第二章 第八節「土に宿るかたち」
夕暮れ時。王都北西の離宮にある一角、落ち着いた内装の個室で、三人は静かにテーブルを囲んでいた。
買い出しから戻った後、改めて夕食の約束をしていたのだ。
選ばれたのは、オズが「雰囲気も料理も確か」と評した隠れ家のような店である。
水の入ったグラスを手に、エルはぽつりと口を開いた。
「……アトラスから、いろいろ話を聞いたよ」
「ふーん。で?」
向かいに座ったマリアが、意味ありげに目を細める。
「私に、お土産を買い忘れた……と?」
「あっ……」
エルは視線を逸らし、ばつが悪そうに頬をかいた。
「すみません……その、話してたら、つい」
「まあ、美味しい料理でごまかそうってわけね。でも……今日は大目に見てあげる」
そう言いながら、マリアはゆるやかに杯を傾けた。
卓上には、焼き魚と香草のグリル、煮込み料理、素朴なパン──郷土色の濃い献立が並んでいる。
「このお店、オズが選んでくれて。味も評判で、静かで話しやすそうな場所だったから……」
エルは申し訳なさそうにオズに目配せをする。
パンを口に頬張っていたオズは、慌てて麦酒で流し込む。
「マ、マリアさんのお口に合えば嬉しいんですが……どうでしたか?」
「良い店だったわよ、オズ。気が利くじゃない?」
料理をひとくち口に運び、マリアが軽く頷いた。
ふと、表情をあらためる。
「ところで、昼間に届いたわよ。あの子からの手紙」
「あ……」
エルの手が止まる。
「丁寧な字で感謝が書いてあったわ。……エル、このところ訓練から少し離れてたけど、鈍ってはいないわよね?」
「はい、土のイメージは常に」
エルの言葉に、マリアもわずかに笑みを返した。
「真面目でよろしい。明日は六柱の塔の訓練場、朝は早いわよ」
* * *
六柱の塔、その南側に位置する訓練場は、午後の光に包まれていた。
石敷きの地面には魔力を緩衝する紋様が刻まれ、周囲を囲む柱廊が、柔らかい日差しと風を遮っている。
柔らかな陽光の中、三つの影が静かに揃っていた。
マリア・クルス、エル・オルレアン、そしてウェンディ・ウィンクラウン。
マリアは腕を組み、訓練場の中央に立つウェンディへと声をかけた。
「まずは、あなたの実力を見せて。どんな形でもいい。いまのあなたにできる“地の元素魔法”を」
その口調に咎める色はなかった。ただ、真っ直ぐな評価の目がそこにあった。
ウェンディはわずかに息を整え、頷くと、指先を地面へとかざした。
その手の動きは、どこかぎこちない。
だが、ためらいながらも懸命に集中を試みている様子が伝わってくる。
彼女の足元、地面の一部がうねるように盛り上がり、やがて粘土質の塊が一体の人型を形作った。
粗く歪な顔、太すぎる腕、短い脚──けれど、確かにそれは土人形と呼ばれる地の元素魔法だった。
「……動いて」
ウェンディの声と共に、人形はよたよたと一歩踏み出す。
二歩目──その瞬間、肩のあたりから崩れ落ち、全体がばらばらと地に崩れた。
「……っ」
小さく息を呑んだウェンディに、マリアが静かに声をかけた。
「いいのよ。あれだけ形になれば、基礎は身についている。問題は、魔力の配分と支え方」
言いながら、マリアは視線をエルへと向ける。
「エル、見本をお願いできる? あなただって、まだまだ発展途上。だけど、地の扱いには“重み”と“芯”がある。そこを感じ取るには、まずは固定されたものを作るのが一番」
「うん、やってみる」
エルは訓練場の中央に歩み出て、両手を地面にかざした。
彼の掌から、じわりと魔力が染み出していく。
土が反応し、内側から脈打つように盛り上がっていく。
重く、分厚い土の壁が現れた。高さは大人の背丈ほど、幅は肩幅よりやや広く。
ウェンディが思わず目を見開くほどの、安定感と存在感だった。
「地の魔法は、“軽さ”を求めちゃダメ。風や水と違って、こいつは重くて鈍い。だからこそ、意識でしっかり形を支え続ける必要があるの」
マリアの声が響く。
「ただ生み出すだけじゃ、あっという間に崩れるわ」
マリアは、訓練場の中央に残された土壁を一瞥すると、軽く肩を回した。
「じゃあ、少しだけ……見てて」
そう言って片手を差し出す。
