第一章 第五節「剣が語るもの」
剣は語らない。
けれど、剣を通して見えるものがある――己の足りなさ、積み重ね、そして“戦う理由”。
この章では、初めてエルがそのことを肌で感じ取る瞬間が描かれます。
訓練場に戻ると、イエロは周囲の団員に声をかける。
「おい、そこの。訓練用の剣、二本借りるぞ」
呼ばれた団員が慌ててラックの近くから木剣を二本取り出し、恭しく差し出す。
イエロはそれを受け取ると、一本は自分で持ち、もう一本をエルに差し出した。
「受け取れ」
「え?」
「剣、持ってないんだろ。まずは形からでいい。ほれ、構えてみろ」
エルはややためらいつつも、木剣を受け取る。
冷たい木の質感と、思った以上の重みが掌に広がる。
「じゃあ、切りかかってこい。全力でな」
イエロはそう言うと、足を開いて仁王立ちになった。
背にはまだ、あの巨大な大剣が背負われたままだ。
エルは思わず、その背の剣を指さす。
「……それ、使わないんですか?」
イエロはニヤリと口の端を上げた。
「これか? 気にするな。ただの重りみたいなもんだ」
「……っ」
エルの口元がわずかに引き締まる。
馬鹿にされたような気がした。
けれど、それ以上に、自分の力を“試されている”のだと、直感的に理解した。
マリアが遠くから静かに見守っているのがわかる。
「……いきます!」
掛け声とともに、エルは地を蹴った。
* * *
訓練場に陽が差し込む中、ふたりの影が向かい合う。
木剣を両手に構えたエルは、一呼吸置いて地を蹴った。
踏み込みは直線的で速い――が、手元はわずかに震え、狙いは甘い。
「はっ!」
振り下ろされた剣を、イエロは軽く体をずらし、受けることすらせず避けた。
「……ふむ」
呟き、イエロはわざと間を開けた位置に立ち直る。
「もう一度だ」
エルは構え直す。
今度は左右に振る軌道、足を捌いて回り込むように――
「……なるほどな」
イエロの低い声が割り込む。
「構えは……北の方か。いや、違うな。重心の置き方が甘い。お前、きっちり習ってねえな」
一瞬、エルの動きが止まる。
「手ぐせと足さばき、間合いの取り方……ガレオン軍の流派か。剣を叩き込まれたんじゃなく、選ばされた口だな?」
エルの目が見開かれる。
「……どうして、それを」
「見てりゃ分かる」
イエロは木剣を手に取ると、ゆっくりと構えた。
それは構えというより、ただの“線”だった。
だが、空気が張り詰め、見えない圧が場を覆う。
「一合だけ。受けてみな」
「……はい!」
エルは再び踏み込んだ。
が――
「くっ……!」
イエロの一撃は木剣とは思えぬ重さだった。
受け止めた瞬間、足が沈む。肩がきしむ。反射的に剣を滑らせて受け流す。
体勢を立て直そうとしたエルの前で、イエロは剣先を地に着けた。
「終わりだ」
静かな声だった。
「素地はある。動きも目もいい。けど――お前の剣は、借り物だ。構えに自分がねえ。教わったことに従ってるだけで、自分の中で消化しきれてない」
エルは悔しそうに俯く。
だがイエロの目は、鋭さの中にどこか確かな熱を帯びていた。
「まあ、伸びしろってやつだ! これからだな、お前は!」
そのやり取りを、マリアは黙って見ていた。
そして、訓練場の隅――
それまで黙って見ていた少女に、イエロがふと声をかけた。
「おい、ベアトリクス。お前も来い」
ベアトリクスと呼ばれた少女は、栗色の髪を揺らして静かに立ち上がる。
その動きは柔らかく、だが一切の迷いがなかった。
「次はこいつと一本。……いいだろ?」
エルが驚いて振り返ると、少女は真っ直ぐに彼を見ていた。
その視線には、敵意も憐れみもなく、ただひとつの意志が宿っている。
「分かりました」
その声は静かだったが、凛とした響きがあった。
視線は揺るがず、まっすぐにエルを射抜いていた。
* * *
再び静寂が落ちた訓練場。
向かい合うふたりの間に、乾いた風が吹き抜ける。
エルは木剣を握りしめながら、目の前の少女を見つめていた。
年は自分と大差ない。身体も、自分より小柄だ。
(……女の子、相手に)
そんな躊躇いが、ほんの僅かに構えを鈍らせる。
それを察したように、後ろから声が飛んだ。
「舐めてかからん方がいいぞ」
イエロの声は静かだったが、そこに含まれた温度は鋭かった。
「――あいつは、“本物”だからな」
その瞬間、エルの視界から少女の姿がふっと消える。
「――っ!」
懐に飛び込んでいた。反応が一瞬遅れる。
木剣が防御に回るより先に、鋭い踏み込みと同時に斜めからの一撃が襲う。
打ち込まれた木剣は重く、軌道も正確だった。
エルは防御するだけで精一杯。そのまま数歩、後退させられる。
(……速い!)
