第五章 第十四節「そのために、ここにいる」
半人たちの集落、その外れの小屋の中。
オズとジゼル、二人は外に出ていったエルの帰りを静かに待っていた。
胸の奥で燻っていた“違和感”が、じわじわと重く沈んでいく。
彼が出て行ってから、もう随分と時間が経っている。
しかし――
その違和感とは“別の何か”が、二人の皮膚の下を這いはじめた。
空気が変わったのだ。
「……モジャ!」
先に立ち上がったのはジゼルだった。
即座に簡易工房を展開し、戦斧ブラウロットを引き抜く。
「……ああ!」
オズも反応し、立てかけていた盾レメンティアを担ぐ。
二人は息を合わせるように外へ飛び出した。
――そして、目を疑う。
小屋の周囲は消えていた。
代わりに、足元から頭上まで、薄い膜のような“白い虚無”が広がっている。
音がない。
風もない。
そもそも“世界”という輪郭が欠け落ちていた。
ただ一つ、中心に“楔のような何か”が突き立っている。
「どういうことよ! これ!」
ジゼルが叫び、戦斧を構える。
オズと自分以外には、何もない。
「分からない! 半人たちの仕業とは思えないが……!」
オズはレメンティアを掲げ、楔を睨む。
その楔を包む魔力は、異空間と“同質”だった。
「――あれだ。この空間は、あの楔を発生源にしてる!」
オズが指し示すより早く、ジゼルが飛び出す。
「だったら壊すだけよ!」
巨大な戦斧がうなりを上げて振り下ろされ――
「なっ……!」
楔に触れる寸前、戦斧の勢いが“奪われた”。
まるで見えない何かに包まれ、枯葉のようにひらりと動きを殺される。
「……無駄だ、力ずくじゃそれは壊れない」
背後から声が落ちてきた。
止まっていた空気が、ふっと解けるように――
音が戻り、世界が息を吹き返した。
オズとジゼルは同時に振り向く。
そこには黒い外套を纏った者が立っていた。
音もなく。
影も揺らさず。
まるで最初から“そこにいた”かのように。
「……アンタがこの異空間の主、ってことね」
ジゼルは再度、戦斧を構えた。
「だとしたら?」
「叩き斬る!」
ジゼルは跳ぶ。
一瞬で距離を詰め、そのまま戦斧を振り下ろす。
「待て、ジゼル!」
オズの叫びより早く、声が転がり落ちた。
「……チッ。行儀が悪いな」
黒い外套はすでにジゼルの背後に立っていた。
空を切る戦斧。
「くっ!」
「お前、面倒だな。少し眠ってろ」
外套の袖から伸びた手が、静かにジゼルの首筋を打つ。
手刀。正確無比。
ジゼルはその場に崩れ落ちた。
「は……嘘……だろ……?」
オズが声を漏らす。
ジゼルが、一撃。
黒い外套はオズに向き直り、軽く肩をすくめるような調子で言う。
「こいつ、黙って待ってろって言っても聞かないタチだろ? 安心しろ、死ぬわけじゃない」
異空間に倒れたジゼルを背に、親指で示す。
「お、お前……何が目的なんだ……!」
オズは盾を構えたまま叫んだ。
黒い外套はひとつ小さく息をつき、
頭を覆っていた布だけを静かに引き下ろす。
――赤い髪が、闇の中でぱっと花のように開いた。
どこに隠されていたのか分からない。
ただ、鮮烈な赤が夜気を裂いた。
「落ち着けって。お前はまだ話が通じそうだ。ちゃんと話が聞けるなら、痛い目には遭わない」
微かに笑い、名乗る。
「私は――オリヴィア・スカーレット。お前と同じ“星の覚醒者”だよ、オズワルド・ミラー」
オズは目を見開いた。
その名を聞いて、驚かない魔法使いはいない。
「オリヴィア・スカーレット……? 『紅蓮の葬者』が、星の覚醒者……?」
「ああ、そんな古い呼び名もあったな……よく知ってんな、お前」
オリヴィアは無造作に髪を掻き上げる。
赤い髪が指の間でほぐれ、ふわりと広がる。
オズは――その仕草を、ただ見つめてしまった。
「……なんだ? 私の顔に何か付いてるのか?」
「い、いや……!」
「まさか、見惚れてんのか?」
揶揄うように片眉を上げる。
「ち、違います! って、そうだ! エルを探さなきゃ!」
ようやくオズは自分が何のために外へ出たのか思い出した。
エルが戻らない――
あの違和感に突き動かされたのだ。
「ああ、そのエルのことなんだけどさ。少し待っててよ」
「……どういうこと、ですか? それに、エルを知ってる……?」
「っと、その前に」
オリヴィアが軽く指を鳴らした。
赤い光が――オズの左胸に浮かぶ。
「な……何ですか、これ……?」
「私の星の魔導具、星弓ケイローンの“印”。マーキングしたら最後、いつどこにいようと、私の意思ひとつで必ず心の臓を射抜く」
さらっと言う。
あまりに自然な口調で、あまりに理不尽な内容を。
「え……?」
「つまり――」
オリヴィアはオズの胸元を指先で軽く押した。
「オズワ……長い、オズでいいや。分かるよな? 今、お前の命は私が握ってるってことだ」
オリヴィアはほんのわずかに口角を上げた。
笑みの形なのに――逃げ場のない“死刑宣告”のようだった。
オズは息を吸うことすら忘れ、立ち尽くした。
胸に浮かぶ赤い印が、冷たい刃物のように意識へ食い込んでいく。
オリヴィアの声はさらに続く。
「いいか、オズ。今宵ここで起きていることは――私とお前だけの秘密だ。エルはもちろん、そこで寝てる蒼い月にも“絶対に”言うな」
蒼い月――その呼び方に、オズの背筋が粟立つ。
「蒼い月……ジゼルのことを……何故それを?」
オリヴィアは赤髪を指で弄びながら、わずかに口角を上げる。
「何故も何も、見りゃ分かるだろ。それに、ここはどこだ? ……お前たちだけが、“特別な何か”を知ってるわけがあるか」
言われてみれば当然である。
目の前の赤髪は、その事実を淡々と撃ちつけてくる。
「私はね、オズ」
オリヴィアが歩み寄る。
軽い足取りなのに、影だけが重く伸びる。
「次の星の儀を、絶対に成就させる――そのために、ここにいる」
オズの喉が鳴る。
“星の儀”――半人たちから聞いたばかりの、あの重い言葉。
「“向こう”もまだ時間はかかりそうだからな、丁寧に話してやるよ」
オリヴィアの視線が矢のように突き刺さる。
しかし、その視線はさらに“奥”を見ているようにも思えた。
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次回更新は12/13(土)20時頃の予定です!
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