第五章 第十三節「なら、丁重に扱わせてもらおう」
夜風に揺れる草の音だけが、静かな集落に満ちていた。
半人の家々からは距離を置くように、ぽつんと一軒、小さな木造の小屋が離れのように建っている。
アレッジドが三人を連れてその前に立つと、硬い声で言った。
「ここが、その小屋だ」
「ありがとう、アレッジド」
オズが代表して礼を言う。
しかし三人とも顔に余裕はなく、暗く、固く、重い表情のままだった。
アレッジドはそんな三人を一瞥し、低く言う。
「オズワルド、といったか」
「……あ、うん」
「貴様が先ほど褒めた、あの酋長の顔彫りだが」
アレッジドは一拍置く。
「――あれは、貴様ら“中人”が世界の中心と成った時代から、一度も変わっていない」
オズは返す言葉を失い、ジゼルもエルも息を呑んだまま動けない。
アレッジドは夜の闇へ視線を向け、淡々と続けた。
「陽が昇り、月が沈む――ただそれだけの流れの中で、我らはずっと“同じ顔”で立っていた」
そこで、わずかに声色を低くする。
「我ら『忘れ去られた仔』は、滅びの運命そのものは受け入れている。だが、その在り様まで諦めたつもりはない」
そして、振り返りもせず言い放つ。
「我らは例えその先が滅びであっても、変化を望む。話はそれだけだ」
* * *
小屋の扉を閉めると、外の冷たい風は急に遠くなった。
薄暗い室内には、乾いた木の匂いが満ちている。
灯りはない。
それでも三人は、そのまま中央に立ち尽くしていた。
沈黙を破ったのは――意外にもジゼルだった。
「……大層な話になって来たわね」
その声音には、震えを押し殺した強さがあった。
「けど、私のやることは変わんないわよ」
ジゼルは腰に手を当て、いつもの挑戦的な姿勢を無理やり作る。
「ドリュオンズを大監獄にぶち込む。蒼だか黒だか知らないけど、その月ってのは“ついで”よ」
そのまま視線を落とし、かすかに息を吐く。
「……正直ね、私が死んで儀式が出来なくなるなら、それでもいいって思った。でも――そうじゃないんでしょ?」
蒼銀の髪が、暗がりの中できらりと揺れた。
「なら、やってやるわよ。私の後に背負わされる誰かがいるくらいなら――私が背負ってやる」
ジゼルは顔を上げ、二人へ向き直る。
「で、アンタたちは?」
小屋の中に、乾いた木肌の匂いと、静かな緊張が満ちる。
再び沈黙が落ちた。
先に口を開いたのはオズだった。
「……そうだな。カムラッドの話で見えないのは――誰が“星の儀”ってやつをやるのか、ってことだ」
木壁に背を預けながら、オズはゆっくり続ける。
「その“誰”ってのが重要で、どう選ばれるのかも分からないけど……」
彼は息を吐く。
その目には、不安と決意が混ざっていた。
「俺は、この世界のままがいい。半人たちの望みも分かるけど……少なくとも、変な形に作り替えられないように努めるよ。……ただ」
言いかけて、オズは言葉を呑み込んだ。
アトラス――。
その名が喉まで出かかったが、彼は口を閉ざす。
(前の星の儀を担ったのは、きっと……)
確証はない。
だが“察してしまった”。
だからこそ、言えない。
その重さは、今はまだ自分だけが背負えばいい。
だから――言い換えた。
「……ただ、二度と“自分が死ぬ”なんて言うなよ、ジゼル」
ぐっと押し込むように。
まるで別の概念に置き換えるように。
ジゼルは目を瞬いたが、すぐに視線を逸らした。
エルが横で、ようやく口を開いた。
「僕も……オズも、そんなこと望んでないよ」
エルの声は震えていた。
勇者の血の重さを知った直後の彼には、どんな言葉も難しかった。
それでも、絞り出すように言った。
「もし星の儀が――ジゼルを危険な目に遭わせるかもしれないなら……僕は……僕たちは、一緒でいたい」
それは“答え”ではない。
けれど今のエルに言える最大限の言葉だった。
オズも同じだった。
自分が儀を担った場合の覚悟など、この場で語れるものではない。
三人とも、その“答え”だけは出せない。
だからこそ――沈黙が重く降りた。
ジゼルはその沈黙を破るように、少しだけ笑った。
「ふうん……言うじゃない。まあ、アンタたちに守られるほど、私も柔じゃないわ」
いつも通りを装った。
装うことで、二人を安心させようとした。
二人も、その意図を感じ取った。
深追いはしない。
――今は、三人でいることだけが心強い。
小屋の中に、静かな呼吸だけが重なった。
外では、風が草を揺らし続けていた。
