第二章 第十一節「魔素に沈む館」
屋敷の扉が音もなく閉じると、外界との繋がりが断たれた。
薄暗い広間。
壁の装飾も、床の絨毯も、ところどころに焦げ跡のような痕がある。
何かが暴れ回ったような惨状だった。
「……魔素の濃度が異常ね」
マリアが眉をひそめて呟く。
灯りのない廊下には、微かに紫がかった靄が漂っていた。
空気に混じるそれは、肌に不快な膜を貼るような感覚を残していく。
「こんな濃度、ヒューマの住居にあるとは思えないわ」
「これって……誰かの魔法、なのかな……?」
「いいえ、違う。これだけの魔素が人為的に放たれたなんて、考えられない」
エルは廊下の奥を見据え、そっと拳を握った。
……ウェンディが、まだこの奥に──。
だが、次の瞬間。
「……っ、来るわよ!」
マリアの叫びと同時に、廊下の先から黒い影が迫ってくる。
それは人の姿をしていたが、どこか歪んでいた。
黒衣のフードに顔を沈めた集団。
「交渉は無理ね──」
マリアが右手を構えたが、それすら遮るかのように、敵は躊躇なく攻撃を仕掛けてくる。
鋭い風刃が壁を抉り、床を裂いた。
(魔法……!)
その正体を問う余裕もなく、マリアはエルに叫ぶ。
「エル、回避優先! 魔法はまだ使っちゃダメ!」
「えっ……! でも、どうして……」
「火を使えば、この屋敷が燃えるわ!」
その言葉に、エルはようやく気づく。
あたりは乾いた木材と古布に満ちている。
着火すれば一瞬で火の海だ。
飛来する魔法を避けながら、マリアが跳躍する。
「一体だけ、隙をつくるから……準備して!」
「わかった!」
マリアの風刃が敵の動きを牽制し、エルは鉄の剣を作ろうとする。
だが、どこか戸惑いが混じっていた。
(人間……本当に?)
心の奥で問いが渦巻く。
相手の姿は明らかに人型。
だが、どこか無機質な挙動。
機械仕掛けのような動き。
「今よ、エル!」
マリアの号令と同時に、敵の一体のフードが裂ける。
その下にあったのは、人の顔ではない。
金属と木材の仮面──無表情のまま、じっとこちらを見返していた。
かすかに歯車の駆動音が聞こえる。
「──魔導人形!」
マリアが叫ぶ。
「機械……? どちらにしても!」
戸惑いの霧が一気に晴れた。
エルは掌を突き出し、濃縮した魔力を一点に凝縮させる。
淡く輝く線が空中に描かれ──鉄の剣が、彼の手に生まれ落ちた。
(人じゃないなら──壊せる!)
その剣を振るう手には、ためらいはなかった。
直後、魔導人形の首が切断され、火花を散らしながら床に崩れ落ちる。
「やった……!」
エルの声に、マリアはちらりと視線を向ける。
だが、その表情には微かな陰りがあった。
(人でなければ迷わず斬れる。けれど──)
もしこれが人だったら。もし、命を奪うべき相手だったら。
(あの子は、果たして剣を振るえるのかしら……)
そんな思いが、マリアの胸をかすめた。
「マリアさん……! オートマタって、いったい何なんですか?」
エルが駆け寄りざまに問いかける。
マリアは敵の動きを警戒しながら、わずかに息を潜めて応じた。
「魔導人形。クライセン王国で開発された、魔力で動く人型の魔導器よ。心も感情もない、ただ命令通りに動くだけの存在」
「……クライセンの兵器が、どうしてここに……?」
「わからない。でも、数が多い。用意された部隊と考えるべきね。操ってるのが誰かは、まだ見えないけど……」
言葉の終わりを待たず、再び奥の廊下から複数の足音が迫ってくる。
「まだ控えてるって訳ね……エル、出来る限り魔力を抑えなさい。一旦、やり過ごすわよ」
マリアの指示に従い、鉄の剣の魔法を解く。
二人はすぐそばにあった部屋に身を潜めた。
部屋の中は薄暗く、寝室のようだった。
声を潜めながら、マリアはエルに言葉をつづける。
「詳しくはないけど、魔導人形は魔力を感知して敵を判別する仕組みらしいわ。しばらくここで身を潜めておけば、今いる奴らはやり過ごせるはず」
「はい……」
エルは念のため声を落としながら、室内を見回す。
そのとき、何かに気づいて指をさした。
「マリアさん……あれって」
そこには、写真立てに飾られた一枚の写真があった。
中心には幼い少女が賞状を大事そうに抱えて笑っている。
その背後には威厳ある風貌の男性が立ち、少女の肩に手を置いていた。
そして──彼女の隣には、まるで家族の一員のように寄り添う一体の石巨兵が。
「……狐目の言ってた話、間違ってはなさそうね」
マリアがぽつりと呟き、エルはアスキスの言葉を思い出す。
『ウィンクラウン家は代々地の魔法の家系──あれは、この国でも屈指の“石巨兵使い”だ』
「ウェンディさん……どうして……」
「それを確認しに、ここまで来たんでしょ? ……足音は聞こえなくなったわね。様子を見てから行くわよ」
薄暗いこともあって、マリアの表情はエルにはよく見えなかった。
しかしエルは気づいていた。
マリアの声が、いつものように落ち着いてはいなかったことに。
二人は、再び魔素の濃い廊下を奥へと進んでいく。
やがて突き当たりに、大きな扉が現れた。
「……ここね」
マリアは扉の前に手を翳し、静かに呟いた。エルは黙って頷く。
この先にある魔素の気配は──息苦しく、重く、どこか痛々しいほどだった。
それは、エルにもはっきりとわかるほど強く漂っていた。
二人は、ゆっくりと扉を開いた。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます!
次回更新は7/26(土)20時頃の予定です!
引き続き宜しくお願いします!




