第三章 第十二節「勅命の儀」
クライセン城――
断崖の絶壁に根を下ろしたその城砦は、幾度の侵略と反攻を耐え抜いた、王国の“最後の砦”であった。
大地を喰らうように幾重にも広がる石の城壁は、切り立つ断崖と一体化し、侵略者の歩を絶つ。
地に根差すこの堅牢さこそ、魔法に乏しい王国が幾度の戦火を凌いできた唯一の防衛術だった。
だが、ただの陸の要塞ではない。
魔獣や魔法使いによる空戦すら想定し、城砦の最上層には弓楼と投石台が並び立つ。
加えて、巨大な尖塔群は魔除けの結界や対空の防御魔法を最低限だけ備えており、古来より数少ない魔法技術を“空を塞ぐ盾”として生かしてきた。
前城門はこの要塞の心臓だ。
何重もの鉄門と石壁が重なり、油と火矢で敵を迎え撃つための殺し間が備わっている。
いかなる侵入者も、この門を破らねば本丸に踏み入ることはできない。
空に浮かぶヴィクトリアの魔導城とは対照的に、クライセンは魔法文化こそ乏しくとも、大地と城壁と鋼鉄にこそ、己が王国の命脈を託してきた。
空を見据え、地を抱え込むその姿は、いつの世も王国の矜持であり続けたのだ。
城門を抜けて、主郭門までの石道を進む一行。
石畳を踏みしめる足音だけが、朝霧の中に溶けていく。
エル・オルレアンは隊列の後方で、小さく誰に対してでもなく問いかけた。
「……そういえば黒騎士団の人たちって、もっと大人数だったよね? 何で四人だけなんだろう?」
ジゼル・ブラウロットは肩を竦め、小さく息を吐いた。
「知らないわよ……ってか、いつまで歩くのよ?」
オズワルド・ミラーは前を歩く四人の騎士の背中を見つめながら、顎に手を当てた。
「うーん……でも“勅命の儀”ってのは、相当格式ばった儀式だろ。騎士団でも、地位の高い奴らだけ立ち会えばいいって話じゃないか?」
「ほう、正解だ」
先頭を歩いていたテオドールが、ふいに立ち止まり、背後を振り返った。
テオドールは視線を後ろの三人に向けると、わずかに顎を上げた。
「下位の騎士なんぞ、王の前に立たせるものじゃない。あの場に立てるのは、聖騎士と上級騎士だけだ」
エルは思わず足を止め、オズと顔を見合わせた。
「……聖騎士と上級騎士?」
「魔法協会にも階級があるだろ。クライセンの騎士制度も似たようなもんだ」
そう言って、テオドールは一歩だけ隊列を下がり、エルとオズの隣まで歩み寄る。
「騎士王は大魔導師、聖騎士は魔導師、上級騎士は魔術師に相当する。そして“騎士”は……お前たちで言えば、ただの魔法使いだ」
テオドールの言葉を受けて、エルははたと腑に落ちる。
「……じゃあ、テオドール王子とバシールさんたちの外套の色が違うのは……」
「ああ、気付いての通り俺が聖騎士で、他の三人は上級騎士だからだな」
「なるほど、外套の色で階級を分けてるんですね」
オズが腕を組んで頷くと、テオドールは小さく笑って、指先で自分の肩の銀灰の外套を示す。
「そういうことだ。騎士王は漆黒の外套に真紅の飾緒、聖騎士は銀灰の外套だ。俺のような王族は金の飾緒だが、普通は黒の飾緒。上級騎士は深緑で飾緒はなく、下位の騎士は外套すら許されない」
そう告げると、テオドールは銀灰の外套を翻し、再び先頭へと歩み戻った。
「……調べるのに王様のお墨付きが必要だったり、色で階級分けたり……やっぱ中人の国って面倒ね」
ジゼルが小さく肩を竦めると、オズは小さく苦笑いをした。
(でも、これでようやく──あの魔導人形の謎に届く)
エルは、一つ息を吐いて、再び黒騎士団たちの背を追って歩みを進めた。
主郭門を抜けた瞬間、閉ざされた石の回廊に朝霧が籠り、足音だけが反響した。
