第四章 第十節「……よくぞ戻ったものだ」
都を覆う雪は、昼なお白く、街の輪郭を呑み込んでいた。
黒塗りの馬車が、その白の中を静かに進んでいく。
蹄が石を叩くたび、埋もれた路地に淡い石畳が浮かび上がる。
車輪は淡紅の光を帯び、触れた雪をじゅっと溶かしていく――
それは皇帝の馬車だけに許された魔法だった。
荷台の中には、アナスタシアとエル、オズ、ジゼルが並んで腰掛けている。
御者台には誰もいない。
先頭を走る栗毛の馬を操るのは、赤外套の男――ビクトルであった。
窓の外を見やりながら、オズが感嘆の声を洩らす。
「この馬車、すごいな。雪道を物ともしない」
ジゼルが軽く肩を竦める。
「馬の蹄鉄と車輪に魔法が施されてるのよ。……まあ、皇帝の御用だから当然ね」
アナスタシアは微笑みを含ませながら説明を継いだ。
「魔導列車が民衆の移動を豊かにしましたけれど、一年の大半が雪に閉ざされるこの国では――雪原では狼走、都市部では馬車。いまだ伝統的な移動手段なの」
そう言って、ふと窓の外に視線を向ける。
吹雪を裂くように駆ける騎馬の影――ビクトルだ。
「……寒いのだから、中に入ればいいのに」
アナスタシアの小さな呟きに、エルが首をかしげる。
「陛下とビクトルさんは……仲が良いんですね?」
その言葉に、アナスタシアは驚いたように目を瞬かせ、次いで小さく笑みを浮かべた。
「仲が良い……ふふ、そうね。幼い頃からの付き合いなの。酷いのよ、あの人ったら。叱られて泣いていた私に、慰めるでもなく、ただ正論を浴びせてくるの」
「あぁ……っぽいですね」
オズが思わず口にすると、アナスタシアはまた笑みを深めた。
「それが悔しくて、泣いてばかりだったけれど……どこか、嬉しくもあったの」
その表情に、一瞬だけ幼い少女の影が重なった。
ジゼルはそれを見て、ふと口を開く。
「……そっか。アーニャの話に散々出てきてた“ビクトル”って……」
「そうよ」
アナスタシアは窓の外を指し、優しく目を細めた。
「あそこにいる彼」
* * *
雪を散らして進む馬上の背が、冷たい空気を迷いなく切り裂いていた。
やがて馬車は皇宮の門をくぐり、石畳の中庭に静かに停まる。
冷たい雪を纏った白壁が、冬の光を鈍く反射していた。
先導していたビクトルは馬を止め、飛び降りて近衛兵に短く確認をとる。
「『軍神隊』の隊長方は?」
「既に到着しております」
「陛下。円卓裁定の件で、先に『軍神隊』と協議を始めておきます。場所は大会議室で」
アナスタシアは頷き、わずかに口元を和らげた。
「ええ、私も案内を済ませたら向かいます。――任せますね、ビクトル」
呼び止められた男は短く振り返り、静かに答える。
「各々の役目を果たすだけです」
そう言い残し、彼は近衛を伴って歩み去った。
迷いも逡巡もない背中だった。
残されたアナスタシアとエル、オズ、ジゼルの四人は、侍従の導きに従って宮中の回廊を進む。
来賓のための豪奢な客室を通り過ぎても、一行は立ち止まらない。
ジゼルは訝しげに眉をひそめた。
(……謁見なら客室や謁見室を使うはず。どうして大広間へ?)
疑問を胸に抱いたまま、一行は重厚な扉の前に辿り着く。
近衛兵が掛け声とともに扉を押し開けた瞬間――
冷たい空気とともに、異様な光景が広がった。
床一面に並ぶ、数え切れぬほどの簡易ベッド。
その上には多くの小人が横たわり、呻き声を上げながら治癒の光に包まれていた。
薬草の匂いと血の残り香が混じり、重苦しい気配が大広間を覆っている。
「な……何よ、これ……」
ジゼルの声は震えていた。
仲間たちの無惨な姿に、ショックを隠しきれない。
そのとき、奥から落ち着いた声が響いた。
「これはこれは陛下……我らのためにここまで尽力いただき、感謝いたします」
杖を突きながら歩み出たのは、白い髭を胸まで垂らした一人の古老。
澄み渡る瞳に、揺るぎない光を宿している。
「そこにいるのは……もしや、ジゼルか?」
ジゼルは目を見開き、息を呑む。
「グリムホルト……?」
長老は静かに頷き、懐かしむように微笑んだ。
「……よくぞ戻ったものだ」
杖で床を軽く叩く音が響く。
その一撃に呼応するように空気が微かに歪み、
やがて空間がねじれて、簡易工房へと続く門が開かれた。
「どうした、じいさん?」
作業台から顔を上げ、汚れた手で前髪を払ったのは、
ブラウロットの頭領ヘルガだった。
油と煤にまみれた姿のまま、彼女は歩み出てくる。
まずアナスタシアを視認し、わずかに眉を上げる。
「陛下、こんな遅くにどうして……なるほど」
その視線が、アナスタシアの隣に立つジゼルを捕らえた。
声はかけない。ただ、確かに見据える。
ジゼルもまた、声を発せずに立ち尽くす。
張り詰めた空気に、エルとオズは思わず視線だけを合わせた。
その間にアナスタシアが進み出る。
「ヘルガ様、遅くまでご苦労様です。……今日は貴女にお引き合わせしたい方を連れて参りました」
ヘルガは短く息を吐いた。
「陛下、度々のお気遣いには感謝いたします。が……今は忙しいので」
背を向け、工房に戻ろうとする背中に、ジゼルの声が響いた。
「待って――姉さん! ……いや、頭領ヘルガ!」
ジゼルは片膝をつき、頭を深く垂れる。
小人族の最敬礼。その姿に、アナスタシアも目を見開いた。
しばしの沈黙ののち、ヘルガは足を止め、背中越しにその気配を感じ取る。
「へえ……今までどこをほっつき歩いてたか知らないけど、礼儀は覚えて来たようね」
ゆっくりと振り向くと、エルとオズまでもがなぜか深々と頭を下げていた。
ヘルガは鼻を鳴らす。
「陛下、そこのドワーフと……その中人たちもか。お借りしても?」
アナスタシアは穏やかに頷いた。
「ええ、元よりそのつもりでしたので」
そう言って、ジゼルへ小さな鈴を差し出す。
「では、私はビクトルと合流いたします。ジゼル、お話が終わったら、これを鳴らして」
ジゼルが受け取るのを見届けると、アナスタシアはヘルガとグリムホルトに一礼し、寝かされた小人たちに目を配りながら大広間を後にした。
残されたヘルガは顎をしゃくり、工房の奥を示す。
「中に入りな。じいさんも一緒に。最悪のときは止めて」
重々しい空気が落ちる中、五人は簡易工房の闇へと姿を消していった。
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次回更新は10/13(月)20時頃の予定です!
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