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亡国のステラリア  作者: 黒瀬 行杜
第三章
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第三章 第二十二節「果ての白昼」

石造りの天井から垂れ下がる一本の鎖が、静かに揺れていた。

工房の奥では、古びた作業台の上に据えられたフラスコが、金色の液体を鈍く反射させている。

光は乏しく、焔のゆらめきが壁の影を長く引き延ばしていた。


その影の中から、金属靴の硬質な足音が響く。

石仮面の男が膝をつき、深く頭を垂れた。


「商人様……仰せつかった男の処分は、完了いたしました。ただ……ククク、お貸し頂いたお人形は今回も返せそうにはなく」


背後から、低く掠れた声が返る。


「……ふん。貴様に貸した物が返って来るとは、到底思ってはおらんが……まさか、あの施設ごと葬り去るとはな」


「ククク……そこは、鼻の利く者が居たようでして」


互いの声が交錯した、その刹那。

工房の暗がりを、艶やかな声が切り裂く。


「珍しいね、ドリュオンズ……あの工房を壊されて、怒ってるのかい?」


石仮面は、即座にその主を察した。

仮面の奥で目を細め、恭しく頭を垂れる。


「……おお。これはこれは、我が主。ご無事で何より」


作業台の向こう、薬瓶の影に立つ『死の商人』ドリュオンズは、目を細めて吐き捨てた。


「……貴様がここに姿を現すことの方が珍しいとは思うがな、クルエル」


影から歩み出た男は、夜の帳のような黒衣をまとい、口元に緩やかな笑みを浮かべていた。


「そうかい? でも、今回は……随分と良い物を見せてもらった」


クルエルと呼ばれた男はゆっくりと顔を上げ、石仮面へと視線を送る。


「シュタインシャーレ……あの獅子の子は、思わぬ掘り出し物だった。やっぱり面白いよ、“星”は」


「……はっ」


石仮面は深々と頭を垂れる。

その姿を見下ろしながら、クルエルは声を低め、静かに告げた。


「引き続き頼むよ、君は僕の“目”なんだから」


その手には、小さな銀の天秤が握られていた。

傾いだ皿が、ゆっくりと揺れるたび――油の切れた金属音が、工房に沈む。


その冷ややかな響きとともに、クルエルの笑みは、夜よりも深く、静かに広がっていった。


* * *


グラーフェンブルク政務院――政務卿室。

厚いカーテン越しに射す曇天の光が、重厚な書棚と黒檀の机を鈍く照らしていた。

部屋に響くのは、紙を繰るわずかな音と、暖炉の奥で薪が爆ぜる微かな音のみ。


「……兄上の言う通りでした」


低く抑えた声が、静謐を破る。

第三王子テオドール・デア=クライセンは、鋼鉄の義腕をゆるやかに撫でながら言葉を続けた。


「まだ私には、団を率いるには早かったのかもしれません」


机の向こうで、政務卿ジークムント・デア=クライセンは弟の顔を静かに見据える。


「君が生きて戻った、その事実だけで十分だ。……まあ、騎士王にはしてやられてしまったが」


苦みを帯びた声音が、暖炉の炎に混じる。


「……まさか、こんな形で父上が王権を奪った理由が明らかになるとは。これで父上は、より騎士王との関係を強固にするだろう」


「兄上が騎士王をお嫌いになるのは……我が国の軍国化に歯止めをかけたい一心でしたね」


テオドールは視線を落とす。


「しかし、あの御方の力は絶大だ……今回、私は身をもって知りました」


ジークムントは答えず、ただ弟を見つめた。

その沈黙を受け、テオドールは小さく息を吐く。


「少し長居しました……これから稽古です」


「稽古?」と、兄の眉がわずかに動く。


「兄上は呆れるでしょうが……それでも私は騎士でいたいのです。この腕で剣を振れるようにならなければ」


義腕の金属が、薪の光を淡く映す。


ジークムントの口元に、わずかな笑みが浮かんだ。


「……そうか。君ももう良い年だ、私は何も言わんよ」


