第三章 第十六節「黒い炎」
転送札の光が消えると同時に、足元に冷たい風が吹き抜けた。
四人が立っていたのは、北方の風が吹きつける荒野の只中――古びた城の石垣が、無残に崩れかけている。
クライセン王国北端、ラインベック。
かつては北の軍港として栄えたが、今はノイエ・クライセンの台頭により役割を失った、寂れた国境の街である。
かつての防壁も、今では草に埋もれている。
そして――アルブレヒトの怨讐が詰まった彼の地。
「……ここがその、転送札の反応があった場所か?」
テオドール・デア=クライセンが問いかける。
ジゼル・ブラウロットは黙って頷き、辺りを見回した。
どこを見ても、朽ちた石と枯れた土しかない。
「オズ。アンタ、目がよかったわよね? この辺り、魔力の“淀み”みたいなもの、感じない?」
オズワルド・ミラーは、眉をひそめて視線を巡らせる。
その額に、かすかな光の輪が浮かび上がる。
「……あそこ。塔みたいな部分。ここの遺構で唯一、魔力の流れが歪んでる」
ジゼルは一歩進み、斧を構えた。
「――割らせてもらうわ」
風が一瞬、止まった。
ジゼルの戦斧が横薙ぎに振り抜かれると、見えない壁にひびが走り、音もなく砕けた。
直後、塔の土台に沿って石畳が崩れ、そこに地下へと続く階段が現れた。
「ほう……やるな。俺にはまったく気づけなかったぞ……しかし、ここは」
感嘆の後、何かを思い出して呟くテオドール。
「……例の秘密結社の跡地、でしょ?」
ジゼルは苦々しい目で、目の前に現れた地下道を睨み、
「……何でよりにもよってこんなところに」
吐き捨てるように、独りごちた。
その傍らで、エル・オルレアンがジゼルに問う。
「これも、簡易工房の応用……?」
「そんなところね。結界で視覚と感覚を封じる仕組みよ。小人製にしては簡素だけど」
「……どれくらい、耐久性がある?」
「そう簡単には壊れないわよ。中に何があるのかは知らないけど……行くわよ」
四人は階段を降り始めた。
古びた石造りの階段を、足音がカツカツと鳴る。
暗がりの底――階段をすべて降り切った先で、四人は息を呑んだ。
壁一面に、無数の人型兵器――旧型の魔導人形が並べられていた。
目を閉じたまま、規則正しく壁に組み込まれた異様な光景。その数、四十を超える。
「ざっと見て、四、五十体……。これだけの数が、我が国に“眠っていた”とはな」
テオドールの声が、静かに響いた。
「今のところ動く気配はなさそうね。……でも、油断は禁物」
そう言ったジゼルの言葉を遮るように、エルが一歩、前に出た。
「……ジゼル。テオドール王子。……少し、離れてください」
エルの瞳に宿るものを見て、三人の空気が変わった。
ジゼルが目を細める。
「ちょっと、何する気よ……?」
エルは応えない。
ただ、目の前の兵器の群れを見据えたまま、右手をゆっくりと掲げた。
――剣じゃ、届かない。
もう斬れない。あの夜以来、僕はずっと。
胸の奥に、焼きついた光景がある。
――神の火。あの夜、マリアが放った終焉の炎。
ただ見ているだけだった。
何もできなかった。
――今度こそ、僕が、終わらせる。
彼の掌に、炎が灯った。
それは、今までのどの魔法とも違う。
赤でも、青でも、金でもない。
黒が混ざった、歪な火球。
その輪郭は揺らぎ、ゆっくりと膨れ上がっていく。
「馬鹿ッ! 頭冷やしなさい、そんな――!」
ジゼルが叫ぶが、その声にエルは振り向かない。
彼の魔力が急上昇するのを感じて、テオドールが低く言った。
「……今は言う通りにしておこう」
彼は一歩退き、ジゼルの肩を引く。
ジゼルも歯噛みしながら後退する。
だが――そのときだった。
静かに沈黙していたはずの魔導人形の“目”が、一斉に紅く光った。
「っ……反応した……!? エル、やめ――!」
