第四章 第十二節「ズルいわよね」
工房の空気は、まだ凍りついたままだった。
ドリュオンズの名が落とした影は、誰一人としてすぐには拭えない。
ジゼル・ブラウロットは俯いたまま、震える唇を噛んだ。
やがて顔を上げる。
「……なら、確かめに行かなきゃ」
静かな声に、エル・オルレアンとオズワルド・ミラーが同時に目を向ける。
「鉱山の空洞と、あの金色の鉱物……全部つながっているかもしれない。調べる必要があります」
エルが頷きながら話し始めると、オズも続ける。
「放っといてまた何か起きたら、それこそ手遅れだ」
ヘルガは唇を歪め、荒々しく吐き捨てた。
「馬鹿言うな! 鉱山は私たちの山だ。共同体の問題は、私たちで片づける」
その声には怒りと同時に、焦燥が滲んでいた。
しかし、杖を突く音が静かに響く。
グリムホルトが二人を制した。
「……それでも、戦える者が今どれだけ残っておる?」
ヘルガの表情が一瞬で凍る。
グリムホルトは揺るがぬ眼差しで続けた。
「大広間で寝ておる同胞を見ただろう。今動けるのは、お主と……この老いぼれくらいのもの。ジゼルと、その仲間の力を借りねばならぬ」
沈黙。
長い時間をかけて、ヘルガは目を閉じ、やがて開いた。
「……一晩考える」
「分かったわ、明日またここに来るから」
ジゼルはそう返すと、ヘルガに背を向けて歩き出した。
「行くわよ」と告げられたエルとオズは、ジゼルの後を追う。
簡易工房を出て、ジゼルはアナスタシアから預かった鈴を鳴らす。
澄んだ音が夜の回廊に広がると直後、三人の足元に魔法陣が浮かび上がり、淡い光を放って三人を飲み込んだ。
「……なあ、じいさん」
光と共に消えていった三人を見届けた後、ヘルガは呟いた。
「ドリュオンズは……血の呪いは……いつまで私たちを苦しめるんだ?」
先ほどまでとは比べ物にならない消え入りそうな声。
グリムホルトはただ、強く杖を握り締めるばかりだった。
* * *
揺らしてもいないのに、鈴の澄んだ音が再び響いた。
次の瞬間、足元に淡い魔法陣が浮かび上がり、三人を静かな光で包み込む。
視界が切り替わったとき、彼らはすでに大広間ではなかった。
石の床は冷たくも磨き上げられ、壁は白く、余計な装飾はほとんどない。
机と椅子、寝台がひとつ――整えられてはいるが、驚くほど質素な部屋だった。
窓辺には小さな鉢植えがひとつだけ置かれている。
白い花弁が雪明かりを受け、夜気に揺れて淡く光を返していた。
それだけが室内に彩りを添えており、むしろ祈りの場のような静謐さを漂わせていた。
「……個室、かな?」
オズが思わず小声で洩らす。
ジゼルは唇を吊り上げ、軽口を叩いた。
「多分、アーニャの部屋ね。あんまり見回さないこと。……変な誤解されたくないでしょ、モジャ」
「そ、そんなつもりは!」
真っ赤になって慌てふためくオズの姿に、エルも小さく息を吐いた。
その反応に、ジゼルの気配もわずかに柔らぐ。
張り詰めていた工房での空気から解き放たれ、ようやく「いつものジゼル」に戻ったのだと分かり、エルの胸にも少し安堵が広がった。
ジゼルはふと真顔に戻り、二人へと視線を向ける。
「……さっきは取り乱して悪かったわね。でも、もう大丈夫。やることはハッキリしたから」
エルもオズも力強く頷いた。
そのとき、音もなく重い扉が開く。
蒼い瞳が室内を見渡す。
皇帝アナスタシア。
しかし今の彼女は、公の場に立つ「陛下」ではなく、かつて泣き虫だった「アーニャ」の面影を宿していた。
「おかえりなさい。……ヘルガ様との再会は、どうだった?」
ジゼルは椅子から立ち上がり、自然に笑みを返す。
「ありがとう、アーニャ。おかげで色々と前に進みそう。……ブラウロットの調査に行くわ」
アナスタシアはしばし言葉を失い、やがて小さく頷いた。
「そうなのね……ごめんなさい。本当ならローレシアが動くのが一番いいことは分かっているの。でも――」
オズが思わず問いかける。
「魔法騎士団は……動かせないんですよね?」
「ええ」
アナスタシアは苦渋を滲ませて答える。
「国内に直接の脅威が及んでいない以上、我が国の魔法騎士団――軍神隊を動かすことはできません」
エルが問を重ねる。
「……ビクトルさんたちも?」
「赤頭巾も同じ、制度がそう定めているの……私自身、もどかしくて仕方ないのだけれど、こればかりは私が皇帝陛下でもどうしようもできなかったの」
自嘲気味に笑うアナスタシアに対して、ジゼルは首を振り、穏やかな声で遮った。
「アーニャが気にすることじゃないわ。それに、危機に瀕したブラウロットを受け入れてくれただけでも……ヘルガはきっと感謝してる」
ジゼルの言葉に、アナスタシアはほんの一瞬だけ肩の力を抜いた。
「……そう言ってもらえると嬉しいわ。それに――」
しかし、言葉はそこで途切れた。
視線を伏せ、唇を噛む。
「……アーニャ?」
ジゼルが訝しげに呼びかける。
「ごめんなさい、何でもないの」
アナスタシアは小さく首を振り、表情を整える。
「さあ、今日はもう遅いわ。客室を手配したから、そこで休んで」
ジゼルはなおも不審を抱いたままだったが、それ以上は追及しなかった。
三人が一礼して部屋を後にすると、扉は静かに閉じられる。
残されたアナスタシアは窓辺の花に視線を落とし、ひとり小さく呟いた。
「……そうなることを期待していたなんて、ズルいわよね」
窓辺の花弁がひとひら、夜気に揺れて散った。
静かな吐息が、雪明かりに溶けていった。
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