第二章 第七節「再び巡る星のもとで」
翌日、陽が高くなり始めた頃、エルは約束通り中央広場の噴水前に姿を見せた。
待っていたオズは、既にベンチに腰かけ、手帳を眺めながら軽く手を振ってくる。
「おはよう、エル。昨日はよく眠れた?」
「うん、静かな夜だったよ。……ありがとう、昨日は付き合ってくれて」
「いやいや、むしろこちらこそ。こういう市場巡りは久しぶりだから、ちょっと楽しみにしてたんだ」
二人は連れ立って、ガンドール市街の西側にある商業区へと足を運んだ。
昼前とあって通りはすでに賑わっており、魔法協会の紋章を掲げた店々が軒を連ねている。
最初に訪れたのは、文具と装備の専門店だった。
エルはここで筆記具と羊皮紙を数束購入し、次いで旅用の魔法鞄に目を留める。
「これは……コヌルコピアみたいなやつ?」
「それは高級品だよ。こっちは簡易式の小型鞄。拡張機能は最小限だけど、丈夫で軽いから旅には向いてる」
店員の説明に、エルは頷いてそれを一つ選び、肩にかけてみた。
「悪くないね。ちょうど手頃な大きさかも」
買い物を終えたエルに、オズは小さな布包みを差し出した。
中には、金と藍色の糸で編まれた小さな飾り紐──護符のようなものが入っていた。
「これは……?」
「タリスマンだよ。魔力を“見せない”ための。都市部ではこういうものがあると便利だからね」
エルは少し驚いたように目を見開き、それから丁寧に頭を下げた。
「……ありがとう。大切にするよ」
「気にしないで。これも“準備の一部”さ」
最後に二人が立ち寄ったのは、魔導具専門店だった。
木製の棚には杖や短剣、護符や指輪といった定番の魔導具が並び、奥の壁には属性別の装飾武器が整然と陳列されている。
「やっぱり、どこも品揃えが豊富だね」
「うん、ここは協会の技術部が監修してるらしいから、品質も間違いないと思うよ」
エルは棚に並ぶ杖の一本を手に取った。
素材は古樹の枝、芯には魔力伝導石が埋め込まれている。
軽く振ってみると、手応えは悪くない。
と、そのとき、ふと視界の端に“異質なもの”が映った。
店の一角、少し目立たないガラスケースのなか。
そこに置かれていたのは、金属製の小ぶりな筒──銃に似た形状をした器具だった。
「これは……?」
エルが指差すと、オズもそちらに目を向け、少しだけ目を細める。
「魔導器だね。銃型の魔法兵装。あまりヴィクトリアでは見かけないけど……」
エルがガラス越しに魔導器を見つめていると、隣のオズがふっと小さく笑った。
「気になる?」
「うん……なんていうか、あれだけ“異質”なのに、すごく洗練されてる。魔導具とは全然違う感じがするね」
「そりゃそうさ。魔導器は魔力を直接、物理的な威力に変換する兵器。剣や槍みたいに媒介を通すんじゃなくて、力を“撃ち出す”道具だから」
オズは棚の脇に手を置き、さらりと続けた。
「でも──残念だけど、君や俺には扱えないよ」
「……え?」
エルが目を瞬かせると、オズは少し声を落として、冗談めかしながら囁いた。
「俺たち“星”もそうだけど、限定魔法ってのは、魔力の質が特殊すぎてね。元素魔法が使えないんだよ……普通はね? だから、媒介に元素を通す“触媒魔法”も当然向かないんだ。魔導具も魔導器も、全部“普通の魔法使い”が使う前提で作られてる」
「……そうなんだ」
エルは思わず目を伏せた。その理由を初めて聞いたわけではない。
けれど、実際に“使えない”ものが目の前にあるという現実は、また違った重みを持って迫ってきた。
オズはそれを察したように、軽く肩をすくめる。
「まあ、しょうがないさ。俺も昔は剣の魔導具に憧れてたし、道具屋の子だからいろいろ触ったけど──結局、どれも馴染まなかった。だから今は、自分のやり方でやるって決めてるよ」
「……うん、そうだね」
エルは苦笑を浮かべながらも、少しだけ心が軽くなるのを感じていた。
* * *
学術都市ガンドール、そこに立つ魔法協会の本部──六柱の塔は相変わらず静謐な空気に包まれている。
北棟の宿舎──木製の書斎机に向かい、マリアは一冊の魔導書を広げていた。
昨日、魔導書店で手に入れた大量の本の内のそれは、古い記述と図解を織り交ぜた実践的な一冊で、ページの端々には前の持ち主の注釈が鉛筆で残されている。
ページをめくる手を止め、ふと視線を横に移す。
机の端では羽根ペンが音もなく踊っていた。
淡い光を帯びた羊皮紙の上に、魔力を通した自動筆記が淡々と報告書を綴っている。
「……だいたい、こんなもんね」
小さく息を吐いてペンを止めようとしたそのとき、窓硝子がかすかに揺れた。
コツ、コツ、と何かが外からつつく音。
マリアが首を傾げつつ窓を開けると、そこにいたのは一羽の郵便鳥だった。
羽は淡い金茶、嘴は白く短く、脚に巻かれていた小さな封筒が風に揺れる。
郵便鳥は、送信者の魔力を辿って対象のもとへ届く特殊な使い魔だ。
受け取り手が指定されている限り、よほどの結界でもなければ届かぬことはない。
「誰から……」
受け取った封筒には、見覚えのある宛名が書かれていた。
──マリア・クルス様へ。差出人は、ウェンディ・ウィンクラウン。
マリアは無言のまま封を切り、その内容に目を通す。
達筆とは言い難いが、丁寧な筆致で記された文面には、昨夜の礼と、今後の指南についての感謝が綴られていた。
「……ちゃんとしてる子ね」
