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亡国のステラリア  作者: 黒瀬 行杜
第五章
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第五章 第十六節「数奇な巡り合わせだった」

結界が解かれた半人(セントウル)の集落。

何も起きなかったかのように、静寂に包まれた夜。


外れの小屋と集落の入口をつなぐ細い通りで、オズはその場に崩れ落ちた。

腰が抜け、呼吸が荒く、両手の震えが止まらない。


「はぁ……はぁ……っ……なんなんだよ……いったい……」


声にならない息が喉の奥で空回りする。


勘違いをしていた。


この中央平原に向かう前。

ツヴァーグラントで、小人の王と向き合ったとき――

自分は、あれを「言い合えた」と思い込んでいた。


ボルグはあくまでも、対話しようとしてくれていたのだ。

立場も力も違う相手が、こちらの言葉に耳を貸してくれていただけだった。


しかし、先ほどまで目の前にいた紅蓮は違った。


ただただ、自分の甘い認識を炙り出され、弄ばれた。

そして挙句の果てに、“儀の駒”として切り捨てられたのだ。


自分は、何者でもなかった。

その無力感と恐怖が、一度に押し寄せてくる。


だが、それでも――

彼は立ち止まっているわけにはいかなかった。


「そ、そうだ……! ジゼル!」


震える足でよろめきながら駆け寄り、倒れたままの彼女を両肩から揺さぶる。


「ジゼル! ジゼル……っ!」


「う、ぐっ……こ、ここは……? っ――!!」


ジゼルは反射的に跳ね起きた。

戦斧を持っていない手が空を切り、周囲を見渡す瞳には明確な“敵を探す光”が宿る。


「戻って……る? さっきの黒ローブは! いや、私どれくらい気を……!」


「大丈夫そうだな……急ぐぞ!」


オズの声音は、普段の落ち着きとは程遠かった。

切羽詰まった焦燥が、そのまま声になっている。


ジゼルは目を瞬く。


「モジャ……? 急ぐって……何が起きたのよ!」


「いいからっ……! 今は――」


オズは言葉を噛み砕きながら叫ぶ。


「エルと……ワシリーサのところへ行くんだ!!」


ジゼルの瞳が大きく揺れた。


* * *


夜は深く、風さえ止まっていた。

平原は昼間と同じ姿を保ったまま、時間だけが失われている。

しかし、月だけが異様に近く、重い。


ワシリーサはふと目を開けた。

天には星がない。

音もなく、ただ“世界が息をしていない”。


「……スレイヴァン? どうしたのさ?」


老竜の巨体が、変わらずその隣にあった。

その瞳は開かれているが、何かを見ている――いや、見据えている。


乾いた草を踏む音が、近づいてくる。

一定の間隔で、まるで遠い記憶を辿るように。


「お前さんは……黒髪か? ……いや、違うな」


ワシリーサは立ち上がり、目を凝らした。

そこに立つのは――“エル・オルレアン”。


けれど、その目の奥には、少年の光はなかった。

代わりに、底なしの闇があった。


スレイヴァンが低く唸る。

翼を広げ、ワシリーサの前に立つ。

その眼差しに、これまでにない警戒の色が宿る。


「そう息巻くな、老竜よ」


男は微笑む。

だが、その笑みには“命の温度”がなかった。

その声は複数の音が重なっていた――まるで、幾つもの魂が層を成しているかのように。


「ああ……実に、数奇な巡り合わせだった」


声が揺れる。

それは喜悦にも似た、底の見えぬ響きだった。


「私が『四元の受け皿』を見つけられなければ。受け皿が『獅子の尾』で己を縛らなければ。受け皿が彼の地に留まらなければ。そして――受け皿が、貴様と出会わなければ」


男は一歩、また一歩と近づく。

その歩みのたびに、鎖が軋むような音が夜気を裂いた。


「私は決して、貴様には辿り着けなかっただろう――ワシリーサ・グヴァルグラード」


