第四章 第二節「特に貴様には言えん」
朝は白く、冷えは夜の形のまま残っていた。
三人はジゼル・ブラウロットの号令で宿を出る。
「今から行くのは、昨日言ってた“近道”ね。――転送環」
通りの先、鉄骨の庇が並ぶ一区画に人の列ができている。
掲示板の脇を抜けるあいだ、ジゼルが歩調を崩さず説明した。
「簡単に言うと、六つの共同体のあいだを自由に行き来するための転送札みたいなもの。小人たちは鉱石や仕上がった製品の運搬に使うし、許可さえあれば外の商人を伴って他の共同体へ移動するのもできるわ」
庇の下、吊り下げ札が風で揺れる。
赤い印が目を刺した。
〈外種同伴での転送環利用――当面制限〉
ジゼルはその赤札を横目で睨み、肩をすくめる。
「外種――つまり、小人以外の使用を制限してるみたいだけど、大丈夫」
そう言って、胸元を軽くとん、と叩く。
外套の下、磨耗した銀の氏族証が肌に触れた。
「それだけ私に刻まれたブラウロットの名は重いの」
列はゆっくり進み、鉄と油の匂いが濃くなる。
鎖が鳴り、歯車が噛み合う音。三人は転送環の乗り場へと歩を進めた。
* * *
庇の下は鉄と油の匂いで満ち、列は転送台の手前で蛇のように折れ曲がっていた。
床の環状のルーンが淡く脈打ち、鎖の滑車がときおり乾いた音を落とす。
受付のドヴェルグが刻印棒で札を弾いた瞬間――
ジゼルの怒号が鉄骨に跳ねた。
「どうして使えないのよ!」
「外種の使用は制限されている」
無骨な声が、規定文句の速さで返った。
ジゼルは胸元から磨耗した銀板――氏族ブラウロットの証を叩き出し、窓口へ押しつける。
「これ、見たでしょ……私は“ブラウロット”なのよ? それでもこいつらを連れて行くのは無理だって言うの?」
書記は目を細め、背後の伝声管へ短く確認を飛ばし、それから淡々と告げた。
「ブラウロットへの渡航も制限。――不可だ」
「話になんない……責任者に繋いで」
ジゼルが栓に手を伸ばすより早く、奥の通路から太い声が落ちた。
「……ここにいるが」
振り向いた先、鉄扉の影から現れたのは、厚手の外套を肩で払う大柄のドヴェルグだった。
旅塵の残る長外套、霜を含んだ髭は胸まで垂れ、腕はここで見た誰よりも太い――
炉と槌の歳月がそのまま刻まれている。
「外界からの帰りだというのに、ずいぶんと騒がしいと思ったら……どっかで野垂れ死んだと思っていたぞ」
低く、よく通る声だった。
オズワルド・ミラーが息を呑み、囁く。
「ボルグ・プレトリウス……ツヴァーグラントの王だ」
エル・オルレアンはじっと見つめた。
鍛えの厚みを帯びた前腕、威厳を湛える長い髭、眼光は鉄のように冷えている。
ジゼルは一歩踏み出し、まっすぐにその名を呼んだ。
「丁度いいところにいるじゃない。……ボルグ、私たちをブラウロットへ行かせて」
ボルグはわずかに顎を振り下ろす。周囲の鎖が一度だけ鳴った。
「無理だ」
鉄と規の音だけが、しばし場を支配する。
それでも、ジゼルだけは食い下がった。
「どうしてよ!」
ボルグは鎖の影へ一歩寄せ、低く告げる。
「共同体を抜けた同族がこの土をまたぐこと自体、本来は論外だ。……だが貴様は、ブラウロットの聖鍛の巫女だった。入国はその名に免じて見逃した。連れの二人も“貴様の影”としてだ」
「転送環は我らの秘術。規に照らせば、貴様ひとりならここツヴァーグラントからブラウロットのあいだに限り通した。他の環は当然閉じるがな」
「しかし――外種の利用は今、全面的に止めている。誰の連れであろうと通さん」
彼は行路板を一瞥し、言葉を切り替えた。
――一拍の沈黙。
「――だが、今はまた別だ。ブラウロットは“全面封鎖”。他のどの共同体からも、入坑は何人たりとも一切許さん」
その言葉に、ジゼルは行路板へ視線を走らせる。
受付に掲げられた行路板では、確かにブラウロットの環だけが消灯していた。
「全面封鎖……? 何よ、それ」
「部外者の貴様に言う必要はない」
短い沈黙。
ジゼルの視線が鋼のように冷え、次の瞬間には踵が返っていた。
「……部外者ですって? 頭に来た。エル! オズ! 帰るわよ!」
二人の腕を掴み、ジゼルは列を裂く。鎖が一度だけ高く鳴き、群衆の気配が左右に割れた。
オズは振り返りかけ、ジゼルの手の力に従う。
エルは一度だけボルグを見る――その眼差しは静かで、遠い。
去っていく背へ、ボルグの低い独白が、鎖の隙間に落ちた。
「……特に貴様には言えん。――ブラウロットの惨状は」
転送台のルーンは黙って脈を打ち続け、鉄と規則の音だけが残った。
* * *
転送台の喧噪が背へ遠のき、風の細い音だけが残った。
灰白の空の下、通りの鎖看板がかすかに揺れる。
「……ごめん。私の見積りが甘かったわ」
前を歩くジゼルが、珍しく素直に言った。
エルとオズは、思わず足を止めて顔を見合わせる。
「……こりゃ、明日は快晴だな」
オズが肩をすくめた瞬間、ジゼルの回し蹴りが無言で飛んだ。
「ぐえっ……!」
鈍い音が雪に吸われ、オズは膝に手をつき悶絶する。
エルは苦笑を堪え、オズの肩を支えながら問う。
「……他に行く方法は、ないのかな?」
ジゼルはしばらく黙り、白い息だけを三つ数えた。
「……なくはないわ」
その声音は、軽くなかった。
選ばずに済むのなら決して選ばない――そんな“最終手段”の重さ。
「私が連れて来ておいてあれだけど、最悪、死ぬかもしれない。……それでも行く?」
オズは今回は軽口を飲み込み、視線だけでエルへ委ねた。
エルは一呼吸して、うなずく。
「……行こう」
ここまで並んでくれる彼女への感謝。
そして、自分も何かを賭ける番だという意志が、言葉の芯に宿る。
エルの様子を見て、オズは胸の内で安堵しつつ、息を整えた。
「おいおい、死ぬかもしれないってどんな道だよ……。しょうがない、できる限りの準備は揃えて行こうぜ」
ジゼルは短く頷く。
「……分かったわ。なら次の目的地はザスターヴァ。ツヴァーグラントとローレシア帝国を分ける関所都市よ。ここから歩いても数時間ってところね」
三人は行き先を変え、外套の襟を上げて歩み出す。
足裏で氷皮が細く割れ、音はすぐ雪に沈んだ。
鎖の鳴りは背後に遠く、白い道はまっすぐ西へ伸びている。
秤に載せる重さは、もう決まった。
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次回更新は9/27(土)20時頃の予定です!
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