第二章 第十四節「神の火」
「……血の契約、最高位の禁呪よ。魔力を媒介に、術者と術式を強く結びつける。構築した存在が受けた痛みも、すべて術者に返っていく……!」
マリア・クルスは、荒い息を吐きながら言った。
壁に叩きつけられた衝撃がまだ尾を引いている。
それでも──立ち上がる。
「けれど……それだけじゃないのよ」
その声には、静かな緊張と、何かに対する諦めが滲んでいた。
「血の契約で結ばれた以上、彼女の魔力が尽きるまで……石巨兵も、土人形も止まらない。──たとえ、術者が倒れても」
エル・オルレアンは手の中の鉄の剣を見つめていた。
だが、その剣はもう光を宿していなかった。
魔力が尽きたのではない──心が、折れていた。
その意志の灯が失われた瞬間、剣は音もなく砕け、鉄屑となって消えていった。
「そ、そ……んな……」
エルの震える声。
戦意は、霧散していた。
視線の先で、残る二体の土人形が静かに再び包囲を始める。
背後では、もう一体が盾のように立ちはだかり、オズの動きを封じていた。
「……ま、だ……生きて……いたのね……」
呻くような声が響く。
崩れそうな足取りで、ウェンディ・ウィンクラウンが再び立ち上がっていた。
右腕を押さえ、肩を激しく上下させ、唇は紫がかり、肌は蒼白。
それでも、その瞳にはなお執念の炎が宿っていた。
「石……巨兵……行きなさい……」
命令というにはあまりに弱く、今にも途切れそうな声。
だが、巨体は確かに動き、地を揺らして歩みを進めた。
(お願い……もう、やめて)
マリアは心の中で必死に呼びかけた。
彼女の中に、まだ理性が残っているなら──
けれど石巨兵の動きは、もはや命令に応じたものではなかった。
それは命の燃え殻に宿った魔力の亡霊。
暴走する術式に、執念だけが残っていた。
(……もう、止まらない)
マリアは目を伏せた。
(これ以上、彼女を傷つけたくない。でも──このままじゃ、全員……)
選ばなければならなかった。
守るための選択。救いを諦める決断。
そして──マリアの唇からは、詠唱が零れ落ちた。
焔の理よ、我が血に応えよ。
主神グウェンダルの名の下に、天をも焦がす戒律を解放する。
終焉の熱よ、降り注げ──
『神の火』
石巨兵が拳を振り下ろす刹那──
天空より裁きの光が降り注いだ。
それは火ではない──魔力を断罪する“熱”。
石の巨体が光に貫かれ、崩れ、燃え尽きて、灰と化す。
「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛……ッ!」
ウェンディの悲鳴が響く。
先ほどの比ではない。
焼け爛れるような痛みが、全身を蝕んでいた。
その場に膝をつき、喉を裂かんばかりの叫びをあげ続ける。
「これ、が……火の元素魔法の、最上級……」
「マリア、さん……やめて……そんな……ウェンディさん、が……」
倒れていたオズワルド・ミラーとエルは、目の前の凄惨な光景に言葉を失っていた。
「……神の炎は、魔力そのものを焼き尽くす。術式の根幹から──すべてを」
マリアの声には、もう迷いがなかった。
それは赦しも救いも与えない、唯一の終焉。
……やがて、土人形たちが音もなく動きを止める。
魔力の靄が晴れ、世界が静まり返った。
残響さえない沈黙。風さえ止まったような瞬間。
──そして、一体が崩れ落ちる。
続けて、もう一体。
最後の一体も、抗うように震えた末、静かに砕けた。
ウェンディは、その中心で肩を震わせていた。
髪は乱れ、肌には赤いひび割れが広がっている。
魔力を失い、術式との接続は崩壊し、彼女の肉体も限界に達していた。
マリアが静かに歩み寄る。
風が舞い、戦場にあった殺気が少しずつ消えていく。
だが、その足取りは重く、胸の奥は痛んでいた。
(あなたを……救いたかった)
目の前の少女に、問いを投げかけるような視線を向ける。
だが──返る言葉は、もうない。
「眠りなさい──ウェンディ・ウィンクラウン」
囁くように告げると同時に、マリアの手に一本の鉄の槍が現れる。
それは、風でも火でもない──ただの鉄。
マリアは少女の前に立ち止まり、そして──音もなく、槍を突き立てた。
赤い滴が宙に舞い、白い胸元を染めていく。
ウェンディは、驚いたようにマリアを見上げた。
その瞳に浮かんでいたのは、憎しみでも怒りでもなく──
右手の甲に浮かんでいた赤黒い呪印が、かすかに淡く光り……
そして、ふっと消え去った。
その瞬間、彼女の表情から、苦悶と憎悪がすっと抜け落ちていく。
まるで霧が晴れたように、心の奥から解き放たれるように。
彼女は、静かに微笑むような眼でマリアを見つめた。
──ごめんなさい。
──私の心が弱かったせいで……あなたたちを傷つけてしまった。
──止めてくれて……ありがとう。
声にはならなかった。
けれど、その言葉は確かにマリアに届いていた。
マリアは何も言わなかった。
ただ、唇をかみ締め、その端から滲んだ血が、白い頬を伝って落ちていく。
少女の身体が、ゆっくりと傾ぐ。
その瞳から、最後にこぼれたのは──微かな、安堵の光だった。
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次回第二章最終節の更新は8/3(日)20時頃の予定です!
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