第一章 第六節「自由と祈りのあいだ」
イエロたちと別れ、次の目的地に向かう二人。
そこでエルを待ち受けていたのは、衝撃的な光景だった。
「教会」での“再会”と“確信”の物語をお届けします。
門扉の前、夕陽に照らされた石畳の上に三つの影が伸びていた。
『リベルタ自由軍』の本拠を背にして、イエロが最後のひと言を告げる。
「剣術の稽古、したくなったらいつでも来い。こっちは歓迎するぜ」
そう言って、豪快に片手を挙げる。
エルはまっすぐに頭を下げた。
「……はい。ありがとうございました」
言葉は簡潔だったが、その声音には確かな敬意がこもっていた。
イエロはニヤリと笑うと、背を向けて砦の奥へと戻っていく。
その背を見送る途中で、マリアがふと口を開いた。
「そういえば、ダビデは?」
イエロの足が少しだけ止まる。
「野暮用でクライセンに行ってる。しばらくは戻って来んだろうな」
「……あれはあれで、忙しい人みたいね」
マリアはそれ以上、詮索しようとする素振りも見せずに言った。
エルはその会話を黙って聞いていたが、イエロの背が完全に見えなくなった後、そっと尋ねた。
「……ダビデって、誰ですか?」
マリアは少しだけ目を細めて、空を見上げた。
「リベルタの、自由の象徴よ」
それだけを告げると、彼女はくるりと踵を返した。
エルは一瞬戸惑い、辺りを見渡す。
「……帰り道は、あっちじゃないですか?」
「忘れたの? 言ったでしょ、洗礼を受けてもらうって」
「あ、そういえば……ということは、今から教会に向かうんですね」
教会の言葉に反応して、マリアの足取りが、わずかにぎこちなくなる。
「……? どうしました?」
「べ、別に。……ほら、行くわよ」
いつもより少しだけ速くなる歩調。
肩にかかった髪をしきりに払ったり、懐を何度も触ったり――どこか落ち着きがない。
(……なんだろう。マリアさん、なんか……そわそわしてる?)
エルは首をかしげつつも、何も言わずにその背中を追った。
やがて路地が開け、視界に入ってきたのは街で一番高く、白い建物だった。
その塔には鐘があり、扉には祈りの紋章が刻まれていた。
* * *
街の喧騒から一歩離れた場所に、その建物はあった。
鐘楼と白い石壁、祈りの紋章を刻んだ扉。
それは、誰が見ても神聖な場所だと分かるような存在感を放っていた。
「……すごい。立派な建物だな」
エルは自然とそんな言葉を漏らしていた。
帝都ロワイヤルには、教会がなかった。
信仰を政治から遠ざけるという名目で、政策として宗教施設の建設は禁止されていたからだ。
彼にとって、それは“知識として知っていた”ものであり、“初めて見る現実”だった。
だが――
マリアは、教会の正面を足早に通り過ぎた。
そして、その隣にあるやや控えめな建物の方へと向かっていく。
「え……そっち?」
「ここでしばらく待ってなさい」
それだけ言うと、マリアは小さな扉から中へと姿を消した。
エルは戸口の前に佇み、空を仰ぐ。
鳥のさえずりと、遠くで鳴る鐘の音だけが響いていた。
数分後――
扉が再び開き、そこから現われたのは――見覚えのあるような、まるで別人のような女性だった。
「……マリア、さん?」
「……あまり見るな」
修道服に身を包んだマリアは、頬を少しだけ赤らめながらそう言った。
その装いは驚くほど似合っていた。
だが、彼女自身がそれを言われ慣れていないことは、すぐに分かった。
「じゃあ、行きましょうか」
今度こそ、ふたりは教会の正面扉をくぐった。
聖堂の中は、静寂と光に満ちていた。
高い天井から差し込む陽光が、色ガラスを通して虹のような影を床に描いている。
木の香りと蝋燭の煙が、どこか安心感を与えてくれる。
その中央――数名の修道女たちがひざまずき、祈りを捧げていた。
その中のひとりを見つけた瞬間。
「クローチェ!!」
耳をつんざくような声が聖堂に響いた。
エルは反射的に耳を押さえる。
マリアは走り出していた。祈る修道女の背へ、勢いよく抱きつく。
「きゃっ……! お、お姉ちゃん、神の御前ですよ……!」
困惑しながらも、声の主は優しくマリアを宥めた。
マリアはしばらくその修道女に抱きついたまま動こうとしなかった。
その腕に込められた力が、どれだけこの再会を待ち望んでいたかを語っている。
「……あー、もう。クローチェ、なんで連絡くれなかったのよ! お姉ちゃん、ずっと気になってたんだから!」
「お姉ちゃん……ほんとに、いい加減にして。神の御前ですよ……」
クローチェは困り顔でエルに目をやる。
「あの……そちらの方は?」
「ん? ああ!」
マリアはやっと顔を上げると、先ほどまで抱きついていた修道女からパッと離れる。
そして、全然悪びれることなくエルに近づき、肩をばんばんと叩く。
「この子はね、エル。……あ、違うわよ! オリヴィアに押し付けられたんだから!」
「誰もそんなことを気になんか……えっ、オリヴィアさんに……?」
クローチェは驚いたようにエルを見つめた。
その視線には戸惑いと、微かな期待が混ざっていた。
「……あの、オリヴィアさんのこと、知ってるんですか?」
「もちろん。オリヴィアさんは、昔からお姉ちゃんの……って、え? あの人が、あなたを選んだの?」
クローチェは驚きながらも、どこか確かめるような眼差しでエルを見つめた。
エルは少し戸惑いながら、ぺこりと頭を下げた。
「……エル・オルレアンといいます。はじめまして」
目の前の修道女は、自分とそう歳も変わらなそうだった。
しかし、どこか大人びて見えるところもあり、どこかあどけなさも残している――そんな、不思議な魅力を感じさせた。
「クローチェ・クルスです。見ての通り、姉に振り回されてます……」
「えー、何よその言い方! そんなことないでしょ?」
「……毎回じゃないだけです」
エルはなんとも言えない表情で、ふたりのやり取りを見守っていた。
やがて、マリアはクローチェの耳元にそっと口を寄せる。
「ねえ、クローチェ……この子、“星”かもしれないの」
クローチェは一瞬だけ驚いたように目を見開き、再びエルに視線を向けた。
そして、ゆっくりと頷く。
「ええ。夢に見た通りです」
マリアはふっと表情を緩め、愛おしそうにクローチェの頬を撫でた。
「そう、分かったわ。ありがとう。私の愛しきクローチェ」
「……私の見た夢では、ここまでお姉ちゃんが甘えて来ませんでしたが」
「ちょっと! 何その言い方!」
エルは再び、ただ呆然とその光景を眺めていた。
「自由と祈りのあいだ」、お読みいただきありがとうございました。
今回は、マリアとクローチェの姉妹らしいやり取りを交えつつ、
エルと“星”の関係にまた一つ、新しい光が射し込む回でした。
次回は、いよいよエルが“魔法使い(メイガス)”として第一歩を踏み出す、
“洗礼”の儀式が描かれます。
次回は6/15(日)12:00頃に投稿予定です、お楽しみに!