第四章 第八節「俺たち『赤頭巾』だ」
帝都サンクト=アレクサンドロフ。
西方世界で三番目に建国されたローレシア帝国において、この都が築かれたのは、わずか五十年前のことに過ぎない。
それ以前、この地は戦乱の影に覆われていた。
およそ百年前――『闇の帝王』ゲオルグ・グヴァルグラードが国を掌握し、魔道士による支配を企てたのだ。
その野望は、円卓の魔法使いをはじめとするヴィクトリア、クライセン両王国の連合軍に阻まれ、最後には『銀狼』アマルガムの顕現によって終焉を迎えた。
ゲオルグは今なお北西の孤島イプセンの大牢獄『ゲヘナ』に幽閉されている。
――後に“ローレシア戦争”と呼ばれる出来事である。
かつての帝都はいまや銀狼の寝床となり、その地は白地のまま残されている。
新たな皇帝家アレクサンドロフ=ドミトリエフ王朝は、旧王家の傍流として再び帝位を継ぎ、銀狼の神威に怯えぬ地を求め、遷都を迫られた。
それが帝都サンクト=アレクサンドロフ――
帝国の中央平原を開拓したこの街は、碁盤目に整う街路と白亜の尖塔群を誇り、戦火の灰の上に築かれた若い国の象徴として、北の荒野に煌めいていた。
雪に覆われた帝都の街並みのなか、ひときわ異質な影がそびえていた。
黒い煉瓦に赤漆を塗り固めた壁、窓は矢狭間のように細く、塔の屋根は軍旗を模した赤布に覆われている。
宮殿でも学舎でもなく、まるで戦場のために移築された砦。
――それがローレシア国有の魔導師団『赤頭巾』の館だった。
その存在は、帝都の人々にとって決して誇りではない。
現皇帝の独断で創設され、軍事に直結する魔法研究を推し進める拠点。
市井では「また戦の準備か」と囁かれ、赤壁の館はいつしか「外から覗けぬ城」と陰口を叩かれるようになった。
重い扉を押し開けたのは、赤外套の魔導士ビクトルである。
室内にいた十名にも満たぬ魔法使いたちが、一斉に声をかけた。
「遅かったな」
「裁定はどうだった?」
「……後ろの連中は?」
問いを浴びながら、ビクトルは赤外套を脱ぎ、壁際に掛ける。
声色は抑揚なく、だがはっきりと。
「『封印指定』における銀狼の危険等級は引き下げられた。この件は追って説明する」
彼はそのまま視線をジゼルへと送った。ひと呼吸の沈黙、そして――
「この方はジゼル・ブラウロット。ブラウロットの頭領の妹君だ」
「な、何だと……?」
「等級が下がるだと? 何を見てるんだ、連中は」
「それも大事だが……ブラウロットの妹君、か……」
騒めく声が飛び交うなか、三人の耳には意味が届かない。
状況を飲み込めず、ただ居心地の悪さに息を詰める。
「まだ彼らにはブラウロットの話をしていない。奥を使うぞ」
そう言ってビクトルは三人を手招きし、館の奥へと歩を進めた。
奥の間は質素だった。壁にかかるのは戦旗と地図だけで、余計な装飾は一切ない。
長卓に腰を下ろすと、ビクトルは赤外套の前を留めもせず、口を開いた。
「数か月前から、ブラウロットの鉱山は閉ざされている」
ジゼルの肩がわずかに揺れる。
「理由は坑内で発生した毒ガス事故だ。原因は不明。すでに何名かのドヴェルグが息を引き取り、頭領のヘルガ女史も被害にあった」
「ヘルガが……!」
思わず声を上げるジゼル。
唇は強く噛みしめられ、指先は膝に沈む。
ビクトルは静かに首を振った。
「安心しろ。彼女はもう工房に立っている」
「……そう、よかった」
緊張が解けたのか、ジゼルの目にわずかな潤みが浮かぶ。
一方、エルとオズは互いに顔を見合わせた。
話の重みは理解できても、ブラウロットという名がこの帝国でどれほどの意味を持つかは分からない。
それを見て取ったのか、ビクトルは説明を継いだ。
「……ローレシアがブラウロットとの関係を急速に深めた理由は二つだ」
赤い外套を椅子に掛けながら、ビクトルは低く言った。
「ひとつは、銀狼。西方に現れ、実際に我々の地図を喰い破り続ける“現実の脅威”だ」
言葉の端々に、部屋の魔法使いたちが息を呑むのが伝わる。
「そしてもうひとつは、“闇の帝王”の再来だ。百年前、帝国を支配しかけたあの影を――前皇帝は何より恐れていた」
ジゼルが小さく身じろぐ。
彼女にとっては遠い昔話でしかないが、ローレシアにとっては国家の根を揺るがした戦乱の記憶だった。
「だからこそ、サンクト=アレクサンドロフに遷都してからの帝国は、周囲との関係を手当たり次第に強めていった。クライセンから魔導列車を導入し、ブラウロットの工房群を頼って魔導具や魔導器の開発を進め――」
「巨人の国とも再び同盟を結び、魔法騎士団の一角を任せた。」
「そして、ユージオ大山脈の東の果てに広がる大国と結び、道術の研究を進めたのもだ。」
列挙される外交の数々に、エルとオズは目を丸くする。
一方ジゼルだけは深く頷き、息を整える。
「しかし、実際に魔法騎士団を持つと思わぬ弊害があったんだ。」
「動かしづらいんだよ、彼らは。日常となってしまった銀狼の被害に、大国の一級戦力を動かすことは諸外国に緊張を生む。」
「だからこそ、既存の大戦力とは別に“自前の、動かしやすい戦力”が必要になった。」
「それを鑑みて現皇帝が作った魔導師団が、俺たち『赤頭巾』だ。」
ビクトルがそこまで話したとき、部屋の外で大きなざわめきが立った。
足音が近づき、廊下の空気がぴんと張る。
誰かが素早く整列を命じ、椅子が擦れる音が重なった。
ビクトルはすぐに立ち上がり、「何があった?」と扉を押し開ける。
「あら、おかえりなさい。ビクトル――魔法と海の国はどうだったかしら?」
澄んだ女性の声が、ざわめきを一瞬で押し沈めた。
ビクトルはその声の方に立つ姿を見て、わずかに身体を硬直させる。
「な……何故ここに――皇帝陛下!」
呼吸を呑んだ三人が思わず扉の先を見やる。
そこには、この場の空気すべてを支配するように――
金の髪と蒼の瞳を携え、ただ立つだけで光を呼ぶ女帝の姿があった。
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