第三章 第七節「嵐の前の静けさ」
王都の空に、見えない目が潜んでいた。
建物の壁面、街灯の陰、石畳の隙間──決して目立つことなく、静かに。
衛星眼球。
シュタインシャーレが仕掛けた数多の魔導視点が、今日も王都の隅々を監視している。
白と金の衣をまとい、仮面をつけた男は、円形の部屋にいた。
部屋の中央に浮かぶ魔導円盤。その上には、いくつもの魔導映像が宙に揺れている。
市場の喧騒。軍港の艦列。議会前広場の演説。そして──ある路地裏の酒場。
「……おや、これはこれは。あのときの少年ではないですか」
仮面の奥で、片目が細められる。
映像の中、エル・オルレアンとオズワルド・ミラーが、一人の少女と対話していた。
「女王が舞台を降りたというのに、まだ君は……そうですね。少し遊んであげましょうか」
仮面の下、唇の端がゆるやかにつり上がる。
衛星眼球は三人の動きに合わせてふわりと路地を滑る──だが、突如として映像が乱れた。
三人の姿が、煙のようにかき消える。
「……ククク。転移の術式か何かか? 魔力の痕跡ごと、急に途絶えた……」
短く、沈黙。
そして男は、指先で円盤の映像を切り替えながら、小さく呟いた。
「明日は豊穣祭、か……騒ぎを起こすには、丁度いい」
右手を上げると、別の衛星眼球がふわりと浮かぶ。
手をかざすと、その球体の内に黒いシルエットが浮かび上がった。
仮面すらつけぬ、“あの者”の影。
「……どうした、石仮面」
濁った声が、視球の中から響く。
「ククク。突然の連絡、失礼いたします、商人様。──また少し、“お人形”をお借りしたく」
「ふん。貴様に貸して返ってきた覚えはないがな……まあよい。在庫の処分にはなる」
「対価は、いかようにも」
「なら……一つ、“処分”してもらいたい物があってな」
次の瞬間、黒いシルエットはふっと消える。
部屋に、再び静寂が戻った。
「ククク……少し、楽しみが出来ましたねぇ」
仮面の奥、衛星眼球の光を受けて細められた片目が、不気味に笑っていた。
* * *
「ジゼル、明日からよろしくお願いします」
「そろそろ戻らないとな。宿が見つからないかもしれないし」
エルの言葉に続けて、オズが背伸びをしながら言った。
「……ちょっと、アンタたち」
ジゼル・ブラウロットがじと目で睨んでくる。
「まさかとは思うけど、宿取ってないわけ?」
「はい。クライセンに着いてすぐ、ジゼルの言ってた酒場に向かったので……」
申し訳なさそうに答えるエルに、ジゼルは思い切りため息をついた。
「信じらんない……今から戻ったって、宿なんか空いてないに決まってるでしょ」
「えっ? これだけ大きな都なのに?」
オズが目を丸くする。
「明日は豊穣祭。王都だけじゃない、近隣都市からも人が集まるの。他国からの観光客も来てるだろうし、今から見つかるのなんていわくつきの物件くらいよ」
「……そ、そうなんだ」
エルがやや気圧されるように頷く。
「それに──」
ジゼルの声がわずかに低くなる。
「ここに来るまで、誰かに尾けられてたわよ、私たち」
「えっ……誰に?」
オズが声を潜める。
「知らないわよ。でも、ただの酔っ払いって雰囲気じゃなかった。ま、心配しなくてもいいけど」
ジゼルは肩をすくめ、作業机の鉱片を指で軽く弾く。
「この簡易工房に入った時点で、外から場所は特定できないから」
「すごい結界とか……?」
エルが尋ねると、ジゼルは鼻で笑った。
「ちがうわよ。この工房はドヴェルグの精霊魔法の術式よ」
「精霊魔法……?」
「次元の狭間に工房を構えるの。出入りできるのは、その工房の主に許された者だけ。許可がなければ、存在すら感知できない」
淡々とした口調の中に、確かな誇りがにじむ。
「さっきも言ったけど、ドワーフってのは宝石みたいなもんなの」