「それに……これがティアナを守る術だとも思っております」


末妹の名に、ジークムントの瞳がわずかに揺れる。


「……我々の末妹のことを持ち出されたら、私にはいよいよ手が出せないな」


ジークムントは苦笑し、小さく息を吐くと、ふと何かを思い出したように言葉を続けた。


「そういえば……彼らはそろそろ、この国を出るらしい」


「……そう、ですか」


テオドールは短く答えるに留めたが、その瞳の奥にわずかな光が揺れた。

何を思ったのかは言葉にならず、ただ静かに胸の奥へと沈んでいく。


彼は恭しく一礼し、静かに部屋を後にした。

扉が閉まり、執務室には再び薪の爆ぜる音だけが残った。


ジークムントは机の引き出しを開け、古びた写真を取り出した。


そこには若き日の彼と、よく似た二人の女性が並んでいる。

一人は彼の母、アリーゼ妃。

もう一人はその妹である、アリーナ妃。

アリーナの腕には、柔らかな産毛を揺らして眠る赤子――ティアナが抱かれていた。


「……ティアナ。君だけは、この国に利用はさせない。それが、私とアリーナ妃との約束だから」


低く告げられた言葉に、決意の色が宿る。


その時、不意に彼の耳飾りが淡い光を帯び、揺れた。

ジークムントは即座にそれに気づき、部屋の隅に控える秘書へ目を向ける。


「少し奥に籠る。人が来たら追い払ってくれ」


「公務のため外出されたことにしておきましょう」


迷いのない返答に、ジークムントは頷く。


立ち上がった彼は壁際の本棚へと歩み寄る。

右手を翳すと、結界文様が淡く浮かび、本棚全体が横に滑って開いた。

奥から現れたのは、鋼で作られた重厚な隠し扉。


それを押し開けた先は、冷たい外気を孕む螺旋階段の塔だった。

壁には古びた星図と天文器具が並び、上階からは淡い光が差し込んでいる。


階段を登りきると、そこは天文台オブザーバドリーの入口。

その扉の前に、一人の老人が立っていた。

銀髪を肩に垂らし、深い皺を刻む瞳は、幾千もの歳月を見届けてきたかのようだ。


ジークムントの姿を認めると、老人はゆるやかに口を開く。


「……突然呼び出してすまないの、双児宮の子よ」


星図を背に立つその存在は、ただそこに在るだけで空気を張り詰めさせる。


――『黄道の十二宮(ゾディアック)』の主にして、大魔導師グランドマスターの一柱。

アトラス・グリュンワルド。


その名は、静かに告げられただけで、時の流れすら止める重みを帯びていた。


* * *


クライセン王国最北の地、ラインベック。


真昼だというのに、陽光は厚い雲に押し潰され、雪原は灰色に沈んでいる。

遠くまで見渡せるはずの地平も、靄に溶けて輪郭を失っていた。

――胸の奥まで、冷たい影が入り込んでくるようだった。


かつてアルブレヒトの工房があった跡地は、凍てつく風に晒されながらも、もはや一片の魔力の残滓すら感じられなかった。


「……本当に、何もなかったみたいね」


ジゼル・ブラウロットが苦々しく呟き、その光景を睨みつける。


「俺の目でも何も見えない……ここまで痕跡って消せるものなのかよ」


オズワルド・ミラーは努めて軽い口調を装いながら、辺りを見回した。


エル・オルレアンは、ただ黙ってその場を見つめていた。


――あの日から、数か月が経った。


あの時、僕には全てが見えていた。

僕を庇ってテオドール王子が腕を失った瞬間から、辺りは黒に包まれたのに……それでも全て、はっきりと。


目の前で、機械魔神(エメト)が壊れていく様。

小人が弄ばれ、凍りついていく様。

必死に声をかけるオズ。

痛む身体を押して、僕を止めようと立ち向かうジゼル――。


あの時、僕は色々なものを壊しかけていた。

ウェンディの館で失った何かを取り戻そうとしていたはずだったのに……逆に、もっと多くのものを失いかけた。


結局、僕らの手に残ったものは少なかった。