その指先から練り上げられた魔力が、するすると壁へとしみ込んでいく。
魔力は繊細かつ均等に行き渡り、やがてエルが作った壁の一部がなめらかに動き始めた。
「……まずは“整える”。地の魔法は、素材の“質”を変えることはできないけど、“構造”ならいくらでも変えられるの」
粘土のように柔らかく変じた土は、マリアの指先に応じて滑らかに線を描き、顔や手足といった形状を取り始める。
たった数秒のうちに、それは堂々とした人型──完全な土人形へと変化していた。
「……“密度”や“流れ”といった、内側の作りを整えるって意味よ。わかった? 次に、即興でもう二体」
マリアは振り向くことなく、両手を左右に構えると、地面の別の箇所に魔力を滑り込ませた。
地が脈動し、土が盛り上がる。
まるで生きているかのような速度と緻密さで、二体の土人形が立ち上がった。
「形だけじゃなくて、魔力の通り道も整えてあげると──」
その言葉と同時に、三体の土人形が音もなく一歩前に出た。
まるで心臓を持つかのように、魔力の鼓動に呼応するその姿は、ただの土塊とは思えない迫力を備えていた。
「そして……応用」
マリアは三体の土人形を中央へと集め、両手を重ねて印を切る。
低く唸るような魔力の音と共に、三つの人形がぐにゃりと融け合い、ひとつの大きな塊へと変貌した。
それは急速に成長し、腕や脚を太く隆起させ、質量のある骨格を形成していく。
質感も、先ほどの柔らかな土とは異なり、鈍い石質の硬さが滲んでいた。
「……何だこれ、すごい」
思わずエルは声に出していた。三メートルはあろうかという巨体だった。
動きは鈍重だが、その足が一歩踏み出すたび、訓練場の床がわずかに軋む。
「これが、“石巨兵”。土人形を三体分使った即席のもの。とはいえ、実戦でも充分通用するわ」
マリアは右手を上げると、石巨兵はその動きに合わせて腕を振り上げ──そしてぴたりと止まった。
「……ただし、これを維持するには相応の魔力量と集中力が要る。だから、使いどころは選ばないとね」
そう言って掌を返すと、石巨兵は音もなく崩れ、元の土へと戻っていった。
沈黙。
その技の鮮やかさに、エルもウェンディも言葉を失っていた。
「魔法は、力じゃない。……“扱い方”よ」
マリアの背に、斜めから差し込んだ光が射す。
その影が、ゆっくりと訓練場に伸びていく。
三人の前に、確かに“魔法”の奥行きが拓かれようとしていた。
* * *
夕暮れの光が、六柱の塔の高窓から差し込んでいた。
訓練場を後にした三人は、塔の外で名残惜しげに言葉を交わしていた。
「……今日は、ありがとうございました。とても、勉強になりました」
ウェンディ・ウィンクラウンは、丁寧に礼を述べて一礼する。
その言葉に、マリアが肩の力を抜いて応えた。
「こちらこそ。あなたの真剣さは、ちゃんと伝わってきたわ。明日も、同じ時間でいい?」
「はい。……また、ご指導お願いします」
ウェンディはマリアとエルに一礼し、塔の階段を降りてゆく。
彼女の歩みは凛として、迷いがない。
けれど、その背を照らす夕陽は、ほんのわずかに翳っていた。
塔の外、石畳の路地には、ウィンクラウン家の馬車が停まっていた。
銀の紋章を刻んだその扉の前に、黒衣の従者が立っている。
リチャード・クラウリー――年嵩の、端正な男だ。
「──当主」
小さな声でそう告げると、リチャードはウェンディに歩み寄り、静かに耳打ちをした。
彼女の表情が、わずかに陰る。
だが、すぐに平静を取り戻し、リチャードと共に馬車へと乗り込んだ。
重厚な扉が閉じる。
馬車のなかは、静謐だった。
カーテンで外光を遮った薄暗がりのなか、ひとりの男が座っていた。
背筋を伸ばし、石の仮面で顔を覆ったその人物は、ウェンディにゆっくりと向き直る。
「お初にお目にかかり光栄です、ウェンディ・ウィンクラウン嬢」
その声音は低く、やや古風な言い回しを伴っていた。
「私はシュタインシャーレ……この度、円卓の一席を頂いた魔導師でございます」
馬車が静かに動き出す。
石畳を転がる車輪の音だけが、車内に響いていた。
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