高くそびえる城壁に囲まれた中庭を抜け、やがて騎士の一団が姿を現す。
テオドールと同じ銀灰の外套が三名、深緑の外套が五名、そして──漆黒の外套が一名と、外套をつけない者が一名。
エルは思わず足を止めた。
遠目に見ても、そこに立つ者たちの纏う空気は明らかに違った。
「王侯騎士団……」
エルの前を歩むバシールから声が漏れる。
そして、纏う空気をわずかにひりつかせた。
まるで、警戒を強めるかのように。
「あれが……クライセン最強の騎士団……」
オズが息を飲みながらも、低く呟く。
ジゼルは、そんなものは自分には関係ないと言わんばかりの様子。
剣帯の金具がかすかに鳴る。
誰も言葉を継がない。
歩みを止めたのは、先頭に立つテオドールだった。
彼の視線の先にいたのは、漆黒の外套をまとい、肩に真紅の飾緒をかけた一人の男。
ヴィルヘルム・フォン=アイゼンブラント――クライセン王国の騎士王。
己の剣技ひとつで一族を名門へ押し上げた、現国王ラインハルト・デア=クライセンの懐刀。
ただ立っているだけで、石壁すら軋むような覇気があった。
どこまでも静かなのに、息苦しくなるほどの重圧。
王でも魔導師でもない、純粋な「剣」の権威だった。
その後ろには、銀灰の外套をまとった三人の聖騎士――
右方にはオズとさほど年齢が変わらないだろう青年の騎士、中央には冷徹な眼差しをこちらに向ける女性の騎士、左方には竜を模したような蒼い兜をつけた騎士。
さらに、その後ろには、深緑の外套を羽織った五人の上級騎士たちが一糸乱れず整列していた。
そして、最後列には――一人異質な装いをした石仮面の男が佇んでいる。
(あれ……あの人、どこかで見た気が……?)
エルが思いを廻らせていると、テオドールが一歩前に出て、胸に拳を当てて深く頭を垂れる。
「閣下。黒騎士団、王命を受け、勅命の儀へ向かいます」
ヴィルヘルムの瞳が、わずかに細まった。
年齢を感じさせぬほど皺の少ない顔に刻まれたのは、ただ剣の鋭さだけだった。
「テオドール殿下。抜かりなく初陣を迎えたと聞く」
声は低く、静かだったが、背後の石壁すら軋むように聞こえた。
「はっ」
短く応じたテオドールの背筋は、先ほどよりわずかに正されている。
誰よりも武人である彼にとっても、この人こそが頂点だ。
ヴィルヘルムの視線が、テオドールの背後にいるエルたちへと滑る。
瞬間、刃が頬をかすめるような錯覚。
後ずさろうとしても、石壁が背を押し返してくるかのようだった。
「……そちらが、例の協会の者か」
問いかけるような口ぶりではあったが、答えを必要としていないのは明白だった。
「はい、閣下」
テオドールが答えると、ヴィルヘルムは僅かに顎を引く。
それだけで、背後の騎士たちの隊列が一斉に動きを正した。
「よかろう……無駄は許すな」
それだけを言い残すと、漆黒の外套をひるがえし、ゆるやかに背を向ける。
銀灰の外套の聖騎士たちがそれに続き、深緑の列もまた音もなく従った。
テオドールは短く息を吐き、すぐに振り返ってエルたちに目配せをした。
「……あれが騎士王ヴィルヘルム。忘れるな、あの人に刃を向けられたら、俺たちも同じ地に還るだけだ」
エルは頷くことしかできなかった。
オズも、苦笑のような声を喉の奥に押し込む。
ジゼルだけが、何かをかみしめるように肩を揺らし、小さく吐き捨てた。
「ふーん……“国王の剣”、ね」
再び足音だけが、石畳に戻った。
その先に待つ儀式の重さを、誰もがひとしきり、無言で感じていた。
* * *
大広間の儀式が終わり、城内の人の流れが緩やかに散っていく。
