第三章 第五節「ジゼル」
扉を開けた先は、まるで小さな祭りのような喧騒に包まれていた。
人で溢れかえる酒場。
木製の長テーブルには酒瓶と料理が所狭しと並び、老若男女、種族も格好もまちまちな人々が、思い思いに杯を傾けている。
王都の表通りで見かけた賑わいが、そのまま店の中にも流れ込んでいるようだった。
「……すごい、混んでるね……」
「とりあえず、奥まで行ってみよう」
人の波をかき分けながら、エル・オルレアンとオズワルド・ミラーは酒場の奥へと進んでいく。
目当ては、写真で見せられた“あの人物”。
──ヒルデガルドが「魔導器に詳しい子」と言っていた、あの少女の面影。
「……どこにいるんだろう」
「この感じだと、探すのも一苦労だな……」
そのとき――
食器の割れる乾いた音が、店内のざわめきを切り裂いた。
振り返ると、ひときわ人だかりの多い一角で何かが起きている。
「……行こう」
オズが声を低くし、二人はそちらへと向かった。
人々の視線が集中する中、大柄な男たち数人が、一人の少女を囲んでいた。
どこかで見たことのある後ろ姿――青と銀色が混ざった髪、背丈は『茨姫』で出会ったオルトほどだろうか。
小柄な体躯に、不自然なほど堂々とした空気を纏っている。
「……あれ……」
「間違いない。あの子が、ジゼルだ。けど……」
エルとオズは顔を見合わせた。
見覚えのあるその姿――ヒルデガルドに見せられた、何十年か前の写真。
その中に写っていた少女と、目の前の少女は、まるで同じだった。
髪の色も、目元の鋭さも、輪郭さえも──寸分違わぬ“あの姿”のまま。
「……変わってない……」
「写真の中から出てきたみたいだな……」
驚きとともに、背筋に冷たいものが走る。
少女──ジゼルは、騒ぎにも意に介さず、黙々と食事を続けていた。
皿に盛られた肉料理にナイフを入れ、一口、また一口とリズムよく口へ運んでいく。
まるで目の前の男たちが視界にすら入っていないかのように。
「……おい、こっち向けよ」
「ガキのくせに、無視してくれるじゃねえか……!」
一人の男が、酒に酔っていたのか、いきなり怒鳴り声を上げたかと思うと、椅子を蹴って立ち上がった。
「やばい……!」
エルが走り出そうとした瞬間だった。
――その男の拳が、ジゼルに向かって振り下ろされる。
だが。
「……っ!」
音がしたのは、拳が誰かの頬を打つ音ではなかった。
ジゼルは顔を上げることなく、まるで食事の手を止めるような自然さで、片手を伸ばしていた。
──拳を、指一本で受け止めていた。
「……なっ……」
殴りかかった男の顔に、明らかな焦りが浮かぶ。
その横で、仲間の男たちはまだ事態を理解できずに笑っている。
「おいおい、遊んでんのか? さっさとやっちまえよ!」
「何もしてないガキだろ、さっさと……」
ジゼルは、ようやくゆっくりと顔を上げた。
その目が、拳を握る男を一瞥する。
「……アンタたち、うるさい」
そして――そのまま、男の腕をその小さな手で掴むと、軽々と持ち上げてみせる。
「お、おい……!? な、何が起きてやがる!」
「ちょ、ちょっと待て……おい、やめっ──」
背を向けて逃げ去ろうとした男の仲間たちに向かって、ジゼルはふん、と鼻を鳴らす。
「──忘れ物よ」
次の瞬間、大柄な男の身体が宙を舞い、残る三人へと投げつけられた。
派手な音とともに男たちは床を転がり、店内のあちこちから喝采が湧き上がる。
「おおっ、やったぞお嬢ちゃん!」
「もう一回やれー!」
「勘定つけとけよー!」
酒場全体が歓声に包まれる中、エルとオズは呆然とその場に立ち尽くしていた。
そんな二人に、ジゼルの視線が鋭く突き刺さる。
「……何見てんの?」
低く、苛立ちのこもった声。
「……なに、次はアンタたち?」
明らかに不機嫌そうなその顔には、紛れもなく――写真で見たままの、あの“ジゼル”がいた。
* * *
「そう、アンタたちがおばあの言ってた魔法使いなのね? 私はジゼル・ヘリアンサス。……ジゼルでいいわ」
ジゼルは自席の周りに二人を座らせると、食事の手を止めずに話を続けた。
「それにしても驚いたわ、あのおばあが私に手紙を送って来るんだもん? アンタたち、気に入られたんじゃない?」
盛られた料理を次々と平らげながら、ジゼルは話を続ける。
──何度目の光景だろうか。
少なくとも、二人が席に着いてからも三皿は追加されている。
エルもオズもジゼルのその食いっぷりに呆気に取られていると、その様子にジゼルも気がついた。
「……なに、食べたいの?」
