間章 前編「円卓裁定」
西方世界歴五九七年末――魔法大国ヴィクトリア王国。
王国、そしてこの国に拠点を構える魔法協会が共同で管理する神秘の島がある。
その名もオルモア島。
入島を許されるのは限られた魔法使いのみであり、この隔絶された聖地は古より魔法文明の象徴とされてきた。
その中心に聳える荘厳な聖堂は、かつて原初の魔術師団『オルモアの樹』の拠点であった場所。
今では円卓の間と呼ばれ、西方世界の秩序を維持する超国家組織――
『円卓の魔法使い』が、その会合に用いている。
十三の席。そのうち慣例で空けられる末席を除く全てが埋まっていた。
実質的な末席とされる十二番目の席には、やや緊張した面持ちで浅く腰掛ける青年がいる。
ユーウェイン・ヴィクトリア――偉大なる魔法の国の次代王にして、この会合の記録者。
彼は初めて、この円卓裁定に出席していた。
あの滅国の七日間による緊急招集以来となる今宵の会合。
場内の空気は張り詰め、静寂が耳を圧する。
議題はただ一つ。
長らく触れられることのなかった最大級の禁忌――封印指定の改定であった。
「これより――円卓裁定を開会する」
第一席、ヴィクトリア王国国王ユーゼル・ヴィクトリアが朗々と宣言する。
祖父の声は高くも低くもなく、ただ揺るぎない響きで聖堂を満たした。
「参加者、確認を」
続いて第二席、『白の大賢者』アトラス・グリュンワルドが厳かに告げる。
淡々と席順を読み上げていくその声が、一人ひとりの名を光に照らすかのようだった。
「第三席、『聖母』ヒルデガルド・ローゼンドルン――遠隔にて参加」
アトラスの言葉に、祭壇奥の幻視の水鏡が淡く光を帯び、そこに優美な女性の姿が現れる。
「皆さま、お目にかかれず申し訳ございません。遠方よりではありますが、本日もよろしくお願いいたします」
柔らかな声音と微笑みに、場の空気が一瞬だけ和らいだ。
三賢――現国王ユーゼル、白の大賢者アトラス、そして聖母ヒルデガルド。
彼らに並び立つ日がいつか自分にも訪れるのか。
そう考えてみても、ユーウェインには到底想像がつかなかった。
目の前にあるのは、威厳と歴史そのものだった。
「では、本題に入ろうか……アスキス殿、後を頼む」
アトラスの声に、第五席『会長』アスキスが静かに一礼し、視線を一巡させた。
彼は手元の記録板を軽く持ち上げ、淡々と語り出す。
「今回の議題――封印指定改定案についてだが……現代における脅威の性質と分布は、この数年で大きく変化している」
「それだけ滅国の七日間がこの西方世界に与えた影響は大きい、ということを念頭に置いて頂きたい」
その声は冷静だが、告げられる言葉の重さは否応なく場を引き締めていった。
アスキスは視線を落としたまま、一定の間隔で番号と名を告げていった。
封印指定――その順位は、そのままこの世界における脅威の序列でもある。
ひとつ、またひとつと名が積み重なるたび、ユーウェインの胸の奥に冷たいものが広がっていく。
やがて最後の名が告げられたとき、彼は言葉を失っていた。
第一位 『災厄』 クルエル・サヴァン
第二位 『金竜』 エルドラド
第三位 『太陽王』 ソウラ・レイ
第四位 『銀狼』 アマルガム
第五位 『闇の帝王』 ゲオルグ・グヴァルグラード
第六位 『白猿』 ユエ
第七位 『死の商人』 ドリュオンズ
第八位 『黒蛇』 ヘイダルゾーン
第九位 『妖精女王』 ティターニア
第十位 『巨人帝』 オケアノス
名が全て出揃った瞬間、聖堂内に微かなざわめきが走る。
押し殺した息遣い、椅子のきしむ音、視線が交差する気配。
笑みを浮かべた者、眉間に皺を寄せた者、まるで聞こえなかったかのように沈黙を守る者――
その反応は様々だった。
アスキスは短く付け加える。
「なお、直近で問題となった旧型魔導人形の押収件数はヴィクトリア並びにクライセン両域で増加。押収品の刻印は《D》の符号で一致――『死の商人』の優先順位を上げる案もあったが、今回は据え置きとさせて頂く」
落ち着く間もなく、アスキスは次の言葉を紡ぎ始めた。
「そして、新たに封印指定としたのは三名――クルエル・サヴァン、ソウラ・レイ、そしてティターニアだ」
「会長さん、腰折って悪いんだけどよ……そのクルエルってのは、どこのどいつなんだ?」