黒騎士団の一行も控えの部屋へと戻ろうとしたその時だった。
「エル・オルレアン、オズワルド・ミラー、ジゼル・ヘリアンサス──少し時間をいただけますか」
三人の前に立ったのは、黒騎士団の上級騎士の一人、マティアス・クレーメルだった。
声はいつもと変わらず、だが瞳の奥に一瞬、冷たい色が宿る。
「……どういうことですか、マティアスさん」
オズが半歩前に出るが、マティアスはわずかに笑みを見せるだけだった。
「閣下が、お話があるそうです。どうかこちらへ」
振り返ったマティアスに導かれ、三人は無言で後を追う。
城の奥へと続く回廊は、昼を過ぎてもなお、重たく湿った空気を孕んでいた。
その背を、テオドール・デア=クライセンが静かに見送っていた。
マティアスが誰の手先であるかを知っているがゆえに、余計に目を離せない。
その先にいるのは、あの第二王子――ジークムント・デア=クライセン。
(……兄上、一体何を探ろうとしてる……)
言葉にはしない思惑だけが、黒鎧の内側でひそやかに熱を帯びていた。
* * *
案内されたのは、窓も灯りも最小限の小さな応接室だった。
無駄のない調度品の奥、机を挟んだ椅子に、一人の青年が座っている。
その顔には、大広間で見た誰よりも深い静けさがあった。
マティアスは音もなく扉を閉じ、扉の脇へと下がる。
「……初めまして。私はジークムント・デア=クライセン。この国の第二王子だ」
ジークムントはゆっくりと視線を上げ、三人を見据える。
抑揚のない声が、応接室の空気をさらに重くした。
言葉に詰まったのは、エルだけではなかった。
代わりにオズが、控えめに問いかける。
「殿下……私たちに、何のご用件で?」
ジークムントはわずかに視線を外し、息を一つだけ吐いてから、目を戻す。
「そうかしこまらないでくれ。……君たちが、この国にとって“何者か”を確かめたかっただけだ」
静かにオズを見やり、淡々と続ける。
「――協会の名を語っていることも、分かっている。だが、それを咎めるつもりはない。私が知りたいのは、君たちが“どこに属するか”ではなく、“何を成すか”だからだ」
わずかに口角を上げる。
「……まあでも、その“肩書き”も、ここに来るまでは役立ったのだろう?」
オズは一瞬、言い返そうと口を開きかけたが、喉の奥で言葉を飲み込んだ。
その沈黙こそが、痛いところを突かれた証だった。
ジゼルは横目でそれを見やり、唇だけで小さく笑う。
机の上には一枚の書状と、魔導石の封印が置かれていた。
「君たちは、まだ外の者だ。だが、王命に従う協力者として迎える以上、無視はできない。……あの、豊穣祭での戦いを、私は見ていた」
視線が、エルへと向かう。
思わずエルは息が詰まった。
「“星”は、時に万物を救い、時に万物を滅ぼす……忘れないでくれ」
それだけを告げると、ジークムントは椅子から立ち上がった。
「テオには伝えておく。好きに動いてくれ」
机の上に残された書状を、マティアスがそっとエルに差し出す。
「……これは?」
ジゼルが低く尋ねると、マティアスは淡々と答えた。
「調査許可証です。正式に、閣下からの命だとお思いください」
ジークムントはそれ以上、何も言わずに背を向ける。
小さな応接室の扉が再び軋む音だけが、後に残った。
沈黙の中、エルとオズはわずかに顔を見合わせる。
“星”という言葉だけが、二人の胸に重く残った。
そんな二人をジゼルはただじっと見つめ、何も言わなかった。
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