第五章 第十一節「何も見えていない」
「ワシリーサ! 守れない! 近寄ってくれ!」
「は、はいな!」
オズは視線を巡らせ、見えぬ矢の軌跡を追う。
森の気配が、じりじりと近づいてくる。
「距離が掴めねぇ……さっき、わざと音を出したな!」
背後に、ぴたりとワシリーサの気配。
「恥ずかしがるような柄か! しっかりくっついてろ!」
「くっついてるさ! 男とこんなに近いのは……その、数百年ぶりでな」
緊迫した空気の中、それでもどこか冗談めかした声。
その軽さが、かえって不気味だった。
「気色悪いこと言ってる場合……え?」
違和感。
重さが、ない。
ワシリーサに、重さが――ない。
(……なんだ、これ? ワシリーサの魔法か?)
(いや、もし魔法なら半人たちが反応するはず……)
(そもそも奴らが魔力に反応するなら、あの中型竜を放っておくはずが――)
オズは振り返る。
ワシリーサ越し、視線の先にいるのはスレイヴァン。
老竜と目が合う。
言葉ではない、何かが伝わる。
「ワシリーサ……お前――いや、“お前たち”まさか――」
* * *
オズたちの少し前方――エルとジゼルは、見えない敵に攻めあぐねていた。
「タネはわかったけど、どうする? ……私は遠距離は無理よ。武器も手に取れてないし」
そのとき、後方から声が響いた。
「エル! ジゼル! 戻ってこい!」
二人は同時に振り返る。
霧の向こうで、オズが盾を構えて叫んでいた。
「こいつらは魔力にしか反応しない! 時間は稼ぐ!」
一瞬の逡巡。
すぐに二人は目を合わせ、頷き合う。
「行こう!」
二人が駆け出すのを確認し、オズが盾の持ち手をぎゅっと握りしめた。
「持ちこたえろよ、レメンティア――贖罪の山羊」
盾が淡く金色の光を放つ。
次の瞬間、磨羯宮の星の力が解放される。
さきほどまで飛来していた無数の魔力の矢が、レメンティアから前方へと“吐き出される”ように奔った。
「時間稼ぎってそういうことね……やるじゃない!」
ジゼルは矢の軌跡を見て即座に判断し、簡易工房を展開する。
飛来する矢はない。
――狙われているのは、完全にオズだけ。
無数の矢がオズに向かって降り注ぐ。
しかし、レメンティアの輝きはその全てを飲み込み、砕き、消していく。
「……すげえな。レメンティア、お前なら本当に――“全部”受けきれる」
戦いの中心に立つことすらできなかった過去。
それを覆すように、盾の手応えがオズに“確信”を与えた。
恐怖より先に、自信が生まれる。
余裕が生まれた瞬間――彼の目ははっきりとそれを“視た”。
「この矢……森から感じる魔力と同じ、か?」
森の木々から微かに漏れ出す魔力。
そして、放たれた矢が纏う魔力。
どちらも同じ“源”につながっている。
オズの魔法の目だけが、それを見抜いていた。
「そういうことかよっ! ……二人とも! この森も半人たちの魔法だ!」
前方からの声に、ジゼルは足を止めた。
戦斧ブラウロットを握り直し、森全体を睨みつける。
「ここが魔力そのものなら……! エル! 巻き込まれないでよ!」
「ジゼル! 何する気――!」
「イライラしてたのよ。一方的に狙われてばっかで……!」
叫ぶと同時に、ジゼルは戦斧を振りかぶる。
「かくれんぼが上手いんなら――隠れる場所を奪ってやる!」
森の木々が揺れ動く。
オズに向けられていた敵意が、一斉にジゼルの方へ向きを変え――襲い掛かる。
霧の奥で、影たちが“弓を引く所作”を取った。
同時に、魔力の矢が生まれる。
だが――
精霊魔法を纏ったジゼルの斬撃は、閃光のように森を裂いた。
木々が悲鳴を上げるように倒れ、放たれた矢すらも飲み込んでいく。
倒れた木々の向こうで、霧がざらりと剥がれ落ちた。
隠されていた“幻森”が崩れ、真の森が姿を現す。
霧の中に隠れていた“何か”が揺らぐ。
* * *
風が戻る。
焼け焦げた匂いが流れ、倒れた木々の間から光が差し込んだ。
霧が薄れ、エルとジゼル、そしてオズたちの視界が繋がる。
「……ここまでか」
低い声が、森の奥から響いた。
次の瞬間、灰の向こうに影が現れる。
半人の狩人たち。
弓を構える所作のまま、黒鉄の脚を地に沈め、静かに立ち尽くしていた。
