第三章 第一節「迷いの森」
エル・オルレアンとオズワルド・ミラー──“星の覚醒者”と呼ばれる二人の魔法使いがヴィクトリア王国を離れ、クライセン王国に到着してから、すでに三か月が経っていた。
最初の一か月、二人は王都グラーフェンブルクで情報収集に奔走した。
だが、魔導人形の“魔”の字すら出てこない。
関係者も記録も存在せず、すべてが霧の中だった。
結局、滞在費を食いつぶすだけの日々となり、やむなく王都を離れて、辺境の町に拠点を構えることになる。
今の生活は、魔法協会から回ってくる仕事でなんとか糊口をしのぐ毎日だ。
たとえば山岳地帯に赴いて、魔素の乱れの原因となる源泉を調査したり、農作物を荒らす魔獣が現れればその駆除に向かったりする。
だが、クライセン本国内では協会の活動に厳しい制限が課されている。
政府は協会を半ば“外部勢力”と見なし、王都に置かれた支部も、実質的には監視下にあるのが現状だった。
そのため、任務のほとんどはクライセンの手が及ばない周縁地──旧ガレオン皇国とも国境を接する小国、フェルシュテンの領内で行われていた。
言語こそクライセン語だが、町並みや文化にはどこか旧皇国の香りが漂っている。
そんな祖国に似た風景が、今のエルにはただ苛立ちをかき立てるだけだった。
* * *
「……また霧だ。今日は嫌な感じの濃さだね」
エルが足元を見ながらぼやく。
今回の任務も魔素の源泉調査だったが、目的地の座標に近づくにつれて、周囲の景色がぼやけ始めていた。
「方位磁針が死んでる。魔力場が干渉してるな……これ、ちょっと普通じゃないぞ」
オズが苦々しく眉をひそめる。
森の入口までは何の問題もなかった。
ところが森に入った途端、視界を包む霧と湿気、そしてまるで時間そのものが、どこかで絡まり止まってしまったような、奇妙な重さ。
エルは空を見上げたが、木々が密集していてほとんど見えない。
どこかで風が止まり、音が閉ざされたような気がした。
「オズ……ここ、もしかして」
「ああ。結界だ。ただ、すごく……古くて、馴染んでる」
「馴染んでる?」
「自然と共にある感じ。たぶん、拒絶の結界じゃない。選んで受け入れる側の……“迷わせる”タイプだ」
その言葉に、エルは身震いした。
霧に包まれて進む道は、どう見ても同じような木々と苔に囲まれているが、確かに、何かが導いている感覚がある。
「帰れなくなったり……しないよね?」
オズは一度だけ辺りを見回し、ため息をついた。
「そうならないように進むしかないな」
二人は静かに足を進めた。
だが、歩いても歩いても、景色はほとんど変わらなかった。
霧の濃度も、空気の重たさも、まるで一定を保ったまま凍りついたようだ。
「……おかしいな。今の木、さっきも見たような気がする」
エルがつぶやく。
「気のせい、かもしれないし……そうじゃないかもしれない」
オズは慎重にあたりを見渡しながら、あえて断定を避けた。
霧は淡く月光を反射しているが、木々が密集する森の中では、天の位置すら定かではなかった。
昼なのか夜なのかも分からないまま、二人はひたすらに歩き続けていた。
やがて、徐々に気温が下がってきた。
木々の間をすり抜ける風が凍えるように冷たく、皮膚を刺すような感覚に変わっていく。
それだけではない。空気に含まれる魔素が、明らかに濃くなってきていた。
呼吸をするたびに、肺が焼けるような感覚が伴う。
「……マズいな。これ以上、霧が濃くなると魔素障害のリスクもある」
「どこか、風の通らない場所を探そう」
肉体的にも、精神的にも、限界が近かった。
この数か月、まともな成果を得られぬまま、ただ時間と体力を削るようにして続けた調査。
協会の任務も命懸けで、寝床は粗末、報酬は雀の涙。
いくら“星の覚醒者”とて、若い二人の身と心には堪える。
「オズ……ごめん、ちょっと、もう……」
ふらついたエルの肩を、オズがすぐに支える。
「いい。無理はするな。ここで野営するしかなさそうだ」
霧の少しだけ薄い場所を見つけ、二人は荷を下ろした。
魔素濃度を抑えるために、簡易的な結界を張る。
薪も火もまともには用意できなかったが、魔法の熱源で最低限の暖を取る。
「……明日は、ちゃんと抜けられるといいね」
エルが弱々しく笑う。
「いや、抜けるんじゃなくて……もしかしたら、導かれるのを待つのかもしれん」
オズが答えるその声にも、どこか疲労の色が滲んでいた。
二人はそれ以上言葉を交わさず、霧に包まれた森のなか、静かに夜を迎えた。
どこかで風が止まり、すべての音が失われたような静寂の中で──
* * *
朝靄の中に、かすかな足音が混じった。
「……珍しいね。こんなとこで、寝てる人がいるなんて」
「ここで眠ってる人なんて、はじめて見た。ふつうは、泣きながら戻ろうとして、それでも帰れなくなるのに」
柔らかな声が交わされる。
年の頃は十にも満たない、背の低い子どもたちが三人。
どの子も、髪は短く整えられ、着ているのは質素な、でも不思議と整った衣服だった。
「……あ、起きたよ」
ぴくりとエルの指が動き、ゆっくりと目を開ける。
遅れてオズも、かすかな呻きとともに身体を起こした。
「……ここ、は……?」
「おはようございます。知らない人たち。びっくりしちゃうかもしれないけど、ここ、“迷いの森”だよ」
「この森ってね、よそから来た魔法使いは、だいたい出られなくなるんだって。……でも二人は、なんか違うかも」
無邪気に笑うのは、すこし猫背の子──オルトと名乗る子だった。
隣には、髪をくるくると丸めて止めたグリムが、静かな瞳でエルたちを見つめている。
「だから、ちゃんと案内してあげる。おばあのとこまで」
「うん。おばあなら、きっと話、聞いてくれると思う」
最後にそう言って、霧の中を軽やかに跳ねたのは、淡い金の髪の子──ロスだった。
まだ寝ぼけ眼のまま立ち上がるエルとオズは、ぽかんとした表情のまま、三人の子どもに引かれて、再び森の奥へと歩き始める。
その霧の奥に、何が待ち受けているのかを知らぬまま──。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます!
次回更新は8/8(金)20時頃の予定です!
引き続き宜しくお願いします!