「い、いや──」
「ふーん。でもあげない。アンタたちも、頼んだら?」
二人で仲良く芋を揚げたようなものを摘まむ。
本音を言えば、肉を食べたい。
けれど、財布の中身がそれを許さなかった。
「……もしかしてお金持ってないの?」
二人は気まずそうに、頷く。
「はぁ、しょうがないわね……ちょっと待ってなさい」
エルもオズも、ジゼルが何か施しをしてくれるのかとほんの少しだけ期待したが、それは杞憂だった。
同じ肉料理がこの後さらに二皿追加で届くと、それをペロリと食べきるまで、ジゼルは黙々と食事を続けた。
「……ふぅー、食べた食べた! お待たせ、行くわよ」
そういうと、ジゼルは足のついていなかった椅子から飛び降りて、二人を引き連れて店を出ていった。
* * *
夜の帳が下りてもなお、王都グラーフェンブルクは賑わいを見せていた。
街灯が灯る石畳の通りには、祭りの余韻を楽しむように人々の声が溢れている。
その喧騒の中を、三つの人影が進んでいく。
先頭を行くのは、ジゼル。
その小柄な背中を、エルとオズは人波に揉まれながら必死に追いかけていた。
「……このまま、ついていって平気かな?」
「まあ……おとなしくしてる分には、大丈夫だろ」
エルが不安げに呟くと、オズが肩をすくめる。
その直後、ジゼルはふいに立ち止まり、くるりと振り返った。
「こっちよ」
そう言って、彼女は通りを外れて左の路地へと入っていった。
エルとオズも慌てて後を追う。
薄暗いその裏路地には、看板も灯りもなく、人通りは途絶えていた。
「抜け道、かな……?」
エルがぽつりと呟き、オズが周囲を見回す。
道は細く、壁と壁のあいだには何の変哲もない石造りの面が続いている。
と、そのとき。
「こっち」
ジゼルが目だけで二人に合図を送る。
二人が歩み寄ると、彼女はすぐ横の壁にそっと手を当てた。
「うおっ……」
「……扉、だ」
石の壁に紛れるようにして、そこには見たこともない形状の扉が浮かび上がっていた。
まるで最初から存在していたかのように、自然に──だが確かに、現れたのだ。
「ここよ。入って」
躊躇なく扉を開けて中へと消えていくジゼル。
「えっ、いいのかこれ……? 妙に怪しくねぇか……?」
オズが声をひそめて呟いた。
だが、エルはその言葉に振り返りもせず、まっすぐに扉へと向かう。
「おい、マジかよ……」
オズは頭をかきながらも、しぶしぶその後に続いた。
そして二人は、静かにその扉の奥へと足を踏み入れた。
扉の奥に広がっていたのは、小さな工房だった。
狭いながらも整理された空間には、作業台と道具類、半ば分解された魔導器が所狭しと並んでいる。
「ここは、私の簡易工房。……中に入ってこれたってことは、少なくともアンタたちは魔道士じゃないみたいね」
「……魔道士だったら、何か起きてたんですか?」
エルが恐る恐る訊くと、ジゼルは無造作に作業台の上のネジをいじりながら答えた。
「別に? ただ扉に飲み込まれるだけよ。一生出られないけど」
「そういうのは先に言ってくださいよ……!」
オズが思わず声を荒げると、ジゼルはちらりとも見ずに呟いた。
「細かいことをグチグチうるさいわね……このモジャ毛」
「モジャ毛!?」
「まあまあ……落ち着いて……」
エルは、オズのどこか寝癖のような髪を見て、ジゼルの言葉に妙な説得力を感じてしまった。
だが、はっと我に返り、慌てて二人のあいだに割って入る。
「そういえば、アンタたちの名前は?」
突然問われて、エルはハッとした。
そういえば、自己紹介をしていなかった。
「あ、えっと、僕はエル・オルレアン。エルでいいです」
「俺はオズワルド・ミラー。オズで」
「エルとオズね。改めて、私はジゼル・ブラウロット。よろしく」
一瞬、エルが首を傾げる。
「あれ、さっきは“ヘリアンサス”って……」
その横で、オズの表情が強ばった。
「ブラウロットって……もしかして、ブラウロット鉱山の? そうか! 鉱山に工房って──」
ジゼルがにやりと口角を上げる。
「あら、よく知ってるじゃない? じゃあ私が何なのかも、分かったわね?」
「……っ」
話についていけずにエルが困った顔をする。
「ジゼルさん……あなた、“小人”なんですね」
オズの言葉に、ジゼルは否定も肯定もせず、ただ肩をすくめて笑った。
それだけで、彼女が“ヒューマではない”という確信が、オズの中に静かに根を下ろしていた。
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