禁呪(タブー)の正体も掴めず、旧型魔導人形(オートマタ)の作り主が判明しただけ――それなのに、失いかけたものは数えきれない。


そして――僕は、魔法を使えなくなった。


「……ここにいたのか」


後方から掛けられた声に、意識が現実へと引き戻される。

振り向いた先に立っていたのは、鋼鉄の義腕を携えた男――第三王子、テオドールだった。


「テオドール王子……!」


オズが驚きの声を上げる。


「お前たちがこの国を出ると聞いてな、駆け付けた」


そう言って笑みを浮かべるテオの姿に、ジゼルの視線が義腕へと吸い寄せられた。


「……アンタ、それ……?」


「ああ、魔導器(アームド)の腕だ。義手では剣の感覚が鈍る。だから、換えた」


軽く義腕を掲げ、テオドールは続ける。


「だが、左で剣を振れるようになってきた。今の俺は……あの時より強いぞ、多分な」


ジゼルは小さく息を吐き、「……呆れた」と吐き捨てた。

だが、その声音にはかすかな温もりが滲んでいた。


エルはそんなテオドールを見つめてもなお、顔色を青ざめさせたままだった。


「気にするな。あれは俺に落ち度がある」


真っすぐにエルを見つめ、テオドールは穏やかに告げる。


「……でも」


エルの口から漏れた声は、弱々しく、風に消え入りそうだった。


テオドールは、まっすぐにエルを見据えた。


「エル……お前には、力がある」


その言葉に、エルは思わず目を見開く。


(……何で……こんな目にあって、そんなことが……)


「力のあるお前は、それを正しく使えるようにならなければならない。それがお前の責務だ」


一拍置き、低く続ける。


「もし、お前が俺のこの腕に負い目を感じるようなことがあるなら……強くなれ。話はそれだけだ」


言い終えると、テオドールは今度はオズへと視線を向ける。


「オズワルド、俺は魔法のことはからっきしだが……お前の魔法、あれ、本当にそんな不便なのか?」


「え……いや、その……自分の力を知ったときから、出来るだけ使わないようにしてきたので」


オズは戸惑いながら答える。


「お前は知恵も知識もあるのに、なぜ自分の魔法についてはその頭を使わないんだ?」


その問いに、オズは口をつぐんだ。

考えたこともなかった。

自分の力をどう使うか、ということを。


最後に、テオドールはジゼルへと向き直る。


「二人を導いてやってくれ。ただ、もしこいつらの子守りが嫌になったら――黒騎士団(シュヴァルツリッター)は歓迎するぞ?」


「……そのときが来たら私が団長の座をもらうけど、いいの?」


ジゼルは鼻を鳴らし、答える。


「ふっ、その意気だ。……じゃあ、達者でな」


そう言い残すと、テオドールの姿は転送札(パス)の淡い光に包まれ、静かに消え去った。


その背中が消えても、彼の言葉の熱は、各々の胸の奥に残っていた。

エルは無意識に拳を握りしめ、オズは視線を落として思案に沈む。


――そして、ジゼルが一つ大きく息を吸う。


「……しょうがない、行くわよ」


「行くって、どこに……?」


オズがすぐさま聞き返す。


ジゼルに従い、とりあえずやって来た最北の地。

まだ一行の行き先は決まっていなかった。


「ブラウロット、私の故郷」


吐き出すようにそう告げたジゼルの横顔は、雪の白さよりも冷たく――

そしてどこか懐かしげだった。


その言葉にオズは驚きを隠さなかったが、エルは未だ言葉数は少ないままだった。


ただ、テオドールの別れの言葉は――

胸の奥で、雪明かりのように淡く、それでも確かに灯り続けていた。

ここまで読んでいただき、ありがとうございます!


次回は間章となる前後編を、9/20(土)9/21(日)に公開させて頂きます。

本編第四章は、9/23(火)から再開させて頂きます。

投稿予定は、これまで通り20時頃となります。


引き続き宜しくお願いします!

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