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亡国のステラリア  作者: 黒瀬 行杜
第三章
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第三章 第十三節「鍵と工房」

――遡ること、勅命の儀の前日。アルトシュタット黒騎士団本部にて。


分厚い木製の扉を閉め切った作戦室の中央には、王都グラーフェンブルクを中心としてクライセン王国を描いた地図が広げられていた。

ランタンの光が、地図の上でわずかに揺れる。


テオドール・デア=クライセンは腕を組んだまま、地図を挟んでエル・オルレアンたちを見やった。


「まず港湾と裏市場だ。ここは俺たちが押さえる。物資の流れ、密輸、船舶の出入り……面倒な仕事は全部俺たちで引っ張る」


その横でバシール・アルティンシャヒンが無言で頷く。

背後ではクリストフ・ヴァン=フリードリヒが、何かの記録を控えるように手元の帳面にペンを走らせている。

テオドールは視線をオズワルド・ミラーとジゼル・ブラウロットへと移した。


「お前たちは王都内部を探れ。旧型の修理がどこで行われたにせよ、その技術者は城下か地下に残ってるはずだ」


ジゼルが腕を組んだまま続けた。


「ま、いいわ。昔ちょっと世話になった鍛冶屋がまだ息してれば、いくつか線は当たれる。あとは、知ってる店をしらみ潰しに回ればいいでしょ」


テオドールは小さく笑い、深い声で釘を刺す。


「俺たちが武装を見せて城下に踏み込めば、余計な監視の目が増えるだけだ。お前たちは少人数で、聞けるだけ聞いてこい。尻尾を掴んだらすぐ知らせろ」


エルは息を呑んだまま地図を見つめた。


「……もし見つけられなかったら?」


「その時は港湾から逆引きするさ」


テオドールは淡々と言い切った。


マティアス・クレーメルは黙っていたが、その瞳だけがジゼルをひと撫でしてからオズへと移る。


「報告は怠るな。これは“王命”だ。裏切りさえしなければ、俺は信用する。」


そう締めくくると、テオドールは音を立てずに地図を巻き上げた。


* * *


豊穣祭の賑わいが終わり、王都には日常の喧噪が戻っていた。

祭りの熱気こそなくなったが、エルにとっては、今までに訪れたどの街よりも人が多く、息をするたびに人の気配が肌をかすめる気がした。


そんな中、ジゼルを先頭に、三人は城下の通りを進んでいた。


「そういえば、儀式のときはヘリアンサスを名乗ってたよね?」


オズが、何気ない調子で問いかける。

ジゼルはちらりと振り返り、小さく鼻を鳴らす。


「私がブラウロットだったってバレると、色々と面倒だからよ」


それ以上の説明はなかった。

口調も、どこか不機嫌そうに見えた。


「……この国の連中も、別に信頼してるわけじゃないし」


吐き捨てるように続けたジゼルの背を、エルはじっと見つめた。

裏を返せば、自分とオズには、少なくとも“隠さなくてもいい”だけの何かを認めてくれている――そう思うと、胸の奥が少しだけ熱くなる。


「……信頼、か」


隣で歩いていたオズがぽつりと呟いた。


「あの二人の王子に関しては……今のところ、たぶん大丈夫だと思う」


オズの目は、何かを思い出すように細められていた。


「テオドールは、真っすぐだった。魔力の波がぶつかってきた時、一分の揺れもない。“騎士”って言葉そのままの波長。俺でも、あれには背筋が伸びた」


そこで一拍置き、オズは声の調子をほんのわずかに落とす。


「……けど、ジークムントの魔力は違った。澄んでるのに、まるで動かない。深すぎて、何も見えない。ただ……静かで、怖いくらいに」


少し黙った後、彼は続ける。


「今は“信じてみてもいい”と思ってる。でも――」


「ああいう魔力……あまり見たくないな。たぶん、忘れられない」


静かに呟いたオズの横顔を、エルはふと見やった。


王子たちとの会話では、まるで水を得た魚のように場を仕切っていたオズ。

ああして自分の役割を迷いなく果たしながら、こんな違いまで見抜いていたのか――そう思うと、素直に感心した。


けれど、その感心の奥で、小さな焦りが疼いていた。

自分は、まだ何も掴めていない。


「ふーん、モジャいい特技持ってるじゃない? さ、着いたわよ」


ジゼルが足を止め、通りの脇にある、何の変哲もない石壁を指さした。


「エル、オズ。私の肩に手を置いて」


先ほどとは一転して、ジゼルは真剣な眼差しで二人に指示を出す。

それぞれの手がジゼルの肩にそっと乗せられたのを確認すると――

ジゼルは壁に手を当て、小さく息を吐いた。


そして、何かを紡ぐように、聞き慣れない言葉を呟き始める。

小人(ドヴェルグ)の古語――エルにはそう思えた。


瞬間、空気がわずかに歪む。

