第三章 第十節「三つの夜」
王都の一角、祭の喧騒も落ち着き始めた夕刻――
とある酒場の一室では、黒騎士団と協会の“来訪者”たちによる小さな宴が開かれていた。
「いや、まさか魔法協会の人たちとは……! さっきはすっかり無礼をしてしまったよ!」
そう言って、テオドール・デア=クライセンは豪快に麦酒の杯を空にする。
グラスが卓に叩きつけられると同時に、騎士たちの笑い声が湧き上がった。
場を取り繕ったのはオズワルド・ミラーだった。
街中での戦闘直後、彼は即座に機転を利かせ、自分たちは魔法協会の視察団であり、豊穣祭の視察に来ていたのだと名乗ったのだ。
「いやぁ、命拾いしたわけだな……」
オズは目を泳がせつつ、テオドールから渡された酒をぐい、と煽る。
その飲みっぷりに、周囲から「意外とイケる口だな!」と歓声が飛んだ。
エル・オルレアンもまた、クリストフの勧めに押されるまま次々と料理を皿に盛られていた。
普段なら遠慮するところだが、戦闘の疲労もあってか、素直に箸を伸ばしていた。
一方、ジゼル・ブラウロットはというと――
「肉、肉は!? あと芋の煮込みと……あ、これ何? 魚? くれるの?」
小皿をいくつも抱え、口いっぱいに頬張っていた。
その豪快な食べっぷりに、騎士たちは次第に興味を持ち、まるで見世物のように盛り上がっていく。
「なんだあの小さいの、見た目に反してよく食うな!」
「いや、あれは鍛えてる筋肉の分だろ、絶対!」
その光景を、店の隅でバシール・アルティンシャヒンが無言で見つめていた。
いつものように、黙したまま杯を揺らしている。
「協会の人とあっては、さすがに事を荒立てるつもりはないさ」
テオドールが再び声を上げた。
「それに今日は、結果として俺たち黒騎士団の初陣でもあったしな。まあ、いい日だったってことだ。今日は好きに飲み食いしてくれ!」
根の明るさを隠そうともしない口調に、場はさらに和やかな雰囲気に包まれていく。
* * *
しばらくして、テオドールがふと真剣な眼差しで三人を見やった。
「ところで――お三方。俺の騎士団に入る気はないか?」
その言葉に、場がぴたりと静まる。
エルは目を見開き、軽く頭を下げた。
「……すみません。僕たち、ここに来たのは魔導人形の調査もあって……」
「そっか。惜しいな」
テオドールは笑って首を振った。
「ねえ、テオドール。アンタ、この国の王子様なんでしょ? いずれは王様になったりするの?」
パンを咥えたまま、ジゼルが問いかけた。
「はは、それは……まず、ないな」
テオドールは笑みを浮かべつつ、グラスを傾ける。
「上に兄上が二人。長兄には嫡男もいる。叔父のローラント殿下も継承権を持ってるし、姉上にも権利がある。全員が暗殺でもされない限り、俺の出番は回ってこないさ」
「団長、それは……!」
クリストフが慌てて口を挟もうとするが、テオドールが手で制した。
「構わんさ。周知の事実だしな。むしろ俺にとっては好都合だ。こうして自分の騎士団を持たせてもらって、騎士としての高みを目指せる。政治なんて、まどろっこしいだけだ」
「へぇ……」
エルが自然と感嘆の声を漏らす。
その流れのまま、ジゼルがもう一口パンをかじりながら問いを重ねた。
「じゃあさ、クライセンって小人の技術者を使ってるでしょ? 例えば、“アルブレヒト”って名の人……いたりする?」
テーブルの空気が、一瞬にして張り詰めた。
クリストフが何かを言いかけたが、テオドールが手で制し、ゆっくりと応じた。
「……それは答えられないな」
その声音は、先ほどまでの陽気さを完全に引いていた。
だが次の瞬間、再び穏やかな笑みを浮かべる。
「とはいえ、君たちには助けられたからな。俺の知ってる限りでは――“いない”よ」
ジゼルはしばらくその目を見つめたまま、静かに一言呟いた。
「……そう、残念」
「そういえば、もう一人騎士の方がいませんでしたっけ?」
顔を赤く染めたオズが、少し外れた調子で何気なく尋ねると、テオドールがにっと笑った。
「マティアスか? あいつは子が生まれたばかりでね。早く帰るんだよ、ああ見えて家庭人なんだ」
「へぇ……」
再び笑い声が酒場に満ちる。
夜は深まり、仮初の宴は、過ぎゆく祝祭の残り香とともに、ゆるやかに続いていった。
* * *
城の奥まった一室。窓は厚布で覆われ、室内は魔導灯の青白い光だけが静かに揺れていた。
部屋の中央、重厚な長椅子に腰掛けていた男が、ゆるやかに顔を上げる。
ジークムント・デア=クライセン――クライセン王国第二王子にして政務卿。
その顔には、無表情にも似た静けさが張りついていた。
だが沈黙は思考の証であり、沈黙こそが彼の威圧だった。
目元は深い灰紺。