小さく呟き、マリアは便箋をそっと畳んだ。
窓の外には、昼下がりの陽射しがゆるやかに降り注いでいた。
* * *
魔導具専門店を後にした二人は、商業区の通りをゆっくりと歩きながら、昼の喧騒が和らぎ始めた市場を眺めていた。
一通りの買い物も済み、手にはいくつかの紙包みが揺れている。
「ねえ、マリアにお土産を買って帰ろうと思ってるんだけど?」
ふと思いついたようにエルが口にすると、隣を歩くオズが笑みを浮かべた。
「いいね。だったら、ちょうど近くに美味しい焼き菓子の店があるんだ。案内しようか?」
「うん、お願い」
通りの角を曲がろうとした、その瞬間だった。
「おっと、すみませ──」
通行人とぶつかりそうになり、避けようとした二人。
足元の石畳が、ぐにゃりと歪んだように感じられた。
揺れではない。足元の石畳が波打つように沈む感覚。
「──っ!?」
叫ぶ間もなく、二人の足元に黒い穴のようなものが広がった。
それは影ではなく、空間がめくれたような異常。
視界が一気に暗転し、重力の感覚すら失われていく。
次の瞬間、エルとオズの身体は、何かに引き込まれるようにしてその中へと消えた。
……ほんの数秒だった。
目を開けると、そこは見覚えのある場所だった。
天を仰ぐような高い天井と、半球状のドーム。
滑らかな大理石の床と、星辰を刻んだ魔法陣。
かつて“あの老人”と出会った、あの天文台。
「少々手荒な移動だったかな?」
声が響いた。
音もなく現れたその老人──アトラス・グリュンワルドは、白銀の法衣をたたえ、柔らかな笑みを浮かべている。
「獅子宮の子──そして、磨羯宮の青年。息災だったかね?」
アトラスはそう言って、二人の前に歩み寄ってきた。
「獅子の星の力……順調に育っておるようじゃな」
アトラスは静かにエルを見つめながら、頷くように言った。
その眼差しには、懐かしさと誇らしさ、そしてどこか哀しみを滲ませた深さがあった。
「霧誘竜──ネブ・マラク、か。あの時のお主では厳しい戦いになると思っておったが……よくぞ、倒したものよ」
「っ……知ってるの?」
思わず問うたエルに、アトラスは口元を緩めて答える。
「ふふ、儂は観測者じゃからな。空から地の下まで、あらゆる動きは見逃さんよ」
その言葉に続くように、今度はオズが声を上げた。
「霧誘竜って……昔、本で読んだことがあります。伝承かと思ってましたが、実在したんですか……」
「あれは滅びかけた災厄の残滓。だが、今の時代に現れるとは、儂も少々意外でな」
そしてアトラスは、オズのほうへ向き直ると、今度はまっすぐにその瞳を見据えた。
「磨羯宮の子よ。お主の星の力は、扱いが極めて難しい。己を律し、世界を読む“目”がなければ、いずれ呑まれる」
オズは言葉を挟まず、ただ静かに頷いた。
「……じゃが、今はそれでよい。その目は、よく働いておるようじゃ。嬉しい限りじゃよ」
そう言って、アトラスは少しだけ顔を上げた。
視線の先、部屋の中央には半球状に広がる台座があった。
大理石と金属が織りなすそれは、まるで巨大な時計機構のようでもあり──
「あれは?」
「“星見の台座”じゃよ。この天文台の中枢にして、我ら『黄道の十二宮』のすべてを観測する起点でもある」
「『黄道の十二宮』……?」
「俺たち“星”は全員、アトラスが率いるこの魔法師団に属するんだよ」
十二の星座を象った金属のオブジェクトが、円の周囲に均等に配置されていた。
そのうちのいくつかは、淡い輝きを放っている。
が、いくつかは鈍い金属のまま、光を持たなかった。
「この輝きは……?」
「星の覚醒者が現れれば、その星座に対応するオブジェクトが輝きを得る。……まだ光を持たぬものもあるが、それもまた時の流れよ」
その言葉のとおり、二つの星座が完全に沈黙していた。
だが、エルとオズが目を引かれたのは、別の三つだった。
一つは、半分だけが淡く光り、もう半分は闇のまま。
もう一つは、光とは言い難い、濁った色合いを脈打つように放っていた。
そして最後の一つは、かすかに明滅を繰り返し、今にも消えてしまいそうな儚さを抱えていた。
その三つの異常な“星”を前に、二人は言葉を失った。
胸の奥に、言いようのないざわめきと、不安だけがわき上がってくる。
「……気にせんでいい。まだ道半ばじゃ。困難はあろうが、それに立ち向かってこその星の子たちじゃろう?」
アトラスはそう言って微笑むと、二人に向かって手をかざした。
「今回は儂のほうで無理やり“干渉”させてもらった。次に会うときは、正規の手続きを踏むとしようかの」
ふいに、“天文台”の光が揺らいだ。
星々の輝きが渦のように収束し、視界が白く塗りつぶされていく。
「では、また会おう──星の子たちよ」
その声を残して、ふたりの姿は光の奔流に吸い込まれていった。
──気がつけば、ふたりは商業区の通りに立っていた。
目の前では、ぶつかりかけた通行人がまだ同じ場所にいた。
すぐ横には、焼き菓子の店の看板が揺れている。
時間は、一歩も動いていなかった。
だが、エルとオズの胸には、確かに“何か”が刻まれていた。
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次回更新は7/20(日)の20時頃となります!
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