第四章 第十七節「あれは、ただの怪物だ」
昇降台に飾られた鉱石へ、ジゼル・ブラウロットが掌をかざす。
青白い光が淡く揺れ、沈黙していた機構が重苦しい音を立てて動き出した。
長らく封鎖され、魔素に侵されていたのだろう。
鎖が軋み、木の床板は悲鳴のように鳴いた。
ゆっくりと下層へと降りていく。
しかし、降下の最中からすでに分かる――この先が魔素の発生源だということが。
喉を焼くような濃さ。肌にまとわりつき、肺の奥まで入り込んでくる。
マスクの上から口元を押さえ、オズワルド・ミラーが低く吐き出した。
「……間違いないな。元凶はこの先だ」
エル・オルレアンはゆっくりと頷く。
ジゼルは無言のまま、斧の柄を強く握りしめていた。
やがて鉱石の青白い光は消え、昇降台が重い衝撃音を響かせて止まった。
「……着いたわよ」
三人は足を踏み出し、周囲を見渡す。
岩壁に植え込まれた灯苔はすでに萎れ、上層よりもさらに頼りない光しか放たない。
視界は闇に閉ざされ、吐息さえ重く響いた。
だが、光が届かずとも分かる。
皮膚を突き刺すような痛み。
全身に鉛を載せられたかのような重み。
それらは錯覚ではなく、空気に混じった“力”そのものだった。
存在そのものが魔力となり、押し寄せてくる圧。
肺は呼吸を拒み、心臓の鼓動さえ抑え込まれるようだ。
ただ立っているだけで、抗いがたい敵意に膝が軋む。
大鬼は、この先にいる――。
ジゼルは斧を握り直し、エルとオズを順に見やった。
二人は迷いなく頷く。
次の瞬間――呻き声とも咀嚼音ともつかぬ、湿った音が坑道に響いた。
骨を噛み砕くような乾いた響きと、肉を引き裂くねっとりとした音が混ざり合い、耳の奥を汚す。
間を置いて、荒い鼻息がぶつ切りに空気を震わせ、湿った吐息が瘴気と混じりあう。
魔素や瘴気の臭気に混じって、別の匂いが鼻を突いた。
――腐敗臭。
生き物の肉が腐り、崩れ落ちる臭い。
血がぬるま湯のように腐っていく臭い。
それが坑道全体に染みついて、マスク越しでも鼻腔を刺す。
喉が焼け、胃が裏返りそうになる。
エルは思わず吐息を詰まらせ、オズは眉をしかめてマスクを押さえる。
ジゼルの掌は自然と斧の柄を強く握り込み、白くなるほどに力がこもっていた。
三人は自然と足を止める。
灯苔の頼りない光が、薄暗い坑道の奥をじわりと舐めるように照らし出した。
そこに、確かに“それ”はいた。
背を向け、岩盤を椅子代わりに腰を下ろし、何かを一心不乱に貪っている巨影。
一噛みごとに骨が砕け、肉が裂ける湿った音が坑道に響く。
そのたびに、岩壁がびりびりと震え、肉片が闇に飛び散る。
その傍ら――崩れた岩壁からは、淡く金色に輝く鉱石が覗いていた。
まるで聖なる光のように煌めいている。
だが、その光に照らし出されたものは――惨劇だった。
弱々しい灯苔と金色の鉱石の輝きが交錯し、地面一帯を照らし出す。
そこに散らばっていたのは、無惨に食い荒らされた小人の屍骸。
血濡れの腕が転がり落ちている。
砕けた頭蓋が壁際に押し付けられている。
喰いちぎられた脚はまだ肉を残したまま無造作に放られている。
それらが血溜まりに沈み、腐敗臭と咀嚼音が混ざり合い、坑道全体を冒涜していた。
光と臭気が織りなす惨状は、視界を覆い、耳を塞ぎ、肺の奥まで満たしてくる。
生者の存在そのものを拒絶する地獄。
――その瞬間。
「この化け物がぁあああッ!!」
ジゼルは思考の一片もなく、怒りだけを爆発させた。
地を割るほどの跳躍。
戦斧が閃光を描き、怪物の背に思い切り叩きつけられた。
金属を叩き割ったかのような轟音。
刃は肉に届かず、火花を散らして弾かれた。
「クソッ! クソッ! 返せッ! 私たちの……仲間をぉおおおッ!」
全身が熱に焼かれるように震え、顔を真っ赤に紅潮させ、瞳は怒りで濁る。
怒りのままに連撃を浴びせる。
斧は確かに命中している。
だが怪物は、まるで気づいていないかのように“食事”を続けていた。
骨を噛み砕く音、血肉を啜る音――その不気味な咀嚼音だけが坑道に響き続ける。
凄惨な光景を前に、エルとオズは時を止められたかのように硬直していた。
「……ッ!」
先に動き出したエルは、吐き気を堪えるように口元を押さえた。
その胸に去来するのは怒りか、恐怖か。
目を逸らしてはいけないと分かっていても、喉の奥から込み上げるものを抑えきれない。
次いでオズは顔を引きつらせ、低く吐き捨てた。
「……小鬼たちには本当に申し訳なかった。あれは、ただの怪物だ」
すぐに我に返り、声を張る。
「エル! ジゼルの援護を! 俺は観察に回る!」
「……わかった!」
エルは風刃を連続して放ち、怪物に注意を向けさせようとする。
左手の獅子の星痕が淡く光り、視界に強く焼きついた。
ジゼルは宙を舞い、両腕で斧を振り下ろす。
だがまたも、火花と金属音。
刃こぼれを起こした斧が悲鳴をあげる。
「背中は無理か……! なら、前を向け!」
エルは大鬼の正面へ鉄柱を伸ばし、その顔面を直撃させた。
衝突音が採掘場内を響き渡る。
岩盤を揺るがす衝撃。
巨体が地に崩れ、洞窟全体が震動する。
やがて大鬼は天井を仰ぎながら、ゆっくりと起き上がった。
口元から滴る血、その間から咀嚼しきれず残った小人の脚部が突き出ている。
「……!」
エルの顔から血の気が引く。
胃の底を抉られるような嫌悪が込み上げた。
大鬼はぐるりと首を回し、三人を正面から見据えた。
その濁った瞳がジゼルに止まる。
まるで、口にしたドワーフの味を思い返すかのように。
そして――嗜虐的に口角を吊り上げた。
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次回更新は10/27(月)20時頃の予定です!
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