第二章 第十五節「別離の朝」
仮面をつけた男がいた。
シュタインシャーレ──それが、彼の名だった。
灰色の石でできた仮面は、額から鼻梁までを覆っている。
左眼を隠すように入ったひび割れ、その左右には翼のような装飾。
細身でしなやかな長身を包むのは、白を基調とし金の刺繍が施された貴族風の衣装。
石膏のよう灰色の髪が軽く揺れ、口元には微笑が浮かぶ。
仮面の奥の視線は、遠くウィンクラウン邸の戦いを見据えていた。
彼の目が捉えていたのは、赤い光に灼かれ、塵と化す石の巨兵。
神の火──。
「……ククク、素晴らしいッ! 素晴らしいなぁ、マリア・クルス!」
仮面の奥で声が漏れる。わずかに肩をすくめ、優雅な所作でマントの裾を払う。
「この時代、この若さで、あそこまで至れるとは。実に素晴らしい……まさしく“魔女の女王”の名に恥じぬ力」
仮面の男──シュタインシャーレは笑みを深めた。
だが、その声に浮かぶのは賞賛というよりも観察者の悦びだった。
そして、突如仮面が粉々に砕けた。
「ウェンディ・ウィンクラウン、“器”としては不十分でしたが……最期まで楽しませてくれました」
青白い額からは血が流れる。
シュタインシャーレは左手で顔を覆った。
「ククク……“女優”としてはあまりにも下手で見ていられませんでしたが……あの石巨兵は良い“作品”だった」
左手を顔から離すと、そこには先ほどまであった物と同じ仮面が付けられていた。
「一方で……やはりあの少年は、不要でしたか」
映し出されたのは、剣を手放し膝をつくエルの姿。
「鉄の魔法。多少は面白くなるかと思ったのですが……覚悟を決められぬ者には、道は開かれない」
そのとき、部屋の外からノックの音がした。
「シュタインシャーレ様、お時間でございます」
「ええ……名残惜しいですが、こればかりは致し方ない」
左手で仮面を押さえ、笑みを深めながらひとつ頷く。
そして仮面を外し、衛星眼球の一つを右眼の奥へ埋め込んだ。
再び仮面をつけ、静かに扉を開ける。
その先に広がっていたのは、ウィンクラウン邸ではなかった。
石造りの柱と、幾何学模様のカーペット。中庭を望むアーチの窓。
そのすべてが、威厳と格式を湛えている。
ここは──騎士と機械の国、クライセン王国。
「随分と楽しそうだな、シュタインシャーレ」
低く響く声が、廊下の先から投げかけられる。
「……これは失礼。我が王。少々、興味深いものを拝見しておりましたので」
「ふん。ならば、余所見をさせぬよう、もっとこの国を面白くしなければな」
「まったく、仰る通りでございます」
仮面の奥で、彼の片目が細く笑う。
騎士王──クライセン王国において騎士階級の頂点に立ち、その力と威光をもって国を外敵から守る、最強の戦士。
その隣に並び歩く仮面の男。
その背に翻るマントは、どこか重力を拒むかのように、ふわりと浮かび上がっていた。
* * *
濃紫の靄が晴れ、屋敷を包んでいた不穏な気配が静かに消えていく。
茨に覆われていた門が自然にほどけ、束縛されていた時間がようやく動き出したかのようだった。
「……終わった、のか」
呆然と呟いたエル・オルレアンの声は、広間に染み込んだ血の気配に吸い込まれていった。
足元には、もう動かぬウェンディの亡骸。
マリアは目を閉じたまま、ただ静かに立ち尽くしていた。
オズワルド・ミラーは無理の利かない身体を起こしながら、これから起こるであろう事態に胸中を曇らせていた。
そのとき──重い足音が大広間に響く。
「おや、間に合ったか……ずいぶんと派手にやってくれたな」
扉の奥から現れたのは、黒衣の使節団。
そしてその中心に立っていたのは、黒衣の男──アルバート=アーチボルト・アスキス。
「貴族殺しとは、随分な偉業を成し遂げてくれたな。マリア・クルス」
「……あなたが、わざわざここに来るなんてね」
マリアは顔を上げる。対するアスキスは表情を変えずに続ける。
「当然だ。私は五大貴族の一柱でもあり……ウィンクラウン家は我がアスキス家の庇護下にあった」
その視線がウェンディの亡骸に向けられた瞬間、空気がひやりと凍る。
「……そういうこと。私を、連れて行くつもりね」
マリアが小さく息を吐くと、アスキスの背後に控えていた従者が一歩進み出る。
「お手を」
マリアは静かに両手を前に差し出した。
従者が詠唱を紡ぐと、その腕に手錠のような魔具が嵌められる。
それは治癒や保護の類ではなかった。
拘束と連行──罪人に施される術式。
「な……何をする気ですか、アスキスさん!?」
血に濡れた床の前に立ち尽くすエルが、声を震わせながら叫ぶ。
だがアスキスは、淡々とした口調で告げた。
「この国では、貴族を殺す行為は──いかなる理由があろうとも、重大な罪だ」
「待ってください……!」