「……なんであたしの忌み名を知っているのさ」


ワシリーサの笑みが凍る。

老竜の吐息が白く揺れ、世界がわずかに軋んだ。


「貴様が一族から持ち去った禁呪(タブー)、『魔獣調伏』――あれは私が、あの戦争で最も欲した力だ。さあ、今ここで返してもらおうか」


男の瞳が、闇の底で赤く光る。

その光に、ワシリーサは息を呑んだ。


「一族……? もしやお前は……!」


空気までもが、一瞬で凍りつく。

真名を明かされたワシリーサの傍ら、老竜スレイヴァンは主を守らんと咆哮を上げた。


* * *


――どれだけの時間が経ったろうか。

霊体である魔女と老竜は、目の前にいる“エル・オルレアン”に、ただひたすらに嬲られていた。


魔女を庇わんと、老竜は幾度となく立ち上がり、蛮勇とも言える抵抗を続けた。

しかしそのたびに、幾重にも重なった魔力の奔流が老竜を襲い、魔女を薙ぎ払った。


魔女と老竜の苦悶の叫びのみが、音のない平原に響いた。

だが、その叫びはすぐに闇に飲まれ、また新たな叫びが響いた。


そして――


老竜スレイヴァンは、血に染まった翼を地に広げ、遂に倒れた。

その巨体からこぼれる光は、もはや命の炎ではない。

ただ、霊魂の燃え滓が風に舞っているだけだった。


血に塗れたワシリーサは喉元を掴まれ、宙に吊り上げられていた。

掴む腕はエルのもの。

だが、その瞳の奥には、もはやエルの意識はなかった。


「ぐ、うぅ……っ!」


息が詰まり、霊体であるはずの身に、確かな痛みが走る。


「魂のみが囚われてなお、この重み……」


男は、闇を宿す声で低く呟いた。


「裏切り者とはいえ、これまでのこの世界への貢献は賞賛に値する」


その右手が紅く濁り、禍々しい紋が浮かび上がる。

光は鎖のように絡みつき、エルの肉体に刻まれていく――禁呪の紋。


「だが、貴様の時代はとうに終わった。潔く返せば、もっと楽に天に還してやったものを」


「ば……馬鹿言うんじゃないさ!」


ワシリーサの声が、掠れながらも空気を震わせた。


「……あたしでも分かる……お前さんにはこの力を渡しちゃならないって、な!」


「……まだ、無駄口を叩く余裕があるか」


男の掌が光を増す。

赤い紋がワシリーサの胸元へと伸び――霊体を裂こうとした、その時だった。


男の口が、勝手に開いた。

それは、彼自身の意思ではなかった。


「……その手を、放せ!」


声が重なる。

闇の底から響く声と、“エル”の声が――。


禁呪が刻まれつつある右手とは反対の手。

左の甲に、獅子の星痕(レグルス・スティグマ)が金色の光を帯びて燃え上がった。


「忘却しろ、と言ったはずだがな……四元の受け皿め」


男の顔がわずかに歪む。

苦々しさと興味が入り混じったような表情。


ワシリーサの喉元を握る手が、震える。

わずかに指がほどけ、彼女の身体が地に落ちた。


その瞬間、獅子の紋が眩い閃光を放ち、闇の中に亀裂が走った。


「……半分、といったところか。ああ、そうだな。私としたことがすっかり失念していた」


「貴様は、四元の受け皿である以前に――アトラスが長年探し求めた“器”だったか」


忌々しげに、獅子の星痕を睨む。


「まあよい。刻限も近い……残り半分は置き土産だ、受け取るがいい。半分もあれば、私は“呪い”を編める」


亀裂から漏れ出した光が周囲を包み、隔離された闇は溶けて消えた。


世界が反転する。

平原の夜は薄っすらと和らぎはじめ、徐々に白みだす。


――光の中に、エルの意識が微かに戻る。


彼はまだ、何も知らない。

自らの内に刻まれた“禁呪の半分”の意味も。


ただ、掌の奥で――獅子の星痕が、静かに脈打っていた。

ここまで読んでいただき、ありがとうございます!

次回更新は12/17(水)20時頃の予定です!

引き続き宜しくお願いします!

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