第四章 第一節「ここから先は、私の領分」
西方世界と東方世界のあいだには、大きな“空白”がある。
大量の魔素が滞留するその地は、いつからか『空白地帯』と呼ばれ、人の踏破を許さぬ禁域となった。
手つかずのその帯が二つの世界を隔て、人々の往来は海路に限られている。
――ただひとつ、両世界を陸で繋ぐ背骨を除いては。
ユージオ大山脈。
西方世界と東方世界を跨ぐこの大山脈は、大陸の北辺を横たわる。
その西方側の裾野には無数の鉱脈が眠り、古くから小人たちが各地で坑道を穿ち、やがて六つの共同体を成した。
その西端――クライセン王国の海外領ノイエ・クライセンとローレシア帝国に挟まれた地に、六共同体の盟主にして唯一の国家が築かれた。
ツヴァーグラント。
小人の王にして『円卓の魔法使い』の一席、ボルグ・プレトリウスが治める国である。
いま、その国境に三つの影が降り立とうとしていた。
* * *
クライセン王国の北端の都市、ラインベックから乗り継いだ魔導列車は、かつて小国群、いまは海外領として統合されたノイエ・クライセンを抜け、最北の終着へと白い蒸気を引いた。
そこから雪原を歩くこと半日――ついに彼らの目の前に、灯りが見えた。
「……着いたわよ」
ジゼル・ブラウロットが静かに口を開いた。
「ここが……小人の国、ツヴァーグラント」
オズワルド・ミラーが感嘆の息を漏らすと、エル・オルレアンもゆっくりとその光景を見渡す。
雪の向こうで、低い石塀と鉄の柵が帯のように横たわる。
油煙と金属の匂いを纏った灯火――ルーン灯が、舞う雪片を金色に染めていた。
風に鳴るのは鐘ではなく、鎖。
門扉の紋は、槌と鶴嘴。
ツヴァーグラントの印だ。
「ここから先は、私の領分」
ジゼルは外套を正し、胸元から古びた氏族証を取り出す。
磨耗した銀板には、氏族ブラウロットの刻印。
エルは吐息で指先を温め、遠い灯の数を数えた。
白い息が、ひとつ、ふたつ。
「大丈夫。……寒いだけだ」と、小さく自分に言い聞かせる。
オズは黙って周囲を見渡す。
雪面に走る細い線――搬器の轍、巡回の足跡。
小さな国境は、よく働いている。
やがて、門の内側で影が動いた。
短躯の歩幅、厚い手袋、鉄靴の音。
ドヴェルグの衛兵がルーン灯の下に立つと、ジゼルはひと呼吸置いて進み出た。
「ツヴァーグラント辺境詰所へ。……通行の確認をお願い」
衛兵は氏族証を一瞥し、見上げて彼女の背の二人――中人を測った。
雪を払う音だけが、しばし場をつないだ。
「……ブラウロットの、“妹”か。何十年ぶりだ?」
「さあね」
まともに答えず、ジゼルは周囲を一巡させるように視線を滑らせた。
詰所の内壁には告知板が打ち付けられ、赤い印の札が揺れている。
〈外種同伴での転送環利用――当面制限〉
札は風に鳴り、鎖の音に紛れた。
検札のルーン札が青く点る。
鎖が鳴り、歯車が噛み合った。
衛兵は顎をわずかに上げる。
「――許可が下りたぞ」
三人はついに、小人の国に歩みを進めた。
* * *
外界の商人と旅人向けの宿舎は、煤けたランプと温い麦粥の匂いで満ちていた。
帳場のドヴェルグが秤皿に銅貨を落とし、針が中央で止まるのを確かめてから鍵束を押し出す。
広間のベンチでは、作業帰りのドヴェルグたちがちらと視線を寄越す。
「女か……」
「ブラウロットの印だ」
「噂じゃ――奇跡の“姉妹”って呼ぶらしい」
目礼だけが交わり、誰も無遠慮には近寄らない。
三人は手狭な屋根裏の部屋に身を落ち着けた。
「今日はもう遅いし、本格的に動くのは明日ね」
外套を椅子にかけながらジゼルが言うと、オズが口を開いた。
「なあジゼル、そろそろ教えてくれよ。どうして俺たちは今この国にいて、ブラウロットに行く目的は何なんだ?」
