第四章 第二十二節「――両の手を組みなさい」
目を開くと、そこは真っ暗な空間だった。
「ここは……」
エル・オルレアンは暗闇の中で手を伸ばす。
伸ばした手は、何も掴めない。
「まさか――飲み込まれた……?」
額から汗が滲む。
ただ、寝ていただけだったはずだ。
魔法は使っていない。
なのに――
「……オズ! ……ジゼル!」
仲間の名を叫ぶ。
声は暗闇に飲み込まれ、反響もない。
誰にも届いていないのか、誰もここにいないのかも分からない。
暗闇のなか、必死で辺りを見回す。
どこを見ても黒。
一筋の光すら見当たらない。
「一体何が起きてるんだ……? やっぱり僕が何かを、した?」
強く握った掌が滑る。
身体が重く、動くたびに暗闇に吸い込まれるようだ。
「明かり……明かりだ」
エルは掌に力を込め、火のイメージを描く。
しかし暗闇の中、火は立ち上がらない。
「クソ……どうなってるんだ!」
叫んでも返事はない。
空虚。
諦観が胸を締めつけ、暗闇に溶け込んでいくかのようにしゃがもうとした。
そのとき――
「見つけた」
闇が裂けた。
――目が覚めた。
息が荒い。
しかし、全てが“見える”。
全てが“聞こえる”。
ローレシアの朝。
雪の白に包まれた薄暗さ。
二階建てのベッドの上段。
下段からはオズの寝息。
まるで、今までが暗闇に隔離されていたかのようだった。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
背筋を伝う汗が止まらない。
胸の奥には、まだ悪夢の残滓が微かに残っていた。
このことは――まだ二人には言えない。
* * *
小人たちの葬儀が終わり、ブラウロットには再び鎚音と灯火が戻っていた。
ジゼル・ブラウロットは姉の頭領ヘルガや職人たちと工房に籠もり、炉に向かい続ける。
一方エルは、傷の癒えたオズワルド・ミラーと共にローレシア帝都サンクト=アレクサンドロフの魔導師団『赤頭巾』の庇護を受けていた。
整然とした兵舎の規律は安全を与えるが、それはどこか“仮の居場所”に過ぎない。
* * *
『赤頭巾』の訓練場。
対峙するのはエルと、片腕に巨大な砲身を備えた青年――ビクトル・ヴズルイフ。
その右腕に取り付けられたのは、ヘルガと共作した魔導器『灼砲スルト』。
模擬戦とはいえ、場内の空気には緊張が張り詰めていた。
「いいか、手短に。触媒魔法と対する上で大切なのは――触媒の正面には立たないことだ」
低い声と共に、魔杖の先端が青く光を帯びる。
「ヴォジャニク、霜幕」
霜の靄が一気に広がり、視界を覆う。
エルは咄嗟に風の理を呼び、白い幕を吹き払った。
「これは視界を奪うだけだが、それそのものが死をもたらす一撃になる。魔導器は特に注意しろ」
霜の彼方から影が迫る。
ビクトルはすでに間合いを詰め、エルは土壁を錬成して防ごうとする。
「ヴォジャニク、乾帯」
青光が奔り、土壁は一瞬にして潤いを失い、干からびて崩れ落ちた。
砕けた先には、鋼鉄の砲身が冷たく構えられている。
「魔法だけが武器ではない。その質量が武器になることも忘れるな」
砲身が横薙ぎに振り抜かれ、エルは殴られる寸前で身を竦めた。
だが直前でぴたりと止まる。
息を呑んだエルは、錬成していた鉄の剣を消し、両手を挙げる。
「今のは基礎中の基礎だが、魔法使いであっても体術は怠るな」
「はい……ありがとうございました」
「エル、お前は剣術の訓練をしていたのだろう。その動きができるのは良いことだ」
訓練場の隅には、すでに稽古を終えて座り込んでいるオズの姿。
汗にまみれ、肩で息をしながら、悔しげに笑う。
「やっぱエルの方が良い動きするよな……俺ももっとちゃんと剣を振っておけば良かったよ」
「案ずるなオズ、初日のへっぴり腰から考えたら大分成長はした」
ビクトルから出た意外な言葉に、オズは思わず目を丸くする。
「まあ……俺がお前の指揮官ならば、まだ戦場には出さないがな」
「へっぴり腰って……」
苦笑するオズに、エルも釣られて笑みをこぼした。
その時、訓練場の扉が音を立てて開く。
「あら、随分と楽しそうにしてるわね」
煤の匂いを纏い、蒼銀の髪を揺らしてジゼルが顔を見せた。
「ジゼル!」
声が揃う。
