第二章 第五節「継ぐ者たち」
「ふふん……どう? 似合うでしょ?」
陽の傾きかけた協会の扉をくぐりながら、オズから譲り受けたばかりのコルヌコピアを、マリア・クルスは得意げに肩へかけて撫でた。
銀細工の口縁には繊細な装飾が施され、管の先端には、花のような魔力石が咲くように嵌め込まれている。贈答品としても充分な逸品だ。
「……うん。でも、本当によかったの?」
エル・オルレアンが控えめに問いかけた。
その視線はコルヌコピアではなく、財布の中身を心配する子供のように、どこか申し訳なさげだった。
「まあ高かったけど……気に入ってもらえるなら本望だよ。商売人じゃないけど、選ぶ目には自信あるんだ」
オズワルド・ミラーが苦笑を浮かべながら、鼻梁を軽く指で押さえた。
その仕草は少し照れくさそうでもあり、心底満足そうでもあった。
「ふうん。じゃあせっかくだし、今夜の晩餐はあなたの奢りってことでどう?」
マリアは冗談めかして言い、くるりと踵を返す。
コルヌコピアの管が軽やかに揺れ、夕光を反射して虹のようなきらめきを放った。
「この辺りで、美味しい店ってある? ちゃんと座れて、お酒も悪くないとこ」
「はい。案内させて頂きます。王都よりは静かですが、味は保証しますよ」
オズはわずかに背筋を伸ばし、真面目な口調で応じた。マリアは「よろしい」と満足げに頷く。
だが、ちょうど協会の門を出ようとしたそのとき──
「──あの、失礼。少しだけ、お時間をいただけますか」
通路の向こうから現れたのは、灰色の装束に身を包んだ青年だった。
長身で、所作に一切の無駄がない。けれど声色は穏やかで、どこか柔らかささえ感じさせた。
「試技、拝見しておりました。どの方も印象的でしたが……とくにあなたの魔法には、強い意志を感じました」
その視線は、まっすぐにマリア・クルスへ向けられていた。
言葉に過剰な礼はないが、明らかに貴族のそれだった。
「ふうん。いきなり褒められるのって、どうにもくすぐったいのよね。あなた、何者?」
「…………?」
エルはその顔に、微かな既視感を覚えた。
だが記憶の底に沈んでいて、すぐには掬い上げられない。
「…………っ!」
沈黙を破ったのは、オズだった。
瞠目したまま立ち尽くし──やがて、深々と頭を垂れる。
「このような場でお目にかかるとは……! ユ、ユーウェイン殿下……!」
その名を聞いて、ようやくエルの記憶が結ばれた。
あの日──ガレオンに訪れた王族の列にいた、まだ幼さの残るあの少年。
十年の歳月は流れても、瞳の奥に宿る静かな強さは変わっていなかった。
ユーウェイン・ヴィクトリア。
この国、ヴィクトリア王国の第一王子。
外交顧問としても名を馳せる若き魔法使い。
彼こそが、マリアに声をかけたその人だった。
「今夜、昇格者を招いた晩餐が開かれます。マリア・クルス殿──あなたには正式にご出席いただきたく思います。そして……」
彼は視線をオズとエルへ向ける。
「本来なら、お二人をお招きする資格はありません。ですが、今回は少し融通を利かせました。……マリア殿、お一人ではあまり気乗りされないのではと思いまして」
「……ふうん。まあ、食事を奢ってくれるっていうなら、断る理由はないわね」
マリアの言葉に、ユーウェインは小さく笑みを浮かべた。
「では、こちらを。王宮へは距離がございますので──案内と移動の札です」
懐から取り出した薄紫の札を差し出すと、マリアは片手でひょいと受け取る。
「使い方はご存じですか?」
「平気よ。転送札くらい、昔からあるでしょ」
「それは失礼いたしました」
ユーウェインは穏やかに一礼し、場を後にした。
三人は顔を見合わせて、小さく頷く。
(……さすがに、分からないよな)
エルは胸の奥でそっと息をついた。
自分の素性にも、あの日のことにも触れられなかったことに、どこかほっとしていた。
六柱の塔の灯が、静かに夜空に滲んでいた。
その夜、王都の北西にある離宮では、夜会の灯がまばゆくともされていた。
円形の大広間には多くのテーブルが並び、貴族や魔法使いたちが思い思いの装いで談笑を交わしている。
空間に満ちる香水と料理の香り。
微細な魔力の粒子が装飾と調和し、淡く揺らめく光を演出していた。
その一角。
柱の陰に近い位置のテーブルに、マリア、オズ、エルの三人が腰を落ち着けていた。
「……やっぱり、断っとけばよかった」
葡萄酒を口にしながら、マリアがぼそりと漏らした。
「まあ、こういう会は向き不向きがありますから……」
オズは落ち着かぬ様子で周囲を見回していた。
ナイフとフォークを間違えぬよう細心の注意を払いながら、まるで試験の真っ只中のような顔つきだ。