ジゼルはややぶっきらぼうに答えた。
「……しょうがないわね。ブラウロットには私の工房がある。簡易じゃない、炉も型場も揃った“本工房”。――高度な鋳造はあそこじゃないとできない」
「工房……? そこに俺たちを連れて行って、どうするつもりなんだ?」
「はぁ……察しが悪いわね。アンタたちのために魔導具を造るのよ」
オズは息を呑む。
エルはまだ、どこか他人事のように黙っていた。
「ジゼル……ありがたいんだけど、俺たちは“星”だ。限定魔法は他の魔法を受け付けない」
「それはアンタたち中人の魔法の話でしょ? 私たちの精霊魔法は別筋――そもそも、ふたりとも簡易工房には問題なく“入れた”じゃない」
その言葉にオズは思わずハッとする。
確かにあの簡易工房はジゼルの精霊魔法で作られている、と言っていた。
それなのに、身体に悪影響が出た覚えはない。
ジゼルは身を乗り出す。
「まずはオズ。あの王子にも言われてたけど――アンタの魔法は使い方が違う」
数日前、クライセンを発つ前に第三王子テオドールに言われたことが胸をよぎる。
「……ここ数日考えてた。もしかして、って案はある」
「何よ?」
「贖罪の山羊は“傷を引き取る”だけだと思ってた。でも、自分が受けた傷を敵に渡せるなら――」
ジゼルの口元が愉快そうに歪む。
「それ! “受けて返す”魔法――それが本質でしょ」
オズはすぐ首を振る。
「だからって、じゃあその身でひたすら攻撃を受けろってのは無理だぞ? 小人みたいに頑丈な身体になる魔法でもあるのか?」
「そんなのないわよ。だから必要なのは――アンタの魔力で回す、代わりに受ける“盾”」
「……その盾で受けたダメージで、反撃する? ……できるのか、そんなこと?」
「知らないわよ。でも試す価値はある。……それと、エル」
急に名を呼ばれ、エルが顔を上げる。
「アンタがいつまでもウジウジしてるのは、また暴走するかもしれないからでしょ?」
思い出したくもない記憶。
黒い影に飲み込まれて、二人の命を危険に晒したあのアルブレヒトの工房での一戦。
エルの背筋に冷たいものが走る。
「なら、私がしてあげられるのは一つ。魔力を抑える方法よ」
エルの瞳が揺れる。
「……本当に、そんなことができるの?」
「こっちに関しては、似た物を作ったことがある。原理は分かってる」
「――あとは、アンタのあの化け物じみた魔法を私がどれだけ理解できるか」
彼女はまだ、自分に寄り添おうとしてくれているのか。
エルの心に再び火が灯ろうとする。
「ジゼル……心配かけてごめん、オズもありがとう」
「エル……! 気にすんなって」
「そうよ、そうと決まればどんどん魔法を使ってサンプルを提供してもらわないと」
オズが顔を上げる。
「だったら今夜から! ジゼル、簡易工房の中ならエルの魔法も……」
ジゼルは首を横に振った。
「それは無理。モジャ、アンタ私の簡易工房なんだと思ってんのよ」
「ご、ごめん……」
「それに共同体の中じゃ、簡易工房を開くのは御法度なの。まあどのみちここには長居するつもりはないわ」
「どういう意味?」
「ツヴァーグラントは通過点、ここにはブラウロットに行く“近道”を使いに来ただけなんだから。さて、今日はもう寝ましょう」
エルは小さく頷き、外套をたたむ。
オズも紙片をまとめ、卓上の灯を落とした。
その拍子に、階下の秤皿がかすかに触れ合い、遠くで鎖が一度だけ鳴る。
雪は細く、夜はまだ硬い。
明日、秤に載せるのは――自分たちの重さだ。
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