* * *
その夜は長かった。
半人の離れの小屋を与えられた三人。
それぞれが眠れず、眠っては浅く起き、そしてまた沈むように瞼を閉じる――
そんな不安定な夜を繰り返していた。
「……ここは?」
ふとエルが目を開く。
おそらくまた夢の中なのだろう。
だが、今までの暗闇とは明らかに違う。
ひび割れた床。
崩れた柱。
天を覆う、錆びた鉄格子。
両腕にはっきりとした重み。
視線を落とす。
長い黒髪がちらつく。
青白く、骨張った細い腕。
薄く血管の透ける手の甲。
手錠。
延びる鎖。
そして――鉄球。
自分自身が、牢獄に囚われている。
「な、何が起きてるんだ……?」
嗤い声が聞こえた。
牢獄の外に、“エル・オルレアン”が立っている。
「な、なんで、僕が……外に……?」
邪悪な笑みを浮かべながら、“外側のエル・オルレアン”がゆっくりと語りかける。
「大人しくしていろ、器よ」
「獅子の星。勇者の血。それから四元の王――いや、魔王の残滓と言うべきか。これらを御し、貴様の身体を操るのは……いくら私でも骨が折れる」
「その声……! 何をするつもりだ!」
夢の中に度々現れたあの男の声。
その声が、牢獄の外の“エル・オルレアン”から発せられる。
「前に言っただろう……いや、憶えているはずもないか」
男は右手を見つめ、開いては閉じてを繰り返す。
まるで何かを確かめるかのように。
「まあ、よい。奪い返しに行くのだよ、あの竜使いの魔女から」
「竜使いの魔女……? ワシリーサさんのこと……? おい、何を……!」
鉄球に繋がれた鎖は重い。
身動きもままならず、バランスを崩して冷たい石床に倒れ込む。
それでも地に這いながら必死に叫ぶ。
「せいぜい明け方まで、と言ったところだろうな。この身体は馴染みが悪すぎる」
右肩、左肩と順に大きく回す。
次いで首を左右に傾ける。
骨の軋みが牢獄に鈍く響く。
「だが、今宵限りで十分。それまでここで指を咥えて見ていろ――その頃には、全てが終わっているだろう」
背を向けて去っていく影。
エルがいくら叫んでも、声は鉄格子と闇に溶けていく。
* * *
火もない小屋の中。
ジゼルは簡易工房を広げることもせず、地べたに背を預けたまま沈黙していた。
(……独りにはなりたいけど、誰もいないのは嫌……)
複雑な思いが、彼女を小屋の中央から動かせない。
オズもまた、浅い呼吸を繰り返していた。
誰よりも理性的に見える彼でさえ、今夜ばかりは違う。
「……?」
物音に気づく。
横になっていた黒髪――“エル・オルレアン”が静かに身を起こしたのだ。
オズは反射的に声をかけかけたが、喉の奥で言葉が止まる。
(……夜風に当たりたいよな。……そりゃ、そうだよ)
呼び止めなかった。
黒髪の表情は、月明かりを浴びてもなお、影が落ちたように読めない。
ジゼルも顔を上げた。
だが、その気配は――“エル・オルレアン”とは違っていた。
黒髪は扉に手をかける。
その所作は、いつもの彼よりもやけに“大人びて”見えた。
軋む木の音だけを残して、影は夜へと消える。
オズは眉を寄せた。
得体の知れない胸騒ぎが、静かに内側を掻いた。
「……エル、か?」
返事はない。
ジゼルは二度、三度と目をこする。
見たのは間違いなく彼――のはずだった。
「……エル、よね?」
小屋の中で沈むように響いた問いに、返事はなかった。
言葉はただ重さとなって、深く落ちていく。
* * *
半人の集落から見上げる月は、異様に大きく、重たく、低い。
まるでこの世界の輪郭を食い破るように、夜空に浮かんでいた。
黒髪――“エル・オルレアン”は急がない。
ただ堂々と、真っすぐに、集落の出入口へと歩んでいく。
その時だった。
風が止む。
夜が、何者かに握り潰されたように静まり返る。
――闇の中から、黒い外套が現れた。
全身を覆うそれは、内側を完全に隠している。
“エル・オルレアン”はゆっくりと黒い外套を睨み、呟く。
「……貴様は」
黒い外套は近づき、無言で立ち止まった。
“エル・オルレアン”は乾いた嗤いを漏らす。
「そうか……そんなに大事か、この“器”が。なら、丁重に扱わせてもらおう」
二つの影が、すれ違う。
“エル・オルレアン”はそのまま悠然と集落の出入口へ進む。
黒い外套は、彼が出てきた小屋の方へと向かっていった。
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