第四章 第十八節「俺の命は、二人に託す」
坑道の奥に立ちはだかっていたのは、常軌を逸した巨影だった。
全身は鉱石で覆われ、結晶が岩のように隆起し、鋼鉄の鎧のごとく身体を包み込んでいる。
装甲の隙間からのぞく肌は灰白色でひび割れ、瘴気に焼かれたかのように爛れていた。
濁った黄白の双眸は光を嫌うように細められていた。
――それでも、執拗にジゼル・ブラウロットのみを捉え続けている。
「こいつ……ッ!」
振り下ろされた拳が岩盤を砕き、坑道全体が大きく震動する。
岩床がうねり、天井の礫がぱらぱらと落ちてくる。
ただの一撃が地震のごとき衝撃をもたらし、その場にいるだけで膝が軋む。
巨体の動きは鈍重――しかし、一撃を食らえば即死は免れない。
圧倒的な膂力と執拗さ、その二つだけで成り立つ怪物。
ジゼルは斧を構えて飛び込み、刃を叩き込む。
だが装甲のごとく鉱石を纏った外皮に弾かれて火花が散り、砕けるのは戦斧の刃こぼれだけだ。
「……駄目だ、通らない!」
火は使えない。
ならば――と、エル・オルレアンの風刃が閃いた。
しかし鉱石を削るには至らず、切っ先は瘴気に呑まれて虚しく散る。
オズワルド・ミラーの瞳が大鬼を見据える。
魔眼で“膜”の薄い箇所を探るが、見当たらない。
全身を覆う鉱石は完全なる防壁であり、どこにも綻びはなかった。
「……弱点が、ない……のか?」
大鬼は転ばされても怯まず、ただ一途にジゼルを追う。
その口元が嗜虐的に歪み、腐臭を伴った息を吐きながら、ふたたび拳を振り下ろした。
ジゼルの斧が再び鉱石装甲に弾かれ、刃こぼれを起こしながら火花を散らす。
彼女は短く呪を紡ぎ、刃に手をかざした。
「――鉱歌」
低い響きが坑道に満ち、戦斧の刃はたちまち修復される。
銀は新たな光を帯び、刃は鋭さを取り戻した。
「……!」
オズの目が細くなる。
ただの修復ではない。
刃の輝きは、先ほどより確かに強度を増していた。
あれは、ただの道具強化ではなく――
「ジゼル! なんだ今の!」
「答える暇なんてないの!」
彼女はオズの方に振り向きもせず、なおも巨体に斧を叩きつけ続ける。
オズは舌打ちし、声を張った。
「ああもう、冷静になれって! ……エル! 無理やりでもいいからジゼルをこっちに!」
「無理やりって……ジゼル、ごめん!」
跳躍するジゼルの足元から土の柱が突き出し、彼女の体を横に弾き飛ばす。
怒りに満ちた瞳が、土煙の中でエルを睨みつけた。
「くっ……! どこ狙ってんのよエル!」
その肩を後ろから強く押さえつける手。オズだ。
「ジゼル! 話を聞け!」
「離して! あの化け物は私が!」
「いいから答えろ! 今の斧、何をした!」
「……鉱歌よ! 精霊魔法を刃に纏わせて鍛え直したの! 工具を補強する術を斧に応用してるの!」
オズの瞳が大きく開かれた。
「……なるほどな。だったら――エルが作った鉄にも使えるのか?」
ジゼルは一瞬、息を呑んだ。
「魔法でも……効果は出るはず。でも、アンタ何を――」
「そうと決まれば……エル! 少し時間を稼いでくれ!」
「わかった、どうにかする!」
エルは深く息を吸い、魔力を練り上げる。
風の奔流が灯苔を舞い上げ、散らばった灯苔が大鬼の目元に飛び散った。
「動きは遅いんだ……これでバランスを崩せる!」
濁った双眸が眩しさに細められる刹那、足元に鉄の柱が突き上がる。
大鬼は体勢を崩し、重い身体を岩盤に叩きつけた。
坑道全体が轟音を立てて揺れる。
「よしっ! エル、今のうちに!」
坑道に沈む大鬼を見届け、オズはエルを手招きする。
エルが二人の下に戻ると、オズは矢継ぎ早に話し出した。
「大鬼の弱点は土蛇と同じで、あの鉱石の身体の中身だ」
「でも、どうやったって外からじゃ叩けない! どうする気よ!」
「土蛇と同じだって言ったろ? 中身に直接攻撃を与えればいい。だから――」
オズの言葉にエルとジゼルは目を見開く。
「……何言ってんのよ、この馬鹿! 下手したら死ぬわよ!」
「なんだよ、人を気遣う余裕は戻ってきたじゃんか?」
ジゼルは口を噤み、わずかに悔しげに視線を逸らす。
エルは少し沈黙した後、短く頷いた。
「……僕も反対だけど、現状を打開するならそれしかないかもしれない」
エルの答えを聞いて、オズは静かに頷いた。
「試してみる価値は十分にあるだろ? ――俺の命は、二人に託す」
両手で二人の肩をポンと叩くと、顔を上げたオズは口角を吊り上げた。
「……だから、とびっきりのを頼むぜ」
その声にエルとジゼルは短く頷いた。
轟音とともに崩れ落ちた巨体が、岩盤を震わせて身じろぎする。
砕けた岩片を払いのけるように腕を振り、ゆっくりと、大鬼は立ち上がった。
さきほどの転倒で装甲には細かな亀裂が走っていたが、濁った眼はなお真っ直ぐにジゼルを捉えている。
その口元が嗜虐的に歪み、次の瞬間、巨拳が唸りを上げて振り下ろされた。
「――死なないでよ、オズ」
ジゼルは咄嗟に身を翻し、岩肌を蹴って後方へ跳ぶ。
その拳は地を揺らすはずだった――。
「ぐっ……! うぉおおおお!」
大鬼の拳は何かにぶつかり、鈍い衝撃が走る。
それは装飾のない円形の盾。
構える者は――オズワルド・ミラー。
エルが鉄魔法で作り、ジゼルが鉱歌で補強した即席の盾。
それを構え、全身で大鬼の拳を受け止める。
(いってぇ……! でも……受けられてる!)
視界が白く弾け、衝撃が骨にまで突き抜ける。
だが、盾は砕けなかった。
「これで返せなかったら……逃げるしかねえ……!」
オズは血を吐くように呻きながらも、歯を食いしばる。
「頼む――贖罪の山羊ッ!」
次の瞬間、盾とオズの身体を中心に眩い光が炸裂し、坑道を覆う闇を白く塗り替えた。
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次回更新は10/29(水)20時頃の予定です!
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