「……宝石?」
「そう。数が少なくて技術もあるし、なにより“珍しい”。私を捕まえて、金持ちの変態共に売り飛ばせば──一生遊んで暮らせるくらいの金になるわよ」
その言葉に、エルもオズも言葉を失った。
「もちろん、捕まえられるもんなら、ね?」
ジゼルは小さく笑った。不敵で、どこか達観した笑みだった。
「……というわけで。しばらくここ、使っていいわよ」
くるりと背を向け、ジゼルは奥の扉を開ける。
案内されたのは、鉱物が敷き詰められた小さな物置のような部屋だった。
無骨な鉱石の棚が左右に並び、床にも鉱物が散らばっている──それだけだ。
男二人が寝るには、狭すぎる空間だった。
「……あ、ありがとう」
エルとオズは同時に頭を下げた。
* * *
王都の一角、比較的静かな通りに面した宿屋の前。
その扉が開き、エルとオズが肩を並べて外へ出てきた。
祭りの喧騒はまだ遠く、朝の空気は清らかで、ほんのり冷たかった。
「よかったよな、ここ。祭りの翌日からなら泊まれるって言ってたし」
「うん、助かったよ……」
エルは腰に手を当てて、どこか疲れたように笑った。
「やっぱ痛かったか? あの鉱物の床」
オズも背中をさすりながら、顔をしかめる。
「俺もさ。細かいのが刺さって……背中ガリガリだわ、もう」
「ふん。なによ、人が親切心で泊めてあげたってのに」
気づけば後ろに立っていたジゼルが、腕を組んでじと目を向けてくる。
「いやいやいや! 本当に感謝してるって! ただ、さすがに若い女性のところに男二人が泊まり続けるのは、な?」
オズが慌てて手を振る。
「そ、そうそう! ジゼルも気疲れするかと思って……」
エルも勢いよく相づちを打った。
「はぁ? アンタたちが変な気を起こしたら、その場でボコボコにしてあげるわよ」
ジゼルは肩をすくめ、あっけらかんと告げた。
「それに──私、アンタたちより全然年上よ。きっと」
空気が一瞬だけ静かになる。
「え?」
オズはジゼルを上から下まで見下ろす。
見た目はどう見ても子ども。
小人とはいえ、その若さはにわかには信じがたい。
「俺も若く見られるけど、二十三だぜ? 『茨姫』で見た写真から二十年経ってるって言っても、そんなに変わりはないんじゃ……」
「数えで四十よ」
「……えっ」
エルがぽつりと声を漏らす。
確かに、ヒルデガルドに見せられた写真と今のジゼルを比べても──見た目の変化はほとんどなかった。
「いやいや、四十って……さすがに盛ってるだろ?」
オズが言うと、ジゼルは呆れたようにため息をつき、無言で彼の脛を蹴った。
「いってえぇっ!?」
「これだから中人は……数が多いからって、自分たちの物差しで他人を測るなんて、失礼にも程があるわよ」
オズがうずくまりながら涙目になる横で、エルがおずおずと尋ねた。
「……あの、やっぱり“ジゼルさん”って呼んだ方が……?」
ジゼルはふっと笑い、軽く肩をすくめた。
「呼び方なんてどうでもいいの。ただ、ちゃんと──“お姉さま”には敬意を払いなさい。いい?」
「は、はい……」
情けない声で返したオズの髪を、風が少しだけ揺らした。
「じゃあ、せっかくだし今日は豊穣祭を見て回るわよ」
そう言って、ジゼルは小さな背をピンと伸ばし、街の中心へと歩き出す。
その後ろ姿は──まるで『茨姫』の子どもたちのようで、どこか微笑ましかった。
祭りの喧騒は、まだ遠い。
それが嵐の前の静けさだと、この時は誰も気づいていなかった。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます!
次回更新は8/20(水)20時頃の予定です!
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