口火を切ったのは、第九席――『リベルタ自由軍』の『団長』ダビデ・デル=リオであった。
歪な笑い声が漏れ出す。
第七席、クライセン王国唯一の魔法使い――石仮面の男、シュタインシャーレのものであった。
仮面の奥から響くその声は、湿った金属をこすり合わせるような不快さを帯びている。
「……何が可笑しい?」
ダビデが低く睨みつける。
「ククク……失礼いたしました。――会長様、彼については私から説明をさせて頂いても?」
「……構わない」
アスキスは冷たい眼差しを向け、短く答える。
「ククク、至極恐悦にございます。では、早速……皆様、こちらをご覧ください」
仮面の掌に現れたのは、眼球を模した漆黒の球体。
表面には細かな銀の紋が脈動し、まるで呼吸をしているかのように光が滲む。
自然と視線が吸い寄せられ、聖堂の空気がわずかに重くなる。
「衛星眼球。これはあの夜――滅国の七日間の初日、金竜エルドラドが顕現する直前の亡国の記録です」
淡い光が球体の中心に集まり、瞬く間に映像が立ち上がった。
霧に沈む城塞都市。黒く焦げた街並みを縫うように、兵と民が逃げ惑っている。
その最奥、一際高くそびえる塔の頂に、一人の男が立っていた。
男は口元に何かをあてがい、ゆっくりと息を吸い込む。
「これは……馬鹿な、角笛か?」
第六席『大司教』ヨハネス・グレゴリウスが、椅子を鳴らして身を乗り出す。
「さすが大司教様、ご名答でございます……これは竜の角笛――神代の魔導具の一つ」
塔上の男の動きに合わせて、映像の空が一瞬ざわめくように揺らめいた。
不気味な低音が響き、映像越しにも空気が震える。
その音は、呼び声だった。
「角笛に刻まれた魔法は失われた魔術、召喚魔法とされております」
シュタインシャーレの声が、やけに楽しげに響く。
「そして、この角笛を吹いている者こそが――クルエル・サヴァン」
名が放たれた瞬間、場の温度が一段下がった。
深く息を呑む音、椅子のきしみ、膝の上で組んだ手を強く握る者。
わずかな笑みを浮かべる者すら、その目は笑っていなかった。
ユーウェインはただ、その名と映像を脳裏に刻みつけるしかなかった。
「つまり……金竜は召喚できるってことか? 信じられん!」
第十席『名匠』ボルグ・プレトリウスが、声を荒げて立ち上がる。
その勢いを制するように、低く落ち着いた声が響いた。
「しかし、客観的にはそう捉えるしかない」
――第六席『大司教』ヨハネス・グレゴリウスだ。
映像の中で、男の手元にあったはずの角笛が音もなく砕け散る。
直後、塔上の空を覆う雷雲が沸き立ち、街を闇に沈めていく。
そして、その黒雲を裂く一条の閃光――
黄金の巨躯が、空を切り裂くように姿を現した。
映像はその直後に瞬き、音はわずかに重なって記録が乱れた。
「あの角笛が本物であれ、偽物であれ――あの瞬間、確かに金竜は現れた」
ヨハネスの言葉に、誰も反論しない。
「そして、それだけの召喚魔法を成功させてなお、この男が生きている。それが問題だ」
「ククク……仰る通りでございます。さて、実は映像には続きがありまして……」
シュタインシャーレの掌中の光景が再び動き出す。
塔上のクルエルの下方から、ひとつの熱源が急速に迫る。
その気配に、この場の魔法使いたちは全員が息を呑んだ。
それが何であるか、全員が知っていたからだ。
「……太陽王。まさか、角笛の男と繋がりがあったのか」
滅国の七日間の半年前、西方世界に突如姿を現した男。
『太陽王』ソウラ・レイ。
その力の根源は、限定魔法『太陽』――
灼光と熱、放出と加速を軸とする術式群は、単独で戦線を焼き切る。
術者の傷は再生の炎が飲み込み、痕すら残さない。
完全無欠――究極の魔法の一つ。
だが、その尋常ならざる魔力は長く人に耐えられず、やがて精神を蝕み、術者自身をも焼き尽くす。
その『太陽』の主は、戦闘を悦びとする悪魔のような男。
戦場に現れたが最後、勝者と敗者は明確であり、敗者は必ず命を落とす――
その名は既に畏怖と警告の代名詞となっていた。
「……金竜を呼び起こし、『太陽』の主すら従える者――クルエル・サヴァン」
アスキスが淡々と締めくくる。
「真偽の検分はなお続くが……この一行を、現在我々の世界を最も脅かす存在と認める根拠は、以上だ」