三人の身体が、壁の石組みに吸い込まれるようにして、静かに姿を消していった。


* * *


壁を抜けた先は、ひんやりとした空気に満ちた小さな土間のような空間だった。

ランタンの明かりがぽつりと揺れ、奥には木製のカウンターと、その向こうで書き物をしていた小柄な影が一つ。


「ニルス、起きてる?」


ジゼルが声をかけると、カウンターの奥で書き物をしていたドヴェルグが、のそりと顔を上げた。

長い髭に灰色の目。

薄い帽子をずらし、ジゼルをまじまじと見据える。


「……誰かと思えば、珍しい子が来たもんだな」


「この二人は私の連れの中人(ヒューマ)よ。気にしないで」


ジゼルが何でもないように言うと、ニルスと呼ばれた男は、ちらりとエルとオズに視線を投げてから、鼻で笑った。


「そうかい……で、要件は?」


「アルブレヒトの工房の鍵」


言い切るジゼルの声に、わずかに空気が張り詰まった。


「……前にも言ったのを忘れたのか? 奴の工房はとっくに閉じられて――」


ニルスの言葉が終わるより早く、ジゼルの手が机の上に布袋を叩きつけた。

鈍い音とともに袋の口が開き、金貨が数枚、テーブルの上を転がった。


「三百枚はある」


一瞬、空気が固まったように感じられた。


オズが息を呑み、目を剥く。


「さ、三百だって……!?」


思わず声を上げたオズに、エルも小さく目を見開く。


これまで見てきたどんな取引よりも重い金の響きが、室内にこだました。

ニルスは金貨を一つ指先で弾き、鳴った音を確かめるようにしながら、深くため息をついた。


「……アイツには、本当にご執心だな。着いてきな」


短くそう告げると、ニルスはカウンターの裏へと身体を滑らせ、小さな木扉を開ける。

その向こうに広がっていたのは、小人にはちょうどいい高さの、しかしエルとオズには少し窮屈に見える、岩肌むき出しの細い洞窟の入口だった。


足を踏み入れた瞬間、ひんやりとした空気が肌を撫でる。

ジゼルが先頭、ニルスがそのすぐ後ろ、エルとオズが続いて進む。


「……狭いな」


低く漏れたオズの声が、岩壁に吸い込まれていく。

背を伸ばせば頭を擦るほどの天井に、オズは何度も腰をかがめて歩かざるを得なかった。

エルは何とか普通に歩けたが、それでも肩を岩に擦らないように気を配る必要があった。

ニルスはお構いなしに、ちょうどいい高さの通路を無言で進む。


「ジゼル、あのニルスさんって……どんな人なの?」


息を切らしつつエルが尋ねると、前を行くジゼルは小さく笑った。


「ニルスは鍵職人よ。私たち小人(ドヴェルグ)にとって工房は必要不可欠。その工房の鍵を作れる職人なんて、数えるほどしかいない」


「そんなすごい人、僕たちに会わせて大丈夫だったの……?」


エルの問いに、ジゼルは肩越しに小さく振り返った。


「何を心配してるか分かんないけど、この鍵は私たち小人(ドヴェルグ)の魔力を通さないと使えないの。だから、アンタたちがここで鍵を盗んだとしても、それはただの鉄クズにしかならないわ」


「なるほど。魔力で個人が認証されて、それが異次元の工房に繋がるのか……原理は転送札(パス)に近いんだな」


オズが何気なく呟くと、ニルスは肩越しにちらりと振り返り、口元をわずかに歪めた。


「形なんてどうでもいい。封印と鋳造を、合わせて“打つ”――それが、俺たちの鍵だ」


声は静かだが、どこか冷たく、誇りの匂いが滲んでいた。

やがて、洞窟の空気がふっと変わる。


「……ここだ」


短い声に、前を歩くジゼルが足を止める。

視界が急に開けた。


洞窟の先には広間のような空間があり、粗末なランタンが天井から吊るされ、周囲の壁一面にびっしりと鍵が掛けられていた。


真鍮、鉄、青銅――大きさも形も様々な鍵が、淡い光を纏いながら無数の鈴のように静かに揺れている。

どの鍵もただの金属片ではなく、どこかの“扉”を繋ぐ気配を纏っていた。


「アルブレヒトの工房のは……ああ、これだ」


無数の鍵の中から、ニルスが一本の鍵を取り外す。

緑青の膜をまとったその鍵は、他の鍵のように光を纏ってはいなかった。


「懐かしいな。クロイツェフの銅にブラウロットの錫を混ぜた青銅製だ」


ニルスは輝きを失ったその鍵を、ジゼルにそっと手渡した。


「見て分かるだろう。こいつはもう光ってない――工房が閉じられている証拠だ」


「……いいの、これで」


ジゼルが吐息を混じえて呟くと、鍵を胸元へとそっとしまい込む。


「品物は渡したからな。……金はもう返さんぞ」


ニルスの低い声が、鍵の群れの奥でかすかに反響していた。

ここまで読んでいただき、ありがとうございます!

次回更新は9/1(月)20時頃の予定です!

引き続き宜しくお願いします!

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