腕が痺れる。それだけの一撃だった。
だが、そこには迷いも容赦もなかった。
少女――ベアトリクスは、再び間合いを詰めてくる。
その動きはまるで剣舞のように美しく、しかし寸分の無駄もない。
(自分なんかより……全然、強い!)
エルの脳裏をその一言が突き刺す。
旅の中で身につけた剣ではない。訓練の果てにある、洗練された“型”。
打ち合う中で、剣越しに伝わってくる。
この相手は、ずっと前から、戦うことを“教えられてきた”。
そして――
「――っ!」
鋭く振り抜かれた木剣が、エルの手から木剣を弾き飛ばす。
乾いた音とともに、彼の剣が地に落ちた。
ベアトリクスは何も言わず、剣を下ろすとくるりと背を向けた。
表情すら見せないその背中が、どこか遠くに感じられる。
エルは地面に片膝をついたまま、彼女の背を見送った。
「……これが、“戦う理由”を持った者の剣だ」
イエロの呟きが、空気に溶けていく。
訓練場の一角では、誰もが息を潜めていた。
* * *
その後、三人は再び広間へ戻っていた。
エルはまだ席に座ったまま、腕に残る感触を思い返していた。
目の前で振るわれた剣。その重さと鋭さ。その意味。
ベアトリクスは何事もなかったかのように、最初にいた席へと戻っていた。
窓辺にもたれ、静かに訓練場の様子を眺めている。
沈黙を破ったのは、マリアの率直な問いだった。
「で、どうだったの?」
イエロはそばの酒樽を片手に、のんびりと肩をすくめた。
「悪くないぞ。鍛えれば、いい剣士になる」
マリアはじれったそうに目を細める。
「そうじゃなくて。“星”として、よ」
「……ああ、そうだったな」
とたんにイエロは少しだけ真面目な顔を作った。
エルとマリアが無言で、その口の動きを見守る。
「率直に言うとだな――」
一拍、間を置いて。
「俺には分からん! ハハハ!」
その場に、呆れと脱力が広がった。
「……呆れた。何だったのよ、この時間」
「いやいや、実際問題として“星”ってのは、剣を見ただけで分かるもんじゃない。けど――お前には分かったんだろう? ベアトリクス」
唐突に名を呼ばれた少女は、少しだけ顔をこちらに向ける。
「ええ……」
その声は静かで、けれど芯のある響きを帯びていた。
「彼は、きっと……少し前の私と同じです」
マリアとイエロが同時にまばたきをする。
エルにはその意味がすぐには分からなかった。
けれど、胸の奥に何かが触れたような――そんな気がした。
「剣が語るもの」、いかがでしたでしょうか。
イエロとベアトリクス、それぞれ異なる“視線”を通してエルが晒されたのは、技術だけでなく意志と覚悟の不足。
彼にとって、これは最初の敗北であり、同時に確かな出発点でもあります。
次回は、6月13日(金)6:00頃に投稿予定です!