だが──
「……あれ、エル。君、全然緊張してないの?」
と不意に隣を見て、ぽかんとした顔をする。
エルは静かに食事を口に運びながら、ひとときの味を楽しんでいるようだった。
「今日の主役は、僕たちじゃないし。誰も、見てないよ。ちゃんと食べて、失礼にならないようにしてれば大丈夫」
さらりとしたその言葉に、オズは言葉を失い──マリアがくすりと笑った。
「へえ。あんた、意外とテーブルマナーはしっかりしてるのね」
「……亡くなった母に、少しだけ教わってたんです」
少しの間を置いて、エルは答えた。
それ以上の詮索をさせないような、穏やかで淡い声だった。
マリアはそれを聞いて、葡萄酒をもう一口だけ飲んだ。
「……ふー。よし、お腹も落ち着いたし、そろそろ帰りましょっか。どうせなら静かなとこで、風でも浴びたい気分よ」
「はい、それがいいかと……」
オズが椅子を引こうとした、そのとき。
「──失礼いたします。少々、お時間をいただけますか?」
柔らかな声が、三人の背後からかかった。
マリアは振り向きながら、半ば呆れたように言う。
「……今度は誰よ」
視線の先にいたのは──一人の女性だった。
その立ち姿は、可憐でありながら不思議と凛としていた。
纏う空気は優雅で、場にいる誰よりも穏やかで、気品を持っていた。
銀糸を編み込んだドレスが、細やかに揺れるたび、まるで月光を孕んだ水面のように光を返す。
女性は静かに一礼し、名乗った。
「突然のお声がけ、無礼をお許しください。私──ウェンディ・ウィンクラウンと申します」
その名を聞いた瞬間、オズの表情が強張る。
「……ウィンクラウン……?」
かつてヴィクトリア王族の盾を務めた五大貴族。その末裔。
今はアスキス家の庇護下にあるとはいえ、名を聞けば誰もが振り返るはずの家柄。
そして、その当主本人が、目の前にいるなどとは──
「……本物、ですか?」
思わず漏れた問いに、ウェンディはふっと微笑んだ。
「はい。いまは名ばかりのものですが──それでも、私はこの名に責任を持たねばなりません」
その声音に、虚飾はなかった。
威圧も、気負いも、飾り立てた誇りもない。
ただ、静かな覚悟があるだけだった。
「……マリア・クルス様」
穏やかな声が、まっすぐに向けられた。
「あなたの昇格審査を拝見しておりました。魔法使いとして、そしてひとりのヒューマとして……あの場で見せられた意志に、私は深く心を動かされました」
マリアはやや驚いた顔で相手を見つめた。
「……私に?」
「はい。──ヴィクトリアでは、五大貴族の当主は、魔導師としての肩書きを持つことが義務とされています。私も、その一人として」
そこで彼女は小さく息を吸う。
「……ですが、魔法は不得手で。適性は地のみ、それもようやく基礎が扱える程度です」
淡々とした言葉の端に、ほんの少しだけ苦味がにじむ。
「父が急逝し、十九で家を継ぎました。政務の多くは他家へ……いえ、ほとんど全てを委ねるしかありませんでした。今は、アスキス家の庇護を受けて、文化職として働いています。今日、あの審査の場に立ち会えたのも、その仕事の一環です」
マリアは何も言わず、相手の目を見据えていた。
ウェンディはそれに怯むことなく、けれど少しだけ瞳を伏せた。
「……誰にも期待されず、ただ立っているだけのような日々でした。けれど、あなたは違った。周囲が言葉を飲み込む中、あなたは堂々と魔法で語っていた。……私には、それがまぶしかったんです」
「……なるほどね」
マリアはグラスを置き、椅子の背凭れに身を預ける。
しばし沈黙が続いたのち、ふいに口角を上げた。
「嫌いじゃないわ、そういうの」
ウェンディの表情がふっと緩む。そして、まっすぐに頭を下げた。
「僭越ながら……お教えいただけませんか。魔導師として、あなたから学べることがあるなら──それは、私にとって無駄ではありません」
マリアは視線を外し、肩をすくめた。
「……この国にいる間だけならね。一週間くらいの滞在よ。手続きが終わったら、さっさと戻るつもりだから」
「……はい。ありがとうございます」
その声は震えていたが、彼女の背筋は伸びていた。
エルは、そんなウェンディを見つめていた。
誰に理解されずとも、自分の居場所を守るために、ただ立ち続けようとする意志──かつて、自分がそうであったように。
今も、心のどこかで、そう在りたいと願っているように。
ここまで読んでくださって本当にありがとうございます!
次回更新は7/16(水)の20時頃となります!
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