第二章 第九節「日々は、静かに揺れて」
朝の陽光が、六柱の塔の訓練場を穏やかに照らしていた。
石敷きの地面に描かれた魔法陣が淡く輝くなか、マリア・クルスは腕を組み、中央に立つウェンディ・ウィンクラウンへと声をかける。
「じゃあ、まずは土壁。昨日の続きをやってみましょうか」
「はい……!」
ウェンディは深く息を吸い込み、両手をそっと地面へとかざした。
その指先には、昨日よりもはるかに落ち着いた動きが宿っている。
──強く、硬く、崩れない壁。
彼女の内心のイメージに応えるように、地面が脈動し、ずしりとした重みを孕んだ土が、ゆっくりと隆起していく。
やがて、背丈ほどの厚みを持つ土壁が、訓練場の中央に姿を現した。
「ふむ。随分しっかりしたわね……エル、悪いけどひとつ火球を撃ってみて」
「わかった」
エルは軽く頷き、指先に炎を宿す。
小さく、しかし鋭い火球が放たれ、真っ直ぐに土壁へと命中した。
ごう、と音を立てて土が焼ける。だが、壁は崩れない。
焦げ跡こそ残ったものの、ひび一つ入っていなかった。
「……やるじゃない、ウェンディ」
マリアの言葉に、ウェンディが目を瞬かせる。
照れたように一礼しながら、ほんの少しだけ口元が綻んだ。
「じゃあ次。土壁を、人型に整形してみて。昨日みたいに、ちゃんと動かせるようにね」
「はいっ」
ウェンディは頷き、土壁の一部に魔力を流し込む。
土がゆるやかに柔らかくなり、粘土のように形を変えていく。
やがて現れたのは、バランスの悪い太い腕と短い脚、ぎこちなくも、精一杯かたちを保とうとする顔立ちをした──土人形。
だが、その姿は一歩、また一歩と踏み出しても、崩れることはなかった。
「……ちゃんと動いてる。すごいです、ウェンディ。僕は土人形、いまだに上手く作れないから……」
エルが感心したように声をかけると、ウェンディは一層深く頭を下げた。
「機能は申し分ないわね。……まあ、人型には見えないけど」
マリアが片眉を上げて微笑む。
少し意地悪を言っているようでいて、その声音には、思わぬ成長を前にした素直な喜びが滲んでいた。
(この子は……ただ、正しい師がいなかっただけ)
心の中で、マリアはそっとそう思う。
その言葉に背中を押されるように、ウェンディは小さく笑った。
慣れない感情に戸惑うように、けれど確かに、嬉しそうに。
「あなた、ぼやぼやしてると追い越されるわよ?」
マリアが横目でエルに言うと、彼は苦笑しながら肩をすくめた。
訓練場には、穏やかな風が吹き抜ける。
緊張も、争いもない、ただまっすぐな時間が流れていた。
* * *
陽が傾きかけたガンドールの裏通り、年季の入った木の看板を掲げた魔導書店の奥で、オズワルド・ミラーは革表紙の分厚い帳簿を閉じた。
「これで、ひと通りですね。あとはこの発注書を届ければ」
「世話になったな、オズ。お前さんが来てくれると、うちも安心だった」
帳簿の向こうから、店主がしみじみとした声で言う。
「……寂しくなるな。次からは、お前さんじゃなくなるんだろ?」
オズは小さく笑って、肩をすくめた。
「うん。ちょっと旅に出てみようと思っててね。仕事は……義兄が、ちゃんとやってくれるさ」
「そりゃ、あの人なら安心だろうけどな」
店主は目を細めながら、発注書の束をオズに手渡す。
「これを持っていけば、あんたの親父さんも安心するだろうさ」
「ありがとう。じゃあ、これで失礼するよ」
オズは軽く頭を下げ、革鞄に発注書を収めて店の扉に手をかけた。
そのときだった。
「──……?」
扉の外、石畳の通りを何人かの黒い影が横切る。
その先頭に立っていたのは、見覚えのある姿だった。
リチャード・クラウリー。
晩餐会でウェンディに付き従っていた、あの寡黙な従者だ。
だが──その背後にいた数名の魔法使いたちは、黒いローブを頭からすっぽりと被っていたにもかかわらず、どこか違和感があった。
「……何だ、今の……?」
視界の端に映ったその集団に、オズの眉がわずかに動いた。
彼らの纏う魔力が、全く同じだったのだ。質も波長も、寸分違わず。
まるで、ひとつの核から分かたれた“複製”のように。
「どうした、オズ?」
背後から店主の声が飛ぶ。
「……いや、なんでもない。もし無事だったら、また来るよ」
オズは片手を上げてそう答え、リチャードたちが消えた方角へ、足を向けた。
街路を一つ曲がり、二つ。リチャードと黒衣の魔法使いたちは、やがて裏路地へと姿を消していく。
(あんな場所に……?)