オズの叫びも、もう届かない。
黒い火球は、轟音もなくふわりと浮かび、
そして、旧型の群れをゆっくりと呑み込んでいった。
炎が、咆哮のように闇を裂く。
光と爆音、鉄の軋む音、術式の崩壊音が地底に満ち、そしてすべてが、静かに、終わった。
灼熱の咆哮が過ぎ去り、再び静寂が降りた。
灰が舞う。
砕けた石片、黒焦げの部品、焼けた術式板の破片が地下に積もる。
鉄の匂いと焦げた魔素の臭いが鼻をついた。
エルはその場に立ち尽くしていた。
右手がわずかに震えている。肩で息をし、額にはうっすらと汗が滲む。
「やりすぎよ、アンタ……!」
ジゼルが足音も荒く歩み寄る。
だが怒鳴りつけることはなく、しばらく黙ってエルの横顔を見つめていた。
――あのエルが、こんな爆発を起こすなんて。
私が知る限り、こんな魔力は持っていなかったはず。
けれど、何よりまずいのは……。
この爆風、間違いなく届いてる。
この先に“彼”がいるなら、今ので全て知られた。
私が仕留めるつもりだったのに。誰にも邪魔させずに。
“アルブレヒト”を、私の手で――。
「……ったく、無傷だったのが奇跡ね」
「だが、あれは……」
テオドールが低く唸るように言った。
「凄い魔法だったな……クライセンでは考えられない出力だ」
静かな言葉の裏に、確かな驚きがあった。
その爆炎を、ただの偶然とは思えない。
彼は認めていた。ひとりの魔導師として、あの火の力を。
――だが、同時に思う。
この少年が、もし敵に回ったら。
この“火”が、もし我が国に牙を剥いたら――?
王子として。
そして、黒騎士団の団長として。
それを想定しないわけにはいかなかった。
エルは返答しない。
ただ、虚空を見つめたまま、拳を握りしめた。
「僕は……ただ、壊したかっただけなんだ。動き出す前に。……誰かが、また傷つく前に」
そう呟いた声に、偽りはなかった。
だがそこに宿っていたのは、使命感ではない。
追い詰められた何か――焦燥、あるいは罪悪感のようなものだった。
ジゼルは一歩退き、テオドールに視線を送る。
テオドールはわずかに頷いた。
「……先に進もう。ここは終わった。だが――あれはあまり使わない方がいい」
エルは小さく頷いた。
その目には、疲れと、何かが削れていくような翳りがあった。
三人のやり取りを、オズだけは黙って見ていた。
いや――言葉が出なかったのだ。
……あいつが、こんな真似をするなんて。
動いてもいない魔導人形を、何の躊躇もなく壊すなんて――
そんなの、エルらしくない。
たとえ敵だとわかっていても、あいつなら、最後の最後まで剣を抜かない。
迷って、悩んで、それでも斬れなくて――それが、エルだろ?
なのに。
なのに、あの火を、何のためらいもなく――。
(……あの炎……)
忘れるはずがない。
あの夜、マリアが放った、神の火。
あの終焉の紅と、同じ“重さ”を持っていた。
でも、違う。
紅じゃなかった。……混ざってた。黒が。
揺らいでいて、まるで、壊れかけの魔法みたいに。
そして――
(エルの魔力が……星が、黒く染まってる?)
エルの左手の甲。
獅子の星痕が、確かに黒く滲んでいた。
(どうしたんだよ、エル……?)
誰も、次の言葉を発さなかった。
ただ、沈黙のなかで、それぞれの想いを胸に押し込める。
焼け焦げた魔導人形の残骸を踏み越えながら、四人はゆっくりと奥へ進み始めた。
石造りの廊下はひんやりと湿っていて、空気には魔素の残り香が漂っている。
誰もが、無言のままだった。
けれどその背中に、迷いや葛藤が滲んでいた。
エルは一歩遅れて、静かに歩き出す。
その左手の甲に滲む“黒”だけが、かすかに熱を帯びたまま――闇の奥へと消えていった。
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