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亡国のステラリア  作者: 黒瀬 行杜
第四章
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第四章 第十一節「この馬鹿娘が!」

扉が閉じた瞬間、鉄槌のような拳がジゼル・ブラウロットの頬を打った。


骨の奥まで響く衝撃。

金属の味が口の中に広がり、粉塵と油の匂いが鼻を刺す。

熱を帯びた頬に冷気が刺さり、痛みと寒さがないまぜになった。

エル・オルレアンとオズワルド・ミラーは息を呑む。


「この忙しいときにノコノコ帰ってきやがって! どれだけ心配したと思ってるんだ、この馬鹿娘が!」


ブラウロットの頭領(シュタイナー)――ヘルガの怒号が工房に鳴り響いた。

拳を受けたジゼルも、抑えきれず叫ぶ。


「ふざけんなよ! 偉そうに全部背負った顔して……! こっちだって、どれだけ……どれだけ心配したと思ってるんだ!」


声は震え、頬を伝う涙を止められない。

それでも姉へ掴みかかろうとするジゼルを、エルとオズが必死に押さえた。


「――よせ、ヘルガ」


杖が床を叩き、乾いた音が工房に響く。

グリムホルトの低い声が、二人の間を断ち切った。


「ジゼル、お主もだ。ここへ喧嘩をしに戻ってきたわけではなかろう」


その一言に、ジゼルは歯を食いしばり、涙をこぼしたまま拳を下ろした。

ヘルガもまた、振り上げた拳を止め、目を丸くする。


「……チッ、何でお前が泣いてんだよ」


吐き捨てるように言いながらも、怒気はもうなかった。

静寂が戻り、工房には荒い息だけが残る。


張り詰めた空気がようやく解け、グリムホルトは姉妹を見渡しながら杖を軽く床に突いた。


「……もうよい。ヘルガ、お主が頭領(シュタイナー)として、まず語れ。何が起きたのかを」


短い言葉だったが、逆らえぬ重みがあった。

ヘルガは拳を握り締めたまま黙し、やがて息を吐いて腕を下ろす。


「……分かったよ、じいさん」


煤で汚れた袖で額を拭い、ジゼルへ向き直る。

その声は低く、押し殺されていた。


「……ある日、坑夫が見慣れない鉱物を見つけた。金のように光る石だった。そんなもの、うちの鉱山にあるはずがない。だが掘り出した途端、毒のガスが噴き出した」


その光景が蘇る。

坑道は白い煙に満たされ、火花が散り、視界は真っ暗だった。

叫び声も掻き消され、灯火が一つ、また一つと落ちていく。

熱い硫黄の臭いが肺を焼き、鉄の味が喉を焦がした――。


「倒れた仲間を助けようとしたが、坑道は崩れた。残された者たちは、瓦礫の下で――」


ヘルガは言葉を切り、拳を強く握る。

あのときの熱と煙が、いまも肺の奥を焼きつづけている。


「――崩れた先は、空洞になっていた。さらに奥へ続いていたが、毒が濃く、息もできなかった。そのとき……あの咆哮が響いたんだ」


握られた拳が震える。

ヘルガは一度目を瞑り、ゆっくりと息を吸う。

焼けるような空気を肺に押し込み、唇を噛み締めて続けた。


「奥から出てきたのは、見たことのない大鬼(オーガ)だった。まだ息のある精鋭たちが束になってかかったが……皆一撃で吹き飛ばされた」


「そんな……!」


ジゼルは拳を握りしめ、首を振る。

幼い頃から親しみ、憧れたあの屈強なブラウロットの小人(ドヴェルグ)たち――

そんな彼らが一撃で大鬼にやられていった。

その事実をにわかには信じることができなかった。


ブラウロットを詳しくは知らないエルとオズですら、その異常な情景は理解できた。

種族としての小人の強さは、彼らも目の当たりにしていたからだ。


「私は撤退を指示した。幸い、あの大鬼(オーガ)も追ってこなかった。坑道は封印してある。……それが今のブラウロットの現実だ」


しばしの沈黙の後、ジゼルは唇を震わせ、視線を落とした。


「ありえない……過去にも小鬼(ゴブリン)大鬼(オーガ)は紛れ込んだ。けど、同胞が複数いて、こんな被害になるなんて」


思考が止まらない。

ジゼルの顔には戸惑いが浮かんでいた。


「それに……空洞? 私たちの山に? 代々掘り尽くして、知り尽くしたはずなのに……」


唐突にオズが口を開く。


「誰かが人為的に掘った、って可能性は?」


ヘルガは鼻で笑う。


「人為的? ……誰が、何のためにだ?」


「それは分からないけど……その金の鉱物を抜いたら毒ガスまで出たんだろ?」


「だったら、“目印”にしてたんじゃないか? 崩落がその周囲だけってんなら、空洞を隠す仕掛けだったとか」


ジゼルが小さく反芻する。


「……鉱物が、目印……?」


エルが控えめに口を開いた。


「……その大鬼(オーガ)が追って来なかったのは、なぜなんだろう?」


「そりゃ、追い払えたからだろう」


「やっぱり空洞の奥を守ってるみたいだ……仮に空洞が見つかっても、その奥は隠せるように大鬼(オーガ)がいた……とか」


ヘルガの瞳が鋭く光る。


「おい中人ヒューマ……その口ぶりじゃ、うちの職人がこの事故を仕組んだって言いたいのか?」


オズは慌てて両手を上げた。


「違う! ただ、状況だけ見れば――」


ジゼルがぽつりと呟く。


「……ドリュオンズ」


ヘルガとグリムホルトの目が同時に見開かれた。


オズが息を飲みつつ言葉を継ぐ。


「それだ……! 前にジゼルが言ってたな、『死の商人』ドリュオンズには信奉者が多いって」


エルは視線を伏せ、それでも言葉を絞り出す。


「僕たちはよそ者だから、こんなことを言えるのかもしれないけど……ブラウロットの職人に、信奉者がいる可能性は本当にないのでしょうか?」


ヘルガが一歩踏み出し、拳を握りしめた。


「てめぇ! ブラウロットの職人を侮辱する気か!」


だが、その腕をジゼルが掴んだ。


「姉さん……アルブレヒトを覚えている?」


ヘルガが怪訝に目を細める。


「アルブレヒト? ……あの根無し草の若造か。何を急に――」


ジゼルは一度だけ息を整え、静かに告げた。


「彼はクライセンで……ドリュオンズの手に堕ちていたわ」


工房の空気が一瞬で凍りつく。

ヘルガの顔から血の気が引き、声が震える。


「……嘘、だろ」


グリムホルトは何も言わず、ただ杖を握り締めていた。


「嘘じゃないの。私は堕ちたアルブレヒトと相対して……そして、最後を看取ってきたから」


その光景が脳裏を掠める。

あの瞳はもう彼のものではなかった。

錆びた歯車のように動く指先、血を啜るような呪詛の声。

それでも私は、手を離せなかった。


ジゼルの声は悲痛に震え、工房に沈黙が落ちた。


エルの肩もかすかに震える。

アルブレヒトの名と共に、黒い影が脳裏を巡り、わずかに息が浅くなる。

オズはその様子に気付き、エルの背にそっと手を添える。


ヘルガは再会して以来、初めて妹の顔をまっすぐに見据えた。

言葉を失ったまま、息を呑む。


グリムホルトの杖が軋み、静かな音が暗がりに響いた。

それは、彼らの心を締めつけるような、祈りにも似た音だった。

ここまで読んでいただき、ありがとうございます!

次回更新は10/15(水)20時頃の予定です!

引き続き宜しくお願いします!

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