第一章 第四節「剛剣との邂逅」
星の素質を持つ少年が、初めて“公の場”に立つ。
訪れたのは、リベルタ唯一の魔法師団――『リベルタ自由軍』。
マリアに連れられたエルは、そこで“剛剣”と呼ばれる男と出会う。
まだ何者でもない少年が、初めて名を問われ、力を試される節です。
街のざわめきが遠ざかると、石畳の道の先に、それは姿を現した。
アルマデナの一角。リベルタ自由国家連邦における唯一の魔法師団――『リベルタ自由軍』の拠点である。
厚い石壁に囲まれたその敷地は、小さな砦のような風格をまとっていた。
黒鉄の門扉には魔封の紋が刻まれ、左右には槍を構えた守衛が立っている。
そのひとりがマリアの姿を認め、わずかに眉を上げた。
「……あんたは、マリア・クルス?」
マリアは立ち止まらず、顎をわずかに上げる。
「マリアで悪かったわね。イエロはいる?」
守衛は慌てて敬礼し、背を伸ばす。
「っ、はいっ! 本日、団内訓練中との報告が」
「なら問題ないわ」
マリアは振り返りもせず、後ろに控えるエルに手招きをする。
エルが足早に追いつこうとした、その瞬間――
「待った待った、そっちの子は?」
守衛が手をかざし、エルの前に立ちはだかった。
「ここは立ち入り――」
「私の弟子を会わせに来たの。文句ある?」
マリアの声は、低く、よく冷えていた。
守衛の肩が一瞬ぴくりと震える。
だがそれ以上は何も言えず、視線をそらすだけだった。
エルはそのやり取りを黙って見ながら、そっと口元を引き結んだ。
(なんだかんだ言って……ちゃんと面倒見てくれるんだな、この人)
ほんのわずかに、胸の奥が温かくなる。
鉄の門扉が、重たい音を立てて開かれた。
その向こうには、陽に焼けた石畳の広場が広がっている。
訓練中の団員たちの掛け声。ぶつかり合う魔力の余波。
鋼と火の匂いが、空気の奥に滲んでいた。
マリアは迷いなく足を進める。 その背中を追うように、エルも門をくぐった。
「……あれ、見ろよ」「まさか……」「本物か?」
道の脇で訓練に励んでいた団員たちが、声をひそめながらマリアに目を向ける。
「『魔女の女王』って噂の……」
マリアの眉がぴくりと動いた。
(……何が“魔女”よ。何が“女王”よ。そんなもの、誰が認めるもんですか)
小さく舌打ちをして、マリアは歩みを緩めない。
その隣、エルはマリアの表情を気にしながら、声をかけるべきか迷っていた。
だが、その迷いを切り裂くように、低く響く声が場の空気を一変させた。
「ほう……話す余裕がまだあったか? なら、少し強度を上げるか」
堂々たる体躯の男が、訓練中の団員たちにゆっくりと歩み寄っていく。
日に焼けた褐色の肌に、粗く刈られた黒髪。顎には無精ひげが覗いていた。
背に担がれた大剣。 その歩みは静かでありながら、揺るぎない力を感じさせた。
その姿に、エルは思わず、息を呑んだ。
* * *
重い扉がきしむ音とともに開かれ、石造りの建物の中へと足を踏み入れる。
中は意外なほどに開けていた。剥き出しの梁と煤けた壁。
中央には長テーブルが並び、奥では煙を上げた暖炉が揺れている。
どこか、酒場を思わせる作りだった。
その空間の隅――入り口近くの窓辺に、ひとりの少女が腰掛けていた。
明るい栗色の髪を肩で結び、背筋を伸ばして広場を眺めている。
年の頃は、エルとそう変わらない。
少女はマリアとエルの入室に気づき、わずかに視線をこちらへと向けた。
そして、ごく浅く会釈をする。
マリアは何も言わず、それに軽く顎を動かして応じただけだった。
エルは小さく頭を下げながら、少女の視線の強さに気づく。
(……何かを、見ている?)
そこに言葉はない。ただ、静かな観察者の眼差しがあった。
「こっちだ!」
朗々とした声が響いたのは、その直後だった。
奥の長卓。その中央に、どっしりとした体躯の男が座っていた。
全身に鎧布を巻いたまま、片手で小さな酒樽を引き寄せる。
「よく来たな、マリア! まあ、飲め!」
そう言って、マリアの手前にどんと酒樽を置く。
マリアはそれを一瞥し、鼻で笑った。
「私は修道女、酒なんて口にしないわ」
「堅いこと言うなって。昔はもっと砕けてたじゃねえか?」
「“昔”に砕けてたから、今はこうして慎んでるのよ」
会話が弾む間、エルは黙って席に着いた。
その隣に座ったマリアがふと、こちらに目を向ける。
「こっちはまだ……そういえばエル、あなたいくつ?」
「え、えっと……十六です」
「十六か。ふーん、思ったよりガキだな」
イエロはエルの顔と身体をざっと眺めると、躊躇いもなくそんなことを言った。
視線は悪意こそないが、遠慮もない。
まるで馬の年齢を測るかのような、無骨な視線。
「見た目だけじゃ、十三くらいかと思ったぜ。ま、顔もまだ甘いしな」
マリアがそれを聞いて、露骨にため息をつく。
「……もう少し言い方ってものを考えたらどう?」
「褒めたつもりなんだけどな? 俺なりに、な?」
イエロは悪びれもせず、小樽を手でくるりと回した。
「ま、そう堅くなるな。……改めて自己紹介しようか。イエロ・フェルナンデス。『リベルタ自由軍』副団長。団じゃあ“『剛剣』のイエロ”なんて呼ばれてるが……大仰な名ばかりだ」
豪快な口調とは裏腹に、彼の名乗りは驚くほどあっさりしていた。
「俺の方は、あんたの噂はちょくちょく聞いてたぜ。マリアが弟子を取った? しかも男? ってな」
「正式にはまだ取ってないわ。ただの預かりよ。オリヴィアの、ね」
その名が出ると、イエロの眉がぴくりと動いた。
「オリヴィアか。……あいつは昔から突拍子もないことをする」
「ええ。いつだって突然、話を端折って結論だけ置いていく。困った性格よ、本当に」
マリアが苦笑する横で、エルは黙ってふたりの会話を聞いていた。
イエロはふと、エルに向き直る。
「で、お前さんが“オリヴィアの持ってきた石”ってわけだ。名前は?」
「……エル・オルレアンです」
「エルか、短くて分かりやすい!」
イエロは椅子を軋ませながら立ち上がる。
その動きは大きく、重々しいが、まったく無駄がない。
「さて、話を聞くより、見る方が早い。ちょっと外に出ようか。お前の“素地”を見せてくれ」
エルがきょとんとした顔でマリアを見やると、マリアは首だけで頷いた。
「言ったでしょ。私は見極められない。だから連れてきたのよ」
イエロは振り返り、訓練場の扉の方を顎でしゃくった。
「安心しな。試すだけだ。命を取る気なんて、これっぽっちもないさ」
――けれど、剣を交わせば分かる。
イエロの目がそう言っていた。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
マリアとエルが『リベルタ自由軍』の拠点に到着し、
ついにイエロ・フェルナンデスと対面する回でした。
彼の豪快な振る舞いと、その裏にある眼差し。
そして「見る方が早い」と言い放ったその先に、何が待っているのか。
次回第一章 第五節「剣が語るもの」は、
6月11日(水)20:00頃に投稿予定です。
初めての“模擬戦”、そしてもう一人の少女との邂逅――
エルの剣に、どんな答えが刻まれるのか。ぜひご期待ください!