第四章 第七節「私の無知で」
標柱の傍らに、小さな丸太小屋が建っていた。
雪に半ば埋もれながらも、壁は黒ずんだ木材で組まれている。
焦げた草に蜜を焦がしたような甘さ――
人には甘苦く、獣には耐え難い匂いだった。
それが蜜蝋に混ぜられ、小屋の壁に塗り込まれている。
そのため平常時の銀狼は、この小屋へ神威を向けることはないという。
雪原の只中に、不自然にぽつねんと存在している――
そんな風に見える小屋だった。
中は質素だが暖かかった。
炉には火が燃え、天井の梁には乾いた木片が吊るされている。
赤外套の男は黙って椅子に腰を下ろし、テーブルの上に魔杖を置いた。
棚から、慣れた手つきで左手だけで食器を人数分用意すると、温められていた黒いポットで、順々に濃さが均等になるようにコーヒーを注いだ。
「……まずは、今日も生き残ったことを神に感謝」
低く告げ、カップを順に四人に差し出す。
蒸気と苦みの匂いが、緊張に固まっていた胸をわずかにほぐした。
配り終えると、五指の揃った左手でカップを持ち、男自身も一口、音もなく啜る。
先ほどまで怒声を張り上げていた面影はなく、ただ冷静な顔がそこにあった。
右腕の砲身は取り外され、机の上に横たえられている。
機工の内部が剥き出しになり、霜がゆっくりと蒸気に変わっていく。
「さて」
短く吐いた息が白く散る。
カップを置き、赤外套の男はようやく視線を上げた。
「俺の名前はビクトル。ビクトル・ヴズルイフだ。……お前たちは?」
三人と御者はそれぞれ名乗りをあげた。
ジゼルはイワンに告げたのと同様に、ここでもヘリアンサスを名乗っていた。
それぞれの名を確認すると、ビクトルは続ける。
「イワン・ミローノフ……ザスターヴァに登録があったな。観光で走らせとくには勿体ない腕だ」
イワンは頭を掻きながら、「それほどでも」と謙遜する。
ビクトルは再び三人の顔を見回した。
「お前たちは……ただの観光客、ではなさそうだが目的地は?」
「ブラウロットよ。だから帝都を目指してた」
ジゼル・ブラウロットはぶっきらぼうに答える。
「ブラウロット……? ドワーフか。……いや待て」
赤外套の瞳が鋭く細まる。
「ジゼルの名に……ブラウロット……お前……まさか、ヘルガ女史の妹か?」
「……はあ。その名前に行き着くのね」
ジゼルは肩をすくめるように返した。
「そうか!」
ビクトルの顔ににわかに熱が差す。
「あなたがジゼル・ブラウロットか!」
エル・オルレアンとオズワルド・ミラーは思わず顔を見合わせた。
イワンはその事実に驚き、口をつぐんでいた。
「いや、すまない……つい舞い上がってしまった。ヘルガ女史は私の師だ」
「ヘルガが師匠? ……まあ、それはいいわ。もう何十年も会ってないんだもん。そんなこともあるかもしれない」
ジゼルは立て掛けられた、砲身を指差して尋ねた。
「あの魔導器、あれはヘルガが?」
「そうだ。俺が設計し、彼女が鍛えた銀狼殺し――『灼砲スルト』だ」
言葉の端に、誇りと敬意が滲む。
「へえ、アンタが設計を? ……まさか、その時に右腕を?」
機構がむき出しになった右腕を睨みながらさらに追及する。
「いや、幼い頃に魔狼の群れを挑発してな……そのときの勉強代だ。それで、義腕にするならと思って手を加えた。人体に直結した方が出力も安定する」
「そう……あとそれ、あのとき熱を放ってたわよね?」
「魔導器が、熱を……?」
オズが怪訝そうな表情で割って入る。
魔導器が術者の魔力をエネルギーに変換して出力する機構である。
「ああ、詳しいことは機密のため言えないが……属性を纏う、新型だ」
「ボルグが発明した核の原理を利用してるのね……だから、水の触媒魔法使いが"火を吹いた"わけだ」
ジゼルはテーブルに置かれたままのビクトルの魔杖を指しながらニヤリと笑った。
「……俺の口からはこれ以上何も言わん」
