第三章 第十一節「黒の任命」
数日後、王都グラーフェンブルク――
クライセン王国の政務を司る中枢、クライセン政務院の政務卿室には、張り詰めた空気が流れていた。
この国のあらゆる内政を統べる政務卿。
その座にあるのが、第二王子ジークムント・デア=クライセンである。
窓は厚布で覆われ、魔導灯の光だけが静かに書類の山を照らしている。
その机の奥、重厚な椅子に腰掛けた青年が、抑揚を抑えた声で口を開いた。
「こうして語り合うのは、あの時以来かな?」
「ええ、閣下が私の騎士団設立を却下されて以来かと」
対するのは、第三王子テオドール・デア=クライセン。
その意味を図りかねるように眉をひそめながらも、言葉はきっちりと返す。
彼の傍らには、副官マティアス・クレーメルが直立したまま控えていたが、一言も発さない。
「私の立場も分かってくれたまえ、テオ――我が国は、既に力を持ちすぎている」
「ええ。ですが、否認されたのが閣下……いや、兄上一人だけで済んだことを、私は今でも幸いに思っています」
ジークムントは、わずかに目を細めた。
「そう敵視してくれるな。組織された以上は、しっかり働いてもらいたいと思っているよ」
「働く……?」
「そうだ。まずは先日の豊穣祭の件、よくやってくれたよ」
静かな口調で言いながらも、ジークムントの眼差しには観察者の鋭さが宿っていた。
「特に第一王女殿下からは、君たちにもっと予算を割くよう“進言”があってね」
「……あの方から、ですか」
テオドールにとって、第一王女ローゼリンデは血の繋がった実姉である。
一方、異なる母を持つ兄ジークムントにとっては、王宮内でもっとも警戒すべき政敵であった。
その名が口にされたことに、テオドールは驚きつつも、表情を繕うようにわずかに身じろいだ。
「私としても評価したいところだが、もう少し“理由”が欲しい――だから、働いてもらいたい。あの日現れた旧型の魔導人形、あれの調査を正式に依頼する」
「なるほど、“旧型の出所を突き止めろ”と?」
「そうだ。曰く、ヴィクトリア王国でも旧型による事件が起きたとの報告がある」
「ヴィクトリアで……?」
ジークムントは机上の地図へと視線を落とし、細やかな線で描かれた王都の街路を指先でなぞった。
その動きには、一種の冷静な切迫感が滲んでいた。
「仮にこの国から流出したものであれば、外交問題に発展する。“火種”は小さいうちに消すべきだ。手段は問わない。好きにやってもらって構わない」
「……拝命いたします」
テオドールは背筋を正し、一礼した。
「期待しているよ、テオ」
ジークムントは、ふと右耳の耳飾りに指先で触れた。
銀の装飾が魔導灯の光にかすかに揺れた。
それはまるで、何かを確かめるような静かな予兆でもあった。
* * *
アルトシュタット――王都に次ぐ第二の都市であり、黒騎士団の本部が置かれた要地。
王都から魔導列車で半日。
距離こそ遠くはないが、その機能と雰囲気はまるで別物だ。
アルトシュタットは、王国の東部を防衛する軍事都市として築かれ、街路は碁盤目状に整備され、建造物の多くが石と鉄の骨組みを持つ無骨な造りをしている。
中央の丘陵には騎士団の本部棟がそびえ、砦のような構造のその建物は、昼夜を問わず歩哨が目を光らせていた。
近づく者すべてに、自然と足を止めさせるような威圧感を纏っている。
その一室で、エル・オルレアンたちは再びテオドールの姿を目にした。
「まさか、またこうして会うとはな……いや、あの夜、お前たちの匂いを郵便鳥に覚えさせておいて正解だったよ」
唐突な第一声に、ジゼル・ブラウロットが即座に眉をひそめる。
「……気持ち悪っ」
「戦場じゃ嗅覚が命だからな。あいつら鼻が利くんだ、便利でな」
テオドールが笑いながら肩を竦めたあと、すぐに表情を引き締める。
「さて――単刀直入に言う。我が国でも、旧型の調査を行うことになった」
「本当ですか?」
エルが思わず身を乗り出す。
「ああ。お前たち、魔導人形を追ってるって言ってただろう? ヴィクトリアでの件と、関係あるんじゃないか?」
「……ええ。あの事件に、僕たちは偶然、居合わせました」
必要以上のことは語らず、オズワルド・ミラーが静かに応じる。
その目は、テオドールの表情を値踏みするようにじっと観察していた。
「なるほどな……なら話が早い」
テオドールは軽く頷き、真っ直ぐに三人を見た。
「協力してくれないか? もちろんタダでとは言わない。報酬も出すし、お前らが欲しい情報も渡す」
オズが目を細め、やや慎重な口調で言う。
「……一考の余地があると思います。即答する必要は――」
「でも、今このタイミングで話が来たんだ。逃したら、もう次はないかもしれない」
エルが迷いなく言い切った。
まっすぐにテオドールを見返す瞳には、揺るぎのない意志が宿っている。
「……まあ、判断は早いに越したことはない」
テオドールが肩を竦めたその時、ふと視線を感じた。
ジゼルが肘をつき、口元だけで笑っている。
「私も賛成よ。鉄は熱いうちに打て、ってね……オズ、アンタどうすんの?」
オズがわずかに眉を寄せたが、深く息をつき、ゆっくりと頷いた。
「……わかった。君たちがそこまで言うなら、俺は止めない」
「話はまとまったようだな」
テオドールがゆるく笑い、椅子の背にもたれながら手を打つ。
「エル、お前たちには“王命に従う協力者”としての肩書きが必要になる。だからちゃんと手続きを踏ませてもらう」
「……手続き?」
「三日後に、王都で“勅命の儀”がある。その前日までは、ここアルトシュタットで準備を整えてくれ。一緒に王都へ向かおう。宿はこちらで手配してある」
「まどろっこしいわね、中人の国って」
ジゼルのぼやきに、テオドールが愉快そうに笑った。
その笑みに含まれたものが、警戒なのか信頼なのか――それはまだ、誰にも分からなかった。
* * *
夜の帳が下りたアルトシュタットの宿。
黒騎士団の手配による客間は二部屋――もっとも、ジゼルは当然のように簡易工房へ引っ込んだため、今宵も部屋に残っているのはエルとオズだけだった。
窓辺に腰かけたエルが、柔らかな灯りを背にして微笑む。
「……不思議だね。ジゼルさんと出会ってから、いろんなことが一気に動き出した気がするよ」
「確かに」
オズはベッドに腰を下ろしながら、壁の装飾をぼんやりと見上げた。
「ほんの少し前までは、こんな宿に泊まれるとも思ってなかった。……戦場の野宿と比べたら、雲泥の差だ」
「じゃあ、全部私のおかげってことでいいわね?」
唐突な声に、二人が振り返る。
扉のすき間から、ジゼルが頭だけを覗かせていた。
「……いつからいたんですか」
「最初からよ。工房に戻る前にちょっと様子を見にきただけ。で、感謝の言葉は?」
「……えーと、まあ、そういう面もあるとは思いますけど……」
「ないって言ったら、その頭かち割るわよ?」
にやりと笑ったジゼルに、オズが肩を竦める。
エルはそんな二人のやりとりを見ながら、どこか遠くを見つめた。
(マリアさんも、こんなふうに笑ってた気がする……)
一瞬だけよぎる記憶に、胸の奥がふと熱くなる。
だが言葉にはせず、エルはそっとその思いを胸にしまい込んだ。
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