「弓矢の仕組みを見抜き、幻森の正体まで暴いたか……。――貴様ら、一体何者だ?」
半人たちは七名。
その中心に立つ、ひとりの男が口を開く。
「カムラッドの幻森を破り、我らの光の矢を退けた者など初めてだ。狩りをし損ねた気分は――悪くないがな」
その背後から、駆け寄る足音。
エルとジゼルが霧を抜けて現れる。
「『何者だ』ですって? 仕掛けてきたのはそっちでしょ!」
戦斧を構え、ジゼルが半人たちを指す。
「ジゼル! 俺が話す!」
オズの声に、ジゼルが舌打ちして一歩引いた。
「俺たちはツヴァーグラントの王、ボルグ・プレトリウスの依頼を受けた遣いだ」
「依頼の内容は――ここにいる蒼銀の髪を『森の賢人』に会わせることだ」
オズがジゼルを指す。
半人たちがジゼルへと視線を向ける。
「『小人の王』に『蒼銀の髪』……。そうか、“その時”が来たのか」
オズは腰の精霊工芸の袋に手を伸ばし、厚い蓋付きの金属板を取り出す。
蓋を開けると、中には掌ほどの小さな円盤が収められていた。
「これが――遣いである証だ」
それは銀の古い鋳造品だった。
中央にはツヴァーグラント王家に伝わる“古き契約”の紋章。
炎にかざすまでもなく、刻まれた線は淡い青白い光を帯びていた。
半人の戦士たちが、一瞬だけ息を呑む。
「……その印は」
アレッジドがゆっくり近づき、まるで神具を見るような慎重さで手を伸ばす。
「我らの祖が、小人の王と交わした“古き盟約”の証――まさか、今の時代に目にすることになるとはな」
エルが小声でジゼルに囁く。
「あれ、そんなにすごいものなの?」
「……知らないわよ」
ジゼルは視線をわずかに逸らした。
苛立ちとも戸惑いともつかぬ影が、その横顔をかすめる。
アレッジドは印章から目を離さず、低く言った。
「そこにいる蒼銀も含め、偽りは一切ないようだ」
やがて彼は深く頭を下げた。
「私はアレッジド。半人の戦士だ。無礼を許せ、遣いの者たちよ」
「許せですって? 人のことをジロジロと見て……ワシリーサの小型竜も殺しておいて……それで済むと思ってるの!」
「……ジゼル、落ち着いて」
エルが宥める。
半人たちは訝しげな表情を浮かべる。
二人は“まだ”気づいていない。
「貴様らの言う『森の賢人』とは、我らの酋長カムラッドのことだ。案内しよう」
アレッジドが声をかけ、森の奥へ向きを変えようとした。
その瞬間――
オズは一瞬だけ目を閉じた。
胸の奥に渦巻く違和感。
半人たちの“不自然な視線”。
ジゼルの怒りの訳も、ワシリーサの嗚咽も、彼らには届いていない。
(……やっぱり、そういうことか)
永遠にも感じた一瞬の躊躇い。
その答えだけは“外れていてほしい”と願いながら、ゆっくりと口を開く。
「なあ、アレッジド……いくつか、質問をしてもいいか」
「構わない」
「貴方たちには、ここに何人の遣いが見えている?」
「……何を聞いているのか分からないな」
「いいから、答えてくれ」
アレッジドはわずかに眉をひそめ、それでも答える。
「我々の後方に二人、そして目の前の貴様ひとりだな」
口の中が乾く。
喉に貼りついた言葉を、オズは無理やり押し出した。
「俺の後ろにいる――小型竜の亡骸も。中型竜も、見えていないよな」
「さっぱり分からないが……我々には、貴様たち三人以外、何も見えていない」
「……やっぱり、そう、なのか」
オズの瞳から、わずかに力が抜けた。
「は……何言ってるのよ……」
「オズ……どういうこと……?」
半人とのやり取りにも、そしてオズの諦めにも似た納得にも――二人の理解は追いつかない。
オズはゆっくりと後ろを振り向き、彼女に告げた。
「ワシリーサ……お前、霊体だったんだな」
「……ちょ、ちょっと……ま、待ってくれ。あたしが、霊体……?」
ワシリーサの声が震える。
否定というより、信じたくないという響きだった。
その背後で、老竜スレイヴァンが静かに目を閉じる。
まるで、すべてを知っていたかのように――
そして、その長い瞳が、悲しみの色を湛えていた。
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