「水に適性があるのに、火……? そんな対極の力を引き出すなんて、いくらなんでもありえないだろう?」
「あらオズ、私にはアンタのヘンテコ魔法の方がよっぽど理解できないけど」
ジゼルとビクトルの職人話に、オズまで加わって花を咲かせるところ、勇気を持って割り込む声。
「あ、あの……」
「エル・オルレアンだった、か。どうした? お前もスルトに興味があるのか?」
「いや、そうじゃなくて……どうしてあのとき、僕たちより先にこの標柱に着いていたんですか?」
「え、ビクトルさんが先行してたんじゃなかったの?」
オズが驚く。
「うん。あのとき、僕たちを先に行かせて銀狼に立ちはだかってたのに……」
「なんだ、それか。ジゼル女史」
「ジゼルでいいわ」
「では、ジゼル……ブラウロットが目的地なら、ツヴァーグラントで移動を試みたのでは?」
「転送環まで知ってんの? ……はぁ、その通り。けど、使えなかった。だからローレシアまで出て、狼よ」
「……それで狼走を? まあ良い。話を戻すが、標柱は転送環の原理を採用している。運用思想は全く異なるがな」
「標柱は“飛ぶための目印”だ。 銀狼が顕現すれば、最寄りの柱へ即座に跳ぶ。お前たちより先に居たのも、一番近い標柱に飛んだだけだな」
「なるほど……それで」
オズは小さくうなずいた。
「ところでイワン」
イワンがゆっくりと席を立ち上がり離れようとしていたのを見て、ビクトルが止める。
「へ、へい! 何でしょうか、旦那……?」
「彼らの行き先を聞いたんだろう? 何故、魔導列車を案内しなかった?」
「地下を走る魔導列車なら、確実に帝都まで行けただろうに」
その言葉にエルとオズは再び目を丸くする。
しかし、ジゼルだけは様子が異なった。
「は? 鉄道? ……何のことよ?」
視線を落とし、絞り出すように続ける。
「ローレシアの移動手段といえば、昔も今も狼走以外にないんじゃないの? ……何よ、え、地下を走る、魔導列車?」
「ああ、数年前に開通したんだが……知らなかったのか、まさか?」
どんどんと曇るジゼルの表情を見て、ビクトルも声のトーンを落とす。
イワンも状況の悪さに鼻を利かせて、とっさに口を挟む。
「い、いや! てっきり俺は狼走をご所望なのかと思いまして!」
その言葉が引き金となった。
顔を振り上げ、イワンを睨みながらジゼルが叫ぶ。
「……そんなの知ってたら、列車を選ぶに決まってるでしょ!」
そして、すぐに頬を引き攣らせながら視線を落とすと――
ジゼルから聞いたこともないような、低く弱い声が漏れ出した。
「……じゃあ何。私の無知で――エルとオズを殺しかけたって言うの?」
沈黙。
焔のはぜる音が、胸を抉った。
「ジゼル……」
エルが震える声を絞り出す。
「僕らだって調べようとしなかった。……同じだよ」
「そうだ」
オズも真っ直ぐに言葉を重ねる。
「ここまで来れたのはジゼルのおかげだ。それに悪いのは、おっさんだ! 運賃もやたら高かったし!」
ジゼルは唇を噛み、返す言葉を飲み込んだ。
やがて、ビクトルが静かに口を開く。
「……まあ、結果として全員生き延びた。それが一番大事だ」
「俺は帝都へ戻る。『赤頭巾』の拠点の転送札がある。お前たちも同行しろ」
三人は顔を見合わせ、無言で頷く。
「ただし」
ビクトルの声色が急に鋭さを帯び、声に熱が宿る。
視線の熱は、イワンひとりに注がれていた。
「……客に適切な情報も与えず、命を賭けさせ、あまつさえ金まで釣り上げる? ――それで御者を名乗る気か! 恥を知れ! イワン・ミローノフ!」
怒声が爆発し、小屋を震わせる。
イワンは椅子を蹴り飛ばすようにして後ずさり、顔を青ざめさせた。
焔のはぜる音だけが、小屋に残った。
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