エルが一歩踏み出そうとした瞬間、護衛の一人がその前に立ちふさがる。
両肩を押さえられ、進むことができない。
「エル」
その名を、マリアが静かに呼んだ。
「ウェンディは、誰かに利用されていた。あの子は……こんなことを、自分の意志だけでする子じゃない」
俯いたまま、絞り出すように続ける。
「それに……この国に、あれだけの魔導人形が存在していたこと自体がおかしい。きっと、もっと深いところで……何かが起きている。だから──」
その瞳が、まっすぐにエルを見据える。
「クライセンに行きなさい」
「……マリアさん」
エルの目が見開かれる。
「短い間だったけど……楽しかったわよ、エル」
微笑むマリアの表情は、どこか別れを悟っているようだった。
彼女はゆっくりと身を翻し、アスキスたちと共に歩き出す。
「っ……」
その背中が遠ざかっていくのを見つめながら、エルは拳を握り締める。
悔しかった。何もできなかった自分が。
嗚咽が、静まり返った広間に微かに響いた。
「……泣くな、エル」
肩に手を置いたのは、オズだった。
「まだ終わってない。ここが、始まりだよ」
* * *
数日後。魔法協会の本部、その一角に設けられた重厚な執務室。
冷えきった空気が漂うその空間の中で、報告を終えた従者が静かに頭を下げた。
「……以上が、ガンドールにおける一連の事件の経緯でございます。当主の死と、それに続く魔導器の暴走、すべては我が監督不行き届きによるものと──」
「──リチャード・クラウリー」
淡々と報告を聞いていた男──アルバート=アーチボルト・アスキスが、部下の名を呼ぶ。
金色の瞳が、冷然と彼を射抜く。
「はい……?」
「貴様は、誰だ?」
その一言に、室内の空気が凍りついた。
リチャードの肩がびくりと揺れる。次の瞬間──室温が一気に下がり、白い霜が床を這い始める。
「ま、待っ──」
その声は氷に閉ざされ、次の瞬間、音を立てて粉々に砕け散った。
粉々に砕けた氷片の中心で、何かがコトリと転がった。
それは──鈍く輝く、魔導器の“核”。
「……やはり、か」
椅子からゆっくりと立ち上がるアスキス。
その顔に浮かぶのは、冷笑とも言える表情。
「リチャード本人は、既に殺されていたか。よく出来た模倣体だったが──私の下に寄越すとは、少々見縊りすぎではないか?」
指先で核をつまみ上げながら、彼はその核の先にある何かに問いかけていた。
しばらくして、ゆっくりと視線を窓の外へと向ける。
「クライセン王国──この西方世界の覇権を取りにくるつもりか?」
アスキスの眼差しが、深く鋭く光を宿していた。
* * *
陽光が差し込む港町の朝。
エルとオズは、ガンドールのあるノースイースト・リム区を離れ、サウスウェスト・リム区の海辺の街にいた。
静かな埠頭に、クライセン王国行きの客船がゆっくりと煙を上げている。
「……これで、昼過ぎには向こうに着くんだね」
エルが呟くと、隣でオズが頷いた。
「クライセンの首都までは、その後さらに馬車で数時間かかるけどな。けど、ここまで来ればもうすぐだよ」
数日前、二人は魔法協会による尋問を終えた。
ウェンディ・ウィンクラウンの死について、エルとオズの関与は認められず、直接の責任を問われることはなかった。
エルは、自分が土人形を斬ったことでウェンディを傷つけたと主張したが、禁呪による相互接続の影響であると判断され、不問とされた。
その一方で、マリア・クルスについては異なる結論が下された。
禁呪使用者ウェンディを討伐した行動は正当防衛と見なされ、貴族殺しの重罪人から、あくまで協会の管理下で調査を受ける参考人へと扱いが変わった。
「……マリアさん、あのまま戻ってこないのかな」
エルの呟きに、オズはしばし沈黙したあと、静かに答えた。
「戻ってこられるかは分からない。でも、あの人なら大丈夫だよ」
「……うん」
ひとしきりの沈黙のあと、エルが口を開いた。
「オズ、本当にありがとう。僕は、ここから一人で──」
だが、言葉の途中でオズが笑って肩を組む。
「何言ってるんだよ。二人で行くんだろ?」
エルが驚いたように顔を上げる。
「えっ……でも、東方世界へ旅立つって──」
「その旅は逃げないさ。今は、魔導人形の謎を追おう。魔導具や魔導器の知識なら俺の方があるし、君には俺が必要だろ?」
その言葉に、エルは目を見開き、そして笑った。
「……うん、ありがとう」
波の音に背中を押されながら、二人は並んで客船へと向かっていく。
こうして、マリアへの想いを胸に──二人は新たな地へと歩みだした。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます!
第三章は8/6(金)から再開させていただきます!
投稿予定時刻は20時頃の予定です!
引き続き宜しくお願いします!




