間章 後編「星は還らず」
人払いの結界に沈む灰の城。
砕けた玉座の縁に、ひとりの男が腰をかけている。
クルエル・サヴァン――封印指定第一位。
彼の周りには、粗末でありながら妙に似せられた十二体の人形が円を描く。
王冠、白杖、荊の紋、長樹の蔓、金環、教典、無貌の仮面、赤頭巾、槍旗、金床、樹皮、若き王子。
慣例で空けられる十三の席は、空白のまま。
「――審議を開始。第一席は沈黙、第二席は背骨が真っ直ぐ、第三席は遠見の水鏡越しに丁寧な微笑み。第四席は古森の影、第五席は数式、第六席は祈祷、第七席は仮面の内側で笑って、第八席は砲身、第九席は拳、第十席は小槌、第十一席は梢のざわめき、第十二席は……震える羽根ペン」
指先で人形をはじくたび、乾いた音が灰に埋もれて消える。
クルエルは口の端だけで笑い、虚空の光輪を見上げた。
渦巻く文字列の中央に、遅れて“1”が点る。
「……やっとか。遅いよ、円卓」
瓦礫の玉座に足を投げ出し、唇の笑みだけを保ったまま。
この国――勇者が魔王を討って始めた王朝は、金竜の神威で地図から拭い去られた。
残ったのは年号と灰と、焦げた記憶だけ。
「第一位。称号は“災厄”……悪くない」
無貌の仮面を模した人形をつまみ上げ、くるりと回して落とす。
「第七席、僕の目。衛星眼球も、彼の演出も好きではないけど……角笛の音まで『足した』のは、なかなか芸が細かい」
応える者はいない。
クルエルは黒ずんだ壁の焦げ跡へ歩み、指先で円を描く――呼ばない召喚陣。
「“星”は人を選ぶ。……いや、正確には“拘束する”。誰かが所有したつもりになった瞬間、見えない首輪がかかる。魔法が残る限り、人は星に囚われる」
声音は低く、柔らかく、よく通る。
「だから、終わらせる」
「金竜を“造れる”のは、あの夜で証明済み――世界中で一斉に呼び出すなら、準備は入念にしないと」
灰がふわりと舞う。
鈴のような笑い声が落ちた。
「おめでとう、災厄の坊や。ふふ、世界でいちばん迷惑な勲章ね」
銀糸の髪、無垢な立ち姿、湖の底みたいな瞳。
妖精女王――封印指定第九位。
「称号のセンスはいいと思うよ、女王陛下」
「ねえ、本当に“星を還さない”つもり?」
彼女は荊の紋の人形の肘をちょんと弾いて、「この曲がり方、妙に本物っぽい」と微笑む。
「還す? 最初から祝福なんかじゃなかった。呪いだよ。選ばれたがる人には酷だけどさ」
「言い切るのね」
ティターニアは小首を傾げる。
「それに貴女が教えてくれたんじゃないか、十二の星の真の権能を――だから僕はあの夜、奪った」
灰の静けさの中、クルエルは掌を返す。
指先に浮いた小像が、燻る光を縫うように回転した。
石膏で象られた蠍――尾の棘が、かちり、と乾いた音を鳴らす。
「あら……ふふ、手癖が悪いわね――わたしが言えた義理じゃないけれど。で、星槍は?」
ティターニアは足先で灰を円に払う。
舞い上がった粉が銀糸の髪に淡く降り、彼女は息でそれを吹き散らした。
「星槍はソウラに渡したよ――それが、彼が僕に協力する理由でもあったから」
短い返答。
蠍の影が瓦礫の角に掛かり、長く歪む。
クルエルの横顔は笑っているのに、目は塔の裂け目の外を測っていた。
「太陽が、星を? 理解できないわ、反発するに決まってるのに」
女王の睫毛に灰がひとひら止まる。
彼女は指の甲でそっと払うと、荊の紋の人形を爪でちょん、と弾いた。
「だからいいんだ。彼は自分の“太陽”を曇らせたがっていた。一撫でで戦いを終わらせたくない――それほど純粋に、楽しみたかったんだ。……それでもなお、異常なほど強いけれど」
遠く、どこかで金属がきしむような気配がした。
剣戟か、雷か、あるいは誰かの息。
灰はまた静まり返る。
「ほんと、野蛮ね」
吐き捨てる声音は軽いが、その瞳の底は湖面の冷たさを帯びていた。
「……でも、これでもし“そのとき”が本当に来たら、坊やが『星託者』になるのね」
ティターニアは視線を天井に上げる。
崩れた梁の隙間から、薄い風が入り、灰の粒を一筋だけ運んだ。
「そのつもりだよ。それがいちばん手っ取り早いからね……だから、還しはしない。終わらせるためだけに、使う――それだけさ」
クルエルは蠍の像を指の間で止める。
影が縮み、灰に落ちる音はしない。
唇だけが、夜より浅く笑った。
クルエルは“1”の光輪を見透かすように目を細める。
「アトラスは秩序のために“星”を飼い慣らす。僕は、秩序ごと噛み砕く。違いはそれだけだよ」
「……坊や」
ティターニアは笑うでも泣くでもない声で天井を仰ぎ、くるりと踵を返す。
「次はわたしも舞台に出して欲しいな? もちろん、主演じゃなきゃ嫌よ」
「やれやれ、我が儘なお姫様だ……考えておくよ」
彼女は足跡も残さず消える。
鈴の余韻と風の匂いだけが残った。
静寂。
クルエルは円の中央に立ち、指を一本立てる。
「一」
光輪の数字と声が重なる――確認だ。
「二」
「三」
――金竜は鳴き、太陽王は笑い、妖精女王は消えた。
彼らの記録は、そう示している。
円卓は序列を与え、世界は計算できると信じる。
クルエルは指を下ろし、若き王子の人形を拾い上げる。
親指と人差し指でそっと立たせ、円の外へ移す。
「震える羽根ペン。……見えるものだけで判断しないように」
灰を払って塔の縁へ。
海霧が輪郭を曖昧にし、灯りが薄く切り裂く。
遠くで、誰かが誰かと“対話”している――斬り結ぶ音、焼ける空気、歓喜にも似た呼気。
「行こうか、太陽王。好きに踊ってくれ」
ソウラ・レイは人形遊びに興味がない。
彼が好むのはもっと直接的な会話――殺し合いだ。
だからクルエルは干渉しない。
駒は火でもある。
自由に燃やした方が、風向きがよくわかる。
光輪の“1”が夜色へ溶けていく。
クルエルは灰の円卓を一度だけ振り返った。
「開会、閉会。――次は、本物の席で」
笑みも残さず、廃城の闇に消える。
十二の人形は風に倒れ、灰に沈んだ。
星は還らず。
――ただ、夜だけが巡っている。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます!
第四章開始は9/23(火)20時頃の予定です!
引き続き宜しくお願いします!