「円卓の間」に流れる沈黙を破ったのは、水鏡の奥からだった。
「オーベロン、貴方のところのいたずらっ子の名前が呼ばれた気がしたけど……気のせいだったかしら?」
ヒルデガルドが柔らかく問いかける。
議会が始まってから終始無言を貫いていた第四席――
神代を知る『最長老』オーベロンが、ゆっくりと口を開く。
「……知っての通り、あれは私の娘だ。しかし――イル・シエヴの秘宝を盗み、姿を消した」
その一言に、場内の空気がわずかに揺らぐ。
オルモア島の象徴たるオルモアの樹。
それに並び立つ元素の宝庫とされる、妖精たちの秘宝――
その盗難という事実が、あまりにもさらりと告げられたからだ。
「秘宝さえ奪い返してくれれば、あれの生死は問わない」
「最長老もまた難儀なことを……妖精を殺すなんてそんな真似、誰も出来ないだろうに。……しかし、このクルエルという男と妖精女王が繋がっているのなら、それは一大事だ。角笛すら造り得るのでは?」
『智慧の大樹』と呼ばれる巨人、第十一席のハーバーシャムが矢継ぎ早に言葉を並べる。
その推測を境に堰を切ったかのように、順位に対する議論の声がいくつも重なっていく。
だが、その流れを断ち切るように、一人の男が低く言い放った。
「……だとしても、今も絶えず脅威にさらされ続ける我々を無視するのはどうなんだ?」
「あの戦争以降、我らローレシアの地にアマルガム……我が祖国の言葉で云う銀狼が棲みついて間もなく百年。そして、目と鼻の先、イプセンに造られたいつ破られるとも知れぬ大監獄には、かの『闇の帝王』と『巨人帝』がいる」
一拍置き、冷ややかに言葉を重ねる。
「大監獄の話は“もしも”に過ぎないとしても……銀狼を見くびることが出来るのは、貴殿らが実際にその神威に触れたことがないからだ。直近三冬、前哨線の死傷比は四対一……凍土の白は――我らの血の色だ」
その男の名は――ビクトル・ヴズルイフ。
円卓の第八席にして、銀狼の牙を幾度も潜り抜けてきた歴戦の狩人が、ついに吠えた。
* * *
一席の指先が石槌を叩く。重い響きが聖堂に落ち、裁定は確となった。
会議が終わると、円卓の間に静寂が戻った。
席を立つ者、言葉少なに去る者――余韻だけが聖堂に残る。
ユーウェインは記録板を胸に抱え、石の扉を押し開けた。
外に出れば、島の空はすでに群青に沈みつつある。
聖堂裏の回廊を抜け、王家の随員に導かれて、オルモア島と本土を結ぶ連絡橋へ。
石の継ぎ目を渡る靴音が、群青の海にほどけていく。
ガンドールへ伸びる静かな橋を渡るあいだ――
先ほどのざわめきが、まだ耳の奥で微かに鳴っている。
王都へ戻るころには、夜は完全に落ちていた。
浮遊城ヴィクトリアの高層回廊を渡る風だけが、冷たく頬を撫でていく。
封印指定の順位は、結局アスキスが最初に発表した通りに確定した。
その中でも、聞き慣れぬ名――クルエル・サヴァン。
滅国の記憶と共に、その響きは脳裏から離れない。
もう一つ、胸に刺さった言葉がある。
〈銀狼を見くびるのは、貴殿らがその神威に触れたことがないからだ〉
――ビクトル・ヴズルイフ。
私は“神威”を知らない。
滅国の七日間で、海峡の向こうにあったはずの大国――
ガレオン皇国は、建国六百年を目前に金竜によってこの世界の地図から消し去られた。
勇者が魔王を討って始まった王朝は西方世界歴の起点だが、王朝の系譜も都の灯も、すべては神威の炎に呑まれ、暦だけが痕跡として残った。
だが私は、その瞬間をこの目で見ていない。
だからこそ、記録者として秩序の天秤に、今日の序列を載せるしかなかった。
世界の秩序を量る天秤と前線で命を量る天秤――どちらも真実で、どちらも傾けられない。
記録者の余白に、短く書き留める。
〈北域・前線報告の精査〉――そして、〈いずれ自分の目で〉。
塔の窓から見下ろすと、闇の海に浮かぶ街灯が、揺らめく星のように散らばっていた。
ユーウェインは深く息を吸い込み、夜気の冷たさを胸に刻む。
――いつか必ず、向き合うことになる。
それが何を意味するのか、この時の自分はまだ知らない。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます!
次回更新は9/21(日)20時頃の予定です!
引き続き宜しくお願いします!