「なんとか出来たわよ。アンタたちの魔導具……仕上げがあるから、一度工房に来て。ビクトル、稽古は終わってる?」
「ああ、今日はここまでだ。――エル、オズ、行ってこい」
三人は頷き合い、雪原の気配を残す空気を背に、ブラウロットの本工房へと向かった。
* * *
ブラウロットの居住区からは、かつて漂っていた魔素や瘴気はもはや感じられなかった。
本工房の炉に火が点じられ、煙突からは白い煙がたなびく。
小人たちの笑い声と鎚音が重なり合い、ツヴァーグラントでは決して味わえなかった開放感が街を包んでいた。
ジゼルの案内で、かつては閉ざされていた本工房の扉を潜る。
中では数多の職人たちが炉に鉱物を投じ、火花を浴びながら鎚を振るっていた。
まるで止まっていた時間が再び動き出したかのように、熱と光が溢れている。
奥へ進むと、ブラウロットの一族だけが立ち入れる専用の工房があった。
エルとオズが中へ通されると、ジゼルは振り返り、短く告げる。
「準備してくるから、中で待ってなさい」
中に入ると、頭領ヘルガが待っていた。
これまでの逞しい作業着姿ではなく、今日は白銀の装束をまとっている。
「おお、中人たち。今回は本当に世話になった」
「こちらこそ、ありがとうございます」
装いには触れず、ふたりはただ一礼した。
エルが一歩進み出る。
「ヘルガさん……ジゼルが“仕上げ”があると言っていましたが、何をするんですか?」
「ああ、簡単に言えば儀式だ」
ヘルガの声は低く、しかし重みを帯びていた。
「我らが鍛えた品が、使用者と共に神の加護を受けられるように。……本来なら、共同体の聖鍛の巫女でもある私が鉱歌を唱えるところだが、今回は――“特別”だ」
その時、扉が軋みを立てて開いた。
炉の光に照らされ、束ねられた蒼銀の髪が白く輝く。
「お待たせ。――じゃあ、早速やるわよ」
ジゼルが姿を現した。
彼女もまた白銀の装束を纏い、普段の煤にまみれた職人の姿ではない。
炉火のように煌めくヘルガの白銀衣と、雪光のように澄むジゼルの白銀衣――
二人はそれぞれ“紅銀”と“蒼銀”の巫女として台座の左右に立った。
工房の中央に据えられた台座には純白の布がかけられている。
炉火が微かに揺らぐなか、二人の巫女が台座を挟んで向かい合い、ゆっくりと布を払った。
露わになったのは二つの魔導具。
黒鉄の盾――十字と山羊の顔を象った装飾は、重く深い影を落とす。
黄金の指輪――緋色の魔導石が嵌め込まれ、燃えるような輝きで炉の炎を映す。
白銀の装束に身を包んだジゼルが、ゆっくりと歩み出る。
その声音は、いつものぶっきらぼうな職人のものではなく、巫女としての格調を帯びていた。
「オズワルド・ミラー――」
呼ばれた名に、オズの背が震える。
黒鉄の盾が、低く鳴動した。
「貴方の贖罪は、其の盾を介して、嘆きと化す。其の名は――嘆きの涙」
言霊が落ちると同時に、盾の紋が淡く赤黒く光り、重々しい響きが工房全体に広がった。
ジゼルは次に、指輪へと手をかざす。
緋石が待ちかねたように、紅の光を瞬かせる。
「エル・オルレアン――」
彼女の声が響き、エルは息を呑む。
「其の指輪は、貴方の理を戒め、鎮める尾となろう。其の名は――獅子の尾」
名を告げられた瞬間、黄金の輪が脈動するように熱を帯び、緋色の石が心臓の鼓動に呼応した。
ジゼルは二人を見渡し、静かに命じる。
「――両の手を組みなさい」
エルとオズは視線を交わし、そっと両手を取り合った。
黒鉄の冷たさと黄金の熱が、ひとつの祈りの中で触れ合う。
その姿を確かめたヘルガが頷き、ジゼルと向かい合う。
二人の口から、同時に声が放たれた。
意味を結ばぬ古の響き。
低くは大地を打つ鎚の音のように、高くは鉱石が澄んだ音を放つように。
言葉ではない旋律が工房を満たし、空気そのものを震わせていく。
エルとオズには理解できなかった。
だが胸の奥の鼓動が、いつしかその律に合わせて鳴りはじめる。
祈りの中で、レメンティアとデネボラが共鳴するように震え、淡い光を帯びた。
やがて声は静まり、光は徐々に収まっていく。
残されたのは、祈りの温もりを宿した二つの魔導具と、深い静寂だけだった。
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