射抜くようなその眼差しに、どれだけの廷臣や諸侯が言葉を詰まらせてきたか。
右耳には、銀の耳飾りがひとつ。
小ぶりな装飾ながら、光を受けてわずかに煌めいていた。
「……なるほど。初陣としては、上出来だな」
静かに告げられた言葉に、マティアス・クレーメルが軽く頷く。
「以上が、今回の一件の報告です。民間への被害は最小限に留まり、敵はすべて撃破済み。隊の士気も、むしろ上がっています」
ジークムントは視線を机上の地図へと戻す。
細やかな線で描かれた王都の街路。その一隅に、淡く光る魔石の印があった。
その一点を、彼はゆっくりと指でなぞる。
「マティアス。黒髪の少年たちの印象は?」
マティアスが一瞬だけ黙し、言葉を選ぶように答える。
「まだ粗削りではありますが……おそらく、ただの旅の徒ではありません」
「……そうか」
ジークムントはわずかに目を細めた。
「彼も、星か」
その言葉と同時に、右耳の耳飾りがかすかに揺れた。
そして彼は、ふたたび地図へと目を落とす。
「……今を逃したら、接触の機会はないか」
魔導灯の光が、再び揺らいだ。
その揺らぎは、ひととき室内の空気を、ひときわ冷ややかに染め上げていた。
* * *
螺旋階段を、コツリ、コツリと靴音が響いていた。
男はゆっくりと、地下へと降りていく。
顔の上半分を覆う石の仮面、白を基調とした上等な衣服、そして何より、その足取りに宿る異様な優雅さが、彼の正体を“異端”であると物語っていた。
──シュタインシャーレ。
彼の名を知る者は少ない。
だが、その名が囁かれるとき、そこには必ず“死”と“策謀”があった。
「……やはりつまらない男だったよ、君は」
階段を降りながら、彼は独り言のように呟いた。
「折角良い演目となりそうだったが──肝心の主役がね。覚悟が足りない。魂が揺れている」
吐き捨てるように、石仮面の男は続ける。
「……力を持ちながら、その刃を選べぬ者など、舞台に立つ資格はない」
仮面の奥、唇の端が愉悦に吊り上がる。
「ククク、しかし収穫もあった──あの斧使いの娘、あれは面白い。……さて、どうやって楽しもうか?」
微笑すら浮かべぬその声は、どこか舞台俳優のような芝居がかっている。
だが滑稽ではない。冷ややかな確信とともに、彼は降りる。さらに、深く。
階段の終わりに、重々しい鉄の扉があった。
彼が手を翳すと、魔術的な封印が軋みをあげて解ける。
ギィ……という音と共に扉が開かれた瞬間、
濃密な魔素と油の臭気が、ふっと彼の衣を撫でた。
その空間は──工房だった。
両脇の壁には、黒衣の魔導人形たちが沈黙のまま並んでいた。
胸元に刻まれた青白い魔核の輝きだけが、かすかな“生”の気配を伝える。
中央の火床では、ひとりの男が槌を振るっていた。
仮面の男に振り向きもせず、淡々と打ち続けている。
シュタインシャーレはその光景を見つめながら、ひとり言のように語りかけた。
「ふむ……今日も打っているのか。何をだ? 魂か? 憎しみか? それとも、君自身の骸か」
男は答えない。
槌の音だけが、打ち返すように響く。
「君は復讐を終えてなお、なお創り続ける。殺しても、殺し足りなかったのか? それとも、殺すことでは……足りなかったのか」
やがて、鍛錬の音が止む。
「命は惜しくない……最期に、これを動かせればな」
火床の向こう、影の中からしわがれた声が返ってきた。
それを聞いたシュタインシャーレは、愉悦すら含んだ調子で言った。
「その執念……実に見事だ。君が打っているのは、刃ではなく“罪”そのものだよ。だが──それでいい。いや、それがいい」
彼は両腕をゆっくりと広げ、並ぶ魔導人形たちを見渡した。
「見るがいい、この兵たちを。君の手が産んだ、冷たく、静かで、残酷な兵器。生まれながらにして“人”の理解を拒絶する、異形の美」
「ククク……実に、実に素晴らしい……この世に、これほど歪で美しいものがあろうか──名工アルブレヒト」
その名が、宙に響いた瞬間――工房の空気が、わずかに軋んだ。
男は応えない。
ただ、再び槌を取り、無言で火床に向かう。
赤い火花が再び弾ける中、石仮面の男はうっとりとした調子で最後の言葉を呟いた。
「芸術とは、狂気が孕む悦楽の果てに生まれる君のような“職人”を得たのは──私にとって、何よりの僥倖だ」
魔導灯の青と、火床の紅が交わり、その場に確かにあったはずの“人間”の色は、静かに焼き尽くされていった。
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次回更新は8/26(木)20時頃の予定です!
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