炭火の香ばしい匂いが風に乗り、少しだけ胸の重さを紛らわせてくれた。
二人のやりとりを眺めながら、エルはふと目を上げた。
湖岸に沿って、建て直されたばかりなのだろう煉瓦造りの建物がいくつも並んでいる。
その輪郭は、かつてガレオンにとって“北の象徴”だった街並みの面影を、なぞるように再現しているように見えた。
だが、それなのに――
「……知らない街みたいだ」
小さくこぼれた言葉は、街の喧騒に紛れて誰の耳にも届かない。
建物の屋根の上、小さな旗が風に翻っている。
片面には、剣を抱いた鷲が、月桂冠に包まれた紋――
かつて勇者の理想を掲げ、皇国を築いたガレオン皇族ド=ロワの印。
それは、エルにとって見慣れた、あまりに懐かしい紋だった。
だが、旗がひるがえった瞬間、裏面に縫い込まれたもうひとつの印が目に入る。
淡い銀糸で描かれたそれは、水面に広がる波紋のような円環。
「……あの紋章、どこかで……」
エルは小さく呟いた。
見覚えがある。
けれど、思い出せない。
湖面を渡る風が旗を翻し、
二つの紋章が陽光を受けて交互にきらめいた――
まるで、この街そのものが“二つの顔”を持っているかのように。
紋章を見つめたまま、エルはしばらく立ち尽くしていた。
胸の奥に、何かがざらりと引っかかっている。
そのとき――
周囲の喧騒の中に、ふと人々の声が紛れ込んだ。
「早く、お城の方に急ごう!」
小さな子どもの声。
「皇族の帰還……あの日以来、どれほどこの時を待ち望んでいたことか」
年老いた男の声。
「皇子様がこの街に来るなんて、夢みたい……!」
若い女の弾む声。
声が次々と風に流れていく。
祝祭のような熱気と笑顔。
けれど、エルの胸の内には、
どうしても拭えない違和感が広がっていった。
――皇族の帰還?
――皇子様?
この国の皇族は、滅んだはずだ。
あの七日間で、自分以外の血脈はすべて途絶えた。
思い出さないように蓋をした記憶が甦る。
金竜が、ロワイヤルの皇城を焼き払う姿。
それを背に逃げ惑う自分と母。
離宮の中でも最も外れの場所、そこじゃなかったらきっと――
きっと、僕も神威に飲まれていたのだろう。
なのに、誰を“皇子”と呼んでいる?
そして、もうひとつの違和感が、視界の端で形をとる。
街を見渡す。
往来には商人、婦人、子ども、老人――
見渡す限り、若い男の姿がどこにもいない。
行列を組む馬車を操るのも、兵士の装備を磨くのも、皆年老いた者か少年ばかり。
「……どういうことだ?」
エルの小さな声に、すぐ隣のオズが反応した。
「どうした、エル?」
「この街に入ってから――僕らくらいの年齢の男性を見た?」
「え……ああ、そう言われりゃ確かに見てないな」
オズは顎に手を当てて思案する。
「でも、まだ昼頃だし。働きに出てるとかじゃないか?」
「それともうひとつ」
エルは視線を湖の方へ向けた。
「さっき、人々が“皇族が城に帰って来る”って言ってた」
「……何それ? さっき、アンタが言ってたじゃない」
ジゼルが、串を握ったまま言う。
「ガレオン皇族の生き残りは、自分だけだって」
「そのはずなんだ……けど」
エルは息を整え、わずかに眉をひそめた。
「――ちょっと、見に行ってもいいかな」
オズが軽く肩をすくめる。
「まだ宿も決めてないしな。行ってみるか」
「……そうね。歩きながら考えた方が、頭も回るかも」
ジゼルが呆れたように言いながらも、足はすでに湖の方へ向いていた。
三人は人の流れに紛れながら、湖の城――モン・ド=ロワへと歩き出した。
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