第五章 第二節「……むしろチャンスかもな」
翌朝、ザスターヴァの街は騒がしかった。
宿を出た三人の耳に、早朝の澄んだ空気を裂くざわめきが届く。
雪を踏み固めた通りの先、取次所の前に人だかりができていた。
男たちが紙束を奪い合い、声が飛ぶ。
「号外だ! ノイエ・クライセン、シャウレスク侵攻へ!」
紙面を一部受け取ったオズが、目を走らせて息を呑んだ。
「……ノイエ・クライセンが、隣国シャウレスクと戦争状態に入ったって」
「え……戦争?」
エルが顔を上げる。
「これってつまり――」
「今はノイエ・クライセンに入れない。国境線も封鎖されるはずだ」
オズの声が低く落ちた。
ジゼルは眉をひそめる。
「どうすんのよ。あそこ抜けなきゃヴィクトリアに行けないんじゃ?」
「ここで足止め食らうのもじり貧だしな……」
オズは両手で頭を押さえ、曇った空を仰いだ。
その視界の端で、取次所の壁に取り付けられた青銅の紋章が鈍く光る。
「……えっ、ここ協会の支所だったのか」
オズが指さすと、エルも目を凝らす。
「本当だ。ガンドールで見たのと同じ紋章だ」
ジゼルが小さく笑った。
「アンタたち、前に来たときは気づかなかったの? ここ、魔法協会の最北支所よ。教会が幅を利かせるローレシアで、協会が表札を出せるのはここだけ」
「……むしろチャンスかもな」
オズが顔を上げる。
「足止めを食らったなら、ここで協会の仕事を請けて少し稼いでいこう」
三人は顔を見合わせ、取次所の扉を押し開けた。
* * *
取次所の二階。
エルとオズは受付に立ち、ジゼルは長椅子に腰を掛けて足をぶらぶらと揺らしていた。
「――確認が取れました。一ツ星魔術師のエル・オルレアン様、二ツ星魔術師のオズワルド・ミラー様ですね」
受付嬢が書簡をめくりながら言う。
オズは頷いた。
「ヴィクトリアに向かいたいんだけど、ノイエ・クライセンを通る以外に行き方はないよね?」
「ええ、残念ながら現在は封鎖中です」
「そしたら、協会の仕事を斡旋してほしい。駄賃を稼がないと宿代も尽きる」
「承知いたしました。ご案内できる任務をお探ししますので、少々お待ちください」
受付嬢が奥へと消え、二人の間に静寂が落ちた。
壁の時計が針を刻む音だけが響く。
「……オズって二ツ星だったんだ」
「ん? ああ。魔導師になるのは大変だけど、協会等級としての魔術師や魔女は実績次第で星が増える。協会からも仕事が来やすいし、ヴィクトリアじゃ星があるほど便利だ」
エルは、かつて星など不要だと言い切った師――マリアの顔を思い浮かべる。
「……星が多い方が、いいの?」
「星の数は信頼の証だよ」
オズは笑う。
「俺の実家は商家だ。星があれば扱える品目が増える。親父も義兄さんも三ツ星だ。魔導師にはなれそうもないが、星の数だけは大事にしてる」
「そうなんだ」
「だからここで協会仕事をこなして、エルも実績を作った方がいい。ヴィクトリアの件もクライセンの件も記録には残せないけど、ブラウロットの大鬼退治なら書ける」
「……あ、そのことなんだけど。記録には残っているかもしれない」
エルが指輪を親指でなぞりながら切り出した。
オズが目を細める。
「ん? どういうことだ?」
エルは小さく息を整え、アナスタシアから聞いた話――
協会の記録庫について静かに伝えた。
聞き終えたオズは短く嘆息した。
「……記録庫か。じゃあ、俺の名前もヴィクトリアの件で残ってるんだろうな」
「多分そうだと思う」
「でも、“誰でも見られるもんじゃない”ってのが救いだな」
オズは腕を組んで続きを言う。
「記録庫はアナスタシア皇帝でも直接見れたわけじゃないんだろ?」
「うん。ビクトルさんに頼んで、許された範囲だけ閲覧したって」
「なら秘匿性は高い。魔導師クラスの専権ってことだろ。だったら、俺たちが協会の仕事を受ける分には、直接の影響はなさそうだ」
エルはようやく肩の力を抜いて頷いた。
「そうだね」
「クライセンの方はそもそも記録すらされていないなら、協会にも限界があるってことだ。……まあ、小さな仕事もコツコツ積み重ねていこうぜ?」
エルが頷いた、ちょうどその時――
奥の扉が開き、受付嬢が書類の束を抱えて戻ってきた。
「大変お待たせいたしました。ご案内できる任務が揃いました」
* * *
依頼書は三件。
それぞれ仕事の内容や詳細条件など、紐にくくられて束になっていた。
「さて、中身の確認だ。一つはイプセン周辺の視察、一つは中央平原北部の環境調査、それとツヴァーグラントへの物資搬入」
三人で依頼書を覗き込む。
オズが眉を寄せた。
「三つ目のは賃金が安いが、簡単にこなせそうだ」
「イプセンなんて面白そうじゃない?」
ジゼルが言う。
「大監獄が見られるわよ」
「いや、クライセン領だ。今の情勢じゃ危険すぎる」
ジゼルは軽く肩をすくめ、あっさりと退けられた提案に口をつぐんだ。
その瞳に一瞬だけ寂しげな光がよぎる――
好奇心ではなく、あの監獄を“自分の目で確かめたい”という思いだったのかもしれない。
沈黙を察したエルが、気まずさをほどくように話題を引き取る。
「中央平原って確か……」
「ああ、旧ガレオンの緩衝地帯だ。今は誰も手を出せない場所だけどな」
しばし沈黙。
窓の外で風が軒を鳴らした。
「……今回は、物資搬入にしよう」
受付嬢が控えめに近づき、封印の押された紙片の小箱を差し出す。
「物資搬入の件、出立前に協会の検印をお受け取りください。ツヴァーグラント側で受領印をいただければ、報酬が確定いたします」
「了解。ザスターヴァを一旦の拠点にする」
オズが受け取って頷く。
「ツヴァーグラントは徒歩で半日。往復しても一日、距離としては悪くない。荷は食料と薬草――戦地支援の一環らしい」
ジゼルが薄く笑った。
「ボルグの顔を見ることになるわね。もし会ったら言ってやるわ、『ブラウロットの問題は、私たちで解決してきた』って」
オズは苦笑する。
「頼むから、手は出さないでくれよ」
エルが小さく笑った。
ジゼルは荷札を手に取り、立ち上がる。
「人を何だと思ってるのよ? ねえ、出発は明朝にしましょう。今行って、ツヴァーグラントで一晩過ごすのはごめんだわ」
三人は肩を並べ、取次所を後にした。
夜が深まり、雪は静かに降り積もっていく。
それでも街の鈴だけは、変わらず風に揺れていた。
* * *
翌朝。
薄明の色が石畳に落ち、白い吐息が風に散る。
三人は南へ向いた街門の前に立っていた。
「半日で着く距離ではあるけど、ツヴァーグラントはノイエ・クライセンともシャウレスクとも接する国だ。いちおう、気は引き締めていこう」
オズが言う。
「……分かってるわよ」
ジゼルは外套の襟を立てた。
エルは夜明け前の空を仰ぐ。
「……行こう。ツヴァーグラントへ」
短く風が鳴り、門の鎖がひとつだけ音を立てた。
雪を踏みしめながら三人は南へ――
槌と鶴嘴の国、ツヴァーグラントへ向けて歩き出した。
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