第二章 第四節「昇格審査」
階段状の座席を埋めるように、ざわめきが満ちていた。
儀式の間の中央、魔法陣の内側に立つその人影に向けられるのは、驚嘆、畏敬、あるいは期待の入り混じった視線──
「いよいよ、マリア・クルスの番か……」
「『魔女の女王』の実力、見られるぞ」
「協会の試験を受けるなんて、何年ぶりだ……?」
そんな声が、抑えきれない熱気となって飛び交っていた。
試験官席には、魔法界でも名の知られた重鎮たちが顔を揃えている。
その中央──円卓の奥にあって、ひときわ存在感を放つ老賢者。
『会長』アスキス、その人である。
長い銀髪を後ろで束ね、魔法使いとしての威容を隠すことなく座していた。
その視線を正面から受けながらも、マリア・クルスはわずかに口角を上げ、無関心にも似た表情で魔法陣の中心に立っていた。
「はあ……やっぱり面倒」
呟きとともに、彼女の手元に生まれたのは、土の魔力。
淡く光を放ちながら、三つの土塊が立ち上がり、壁を成す。
右、左、そして中央に一つずつ。
続けて、マリアは両手を広げ、指先に火の魔力を集中させた。
ふわりと浮かび上がる二つの火球。
それを左右の壁に向かって同時に投げ放つと、爆ぜる音とともに土の壁が砕ける。
残された中央の壁。そこへ今度は、彼女の足元から鉄の魔力がせり上がる。
「──突き上げて」
小さな呟きとともに、鋭く尖った鉄の槍が地面から突き上がり、壁の中心を真っ二つに貫いた。
「……!」
観客席からはどよめきが起きる。
「さすが“女王”……」
「いや、彼女ならこれくらいは……」
試験官の一人が立ち上がり、試技の終了を確認しようとしたその瞬間──空気が震えた。
魔法陣の中心から、何か新たな“気配”が立ち上る。
ごうっ、と一陣の風が吹いた。
風は槍にまとわりつき、次第に竜巻のように形を変えていく。
「風、だと……?」
観客の声がまた一段高くなる。
「三つ目の元素魔法……!」
「本当に、三元の極に──!」
巻き上がる風が槍を浮かせ、そして──吹き飛ばした。
一直線に、まっすぐ、円卓の中央へ。 そこに座するのは、アスキス。
「危ない!」 誰かが叫ぶより早く、数人の魔術師が杖を構えた。
だが槍は、アスキスの目前でぴたりと停止する。 ──幻のように。
「……終わりよ」
マリアの静かな一言とともに、槍は音もなく霧散する。
警備の魔術師たちが彼女を囲む中、アスキスはわずかに手を上げて言った。
「杖を下ろせ。……