第三章 第二十節「贖罪の末」
地下工房の戦いは、終息したかに見えた。
だが、誰もが安堵を吐くには早すぎた。
機械魔神の残骸が黒煙を上げる中、その中央に佇む“黒い影”だけが、なおも戦場に残っていた。
両手を広げ、空気を震わせるように放電する影。
紫電が弾けるたび、工房に並ぶ設備――
蒸気炉、制御盤、魔導器の類がひとつ、またひとつと火花を散らし、次々に機能を失っていく。
オズワルド・ミラーは、静かにその影へと歩を進めた。
「……エル。もう、戦いは終わったんだ。聞こえてるんだろ? なあ……戻れるんだよな?」
黒い影は、ゆっくりとオズの方へ首を向ける。
その瞬間、ジゼル・ブラウロットの叫びが響いた。
「オズ……! 離れなさい!」
咄嗟にオズは後方へ跳ぶ。
その直後、彼が立っていた足元の床を破って、漆黒の鉄槍が突き上がる。
「……エル。なにやってんだよ……なあ!」
振り返りざまに叫ぶオズ。
その目に映るのは、鉄で造られた黒剣を手に、ゆっくりと歩を進めてくる影の姿だった。
「オズ! 逃げて!」
ジゼルの叫びも届かない。
オズは一歩も退かず、ただエルに向き合ったまま、言葉を重ねる。
「……なあ、エル。聞こえてるなら、返事しろよ。おまえが、そんな風になるなんて……嘘だろ?」
だが、黒い影の歩みは止まらない。
ジゼルは、痛みに軋む身体をどうにか立たせ、戦斧を手に構えようとする。
だが、力が入らない。
手が震える。
――それでも、立っていた。
黒い影は、ついに剣を振り上げた。
目の前のオズに向かって、それを振り下ろそうとする――が。
その刹那、剣は空を切る直前で、ぴたりと止まった。
そして。
「……逃ゲテ、オズ」
かすれた、けれど確かに聞こえたその声に、オズの目が大きく見開かれる。
それは、確かに――エル・オルレアンの声だった。
黒い影は、剣を握ったまま、ぴたりと動きを止めていた。
そして――
次の瞬間、甲高い金属音を響かせながら、剣を投げ捨てる。
それと同時に、腹の底から絞り出すような咆哮が工房中に響いた。
「――――アアアアアアアアアッ!!」
黒い魔力の奔流が、竜巻のようにエルを中心に巻き起こり、空間そのものを裂くかのように広がっていく。
「うおっ……!」
その衝撃に弾き飛ばされるようにして、オズは吹き飛ばされ、ジゼルのもとへ転がる。
「オズ!」
「……俺は大丈夫。それより……エルを……!」
息を荒げながら立ち上がるオズ。
その目は、咆哮を上げ続ける黒い影――否、暴走するエルの姿を見据えていた。
「……まだ、あいつは……戦ってるんだ!」
黒い影は見境なく魔力を放ち始める。
魔力の波が炸裂するたびに、地下工房の柱が崩れ、壁が剥がれ、天井が軋む。
爆風が吹き抜ける中、入口からもう一つの足音が聞こえた。
「……!」
血まみれの姿で、テオドール・デア=クライセンが現れた。
右肩からぶら下がる袖には、もう腕はない。
だがその左手には、もう一本の剣が握られていた。
「……こいつを、このまま放ってはおけない。お前たちは……助けを呼びに行け!」
「テオドール王子……!」
決意をにじませたオズが、何かを思い定めたように振り返る。
そして、ジゼルの肩に手を添えて――小さく、囁くように言った。
「……頼む、エルを……止めてくれ」
「ちょ、ちょっとオズ……なにする気よ……?」
困惑するジゼル。
その表情を前にして、オズは静かに目を閉じる。
「……贖罪の山羊」
淡い光が、二人の身体を包み込んだ。
「なっ……!? 何これ……!?」
ジゼルの傷――あの腹を貫いた槍の痕が、ゆっくりと、まるで初めからなかったかのように消えていく。
身体が再生し、力が戻るのを、ジゼルは確かに感じていた。
だが――
「ごふっ……!」
背後で、鈍く倒れ込む音。
振り返ったジゼルの目に映ったのは、血に染まった床と、うつ伏せに崩れ落ちたオズの姿だった。
「オズ!? アンタ、なにを……何をしたの!?」
床に広がる血の流れ――その源は、オズの腹部からだった。
「これが……俺の……魔法だ、よ……」
かすれた声が返ってくる。
「贖罪の山羊……誰かを助けるために、何かを犠牲にする……」
その意味を、ジゼルはようやく理解する。
「ジ……ゼル……君、よく……これで、喋って……たな……」
オズは、微笑もうとして、血を吐いた。
彼は、自らを生贄とし、ジゼルを癒したのだった。
「……馬鹿モジャのくせに」
ジゼルは深く息を吸い、黒い影へ向き直る。
「エル……アンタは私が、絶対に引き戻す」
ジゼルは両足を踏みしめ、戦斧を構えた。
黒い影を挟むように後方では、片腕を失ったテオドールが剣を握り直す。
「行くぞ、ジゼル!」
「分かってる!」
二人は同時に黒い影へ踏み込む。
先ほどまでの圧倒的な速さは鳴りを潜め、動きがどこかぎこちない。
斬撃も魔法も、間合いも精度も乱れている。
「……不安定……!」
ジゼルは見抜いた。
暴走が制御しきれず、隙を晒している。
その隙を突き、テオドールが渾身の突きを放つ。
剣先が黒い影の脇腹を掠め、黒煙が噴き出した。
しかし、黒い影の魔力はなおも破格だった。
低く唸るような音とともに、地を抉る風が集まり――
「下がれ!」
テオドールの声と同時に、竜巻が生まれた。
黒い影を中心に巻き起こった風の柱が、工房全体を揺らす。
二人の身体が宙に舞い、壁へ叩きつけられた。
「ぐっ……!」
ジゼルは壁を蹴って立ち上がるが、足が震えていた。
テオドールは膝をつき、そのまま動かない。
既に右腕を失い、今度ばかりは立ち上がる力を残してはいなかった。
「……クソっ……」
その呟きにジゼルは振り返らず、戦斧を握り直す。
竜巻が消え、視界が晴れる。
黒い影の姿がない――
「消え、た……?」
次の瞬間、眼前に黒い影が現れた。
その左手には、黒く渦巻く火焔の球体が浮かんでいた。
熱が、空気を歪ませる。
ジゼルは歯を食いしばり、足を踏み出した。
(この距離、避けるのは無理! なら……刺し違えてでも、エルだけは!)
「どぉりゃあああああッ!」
斧を振り抜こうとしたその時だった。
テオドールが吹き飛ばされた入口の側から、突如迫り来る巨大な魔力の波動――
それは覇気にも似た何か。
覇気は刃となって、猛烈な勢いで襲い掛かり、空間を裂き、黒い影をも斬り裂いた。
ジゼルは目の前の光景を疑った。
あの、黒い影――エルだった何かは、影を失ってついに崩れ落ちる。
刹那、形を失った黒は破片のように四散し、霧のように消えていく。
元の姿を取り戻したエルは、血と焦げ跡に覆われたまま、その場に倒れ込んだ。
「……何が、起こったのよ?」
この場でただ一人意識を保つジゼルは、驚愕したまま、斬撃が放たれた先を睨む。
甲冑の軋む音が響くなか――
二人の騎士がゆっくりと、歩みを止めずに迫っていたのだった。
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