商人の勘が告げていた。これはただ事ではない、と。
オズは歩調を緩め、音を立てぬよう足を運ぶ。
路地裏はひんやりとしていて、昼間の喧騒が嘘のように静かだった。
やがて、曲がり角の先──
何かを感じた次の瞬間、鋭い痛みが首筋を貫いた。
「……っ!」
息を呑む間もなく、視界が歪む。
世界が揺れ、音が遠ざかっていく。
そして、意識が闇へと沈んだ。
「……何に気づいたのかは知らないが」
冷たい声が、すぐ近くで響いた。
「──おや。これは……あの時の」
石畳に崩れ落ちたオズの横で、リチャード・クラウリーはわずかに首を傾げ、唇の端を僅かに歪めていた。
赤い瞳が、じっと彼を見下ろしていた。
* * *
訓練を終えた三人は、塔の外で最後の挨拶を交わしていた。
「……今日も、ありがとうございました。とても、勉強になりました」
ウェンディ・ウィンクラウンは丁寧に礼を述べ、マリアとエルに深く頭を下げる。
「こちらこそ。あなた、ずいぶん力をつけたわね。明日も、同じ時間でいいかしら?」
「はい。……また、ご指導お願いします」
静かに階段を降りていくその背を、マリアとエルが見送る。
その姿は昨日よりもずっと自信に満ちていたが──どこか、影が差しているようにも見えた。
「……すごい成長だね、ウェンディ」
エルがぽつりと漏らすと、マリアはわずかに頷いた。
「ええ。想像以上に、ね」
ちょうどそのとき、塔の一角──議事棟へと通じる回廊の奥から、ゆっくりと歩いてくる人影があった。
灰銀の髪、沈着な双眸。
六柱の塔の主、魔法協会の会長、そして現代魔法の祖──アルバート=アーチボルト・アスキスだった。
彼は立ち止まり、無表情のままマリアに目を向ける。
「……五大貴族の当主を指導とは。大層、偉くなったものだな。三ツ星」
「悪いけど、今日はあなたの嫌味に付き合ってる暇はないの」
マリアがそっけなく返すと、アスキスは目を細めてわずかに顎を上げた。
「感謝のつもりだったのだがな。あれの“石巨兵”、筋は悪くなかった」
「火の元素魔法を習得して、鉄を纏わせられれば……悪くない戦力となる」
「……何の話?」
マリアが眉をひそめる。
「あの……マリアさんは、ウェンディさんに地の元素魔法を教えています」
エルが言葉を発すると、アスキスは初めてエルのことを見た。
「地の元素魔法……? あれに何を教える必要がある?」
「ウィンクラウン家は代々地の魔法の家系──あれは、この国でも屈指の“石巨兵使い”だ」
沈黙が落ちた。
隣でエルが、何かを言いかけて口をつぐむ。
マリアはゆっくりと視線を伏せ、そして、真っ直ぐアスキスを見返した。
「……どう言うことよ、それ」
「私は確かに──あの子に、ウェンディに“地”の魔法を教えたわよ? それなのに……石巨兵の使い手、ですって?」
マリアはアスキスを睨みつけ、その双眸に一瞬たりとも怯むことなく言葉を突きつけると、踵を返した。
「マリアさん?」
戸惑うエルの呼びかけにも振り返らず、彼女は吐き捨てるように言った。
「行くわよ、エル。こいつと話していても、時間の無駄だわ」
足音も荒く、回廊を早足で去っていくマリアの背を、エルは慌てて追いかける。
その後ろ姿には、怒りとも悔しさともつかない感情が滲んでいた。
残されたアスキスは、二人の背が遠ざかっていくのをしばし無言で見送っていた。
夕陽が差し込む回廊の静けさのなかで、低く、誰にも届かぬ声で呟く。
「……何を企んでいる、ウィンクラウンよ」
その声音には、確かな警戒と、かすかな興味が混じっていた。
やがて、彼の姿も静かに石造りの奥へと消えていった。
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次回更新は7/24(木)20時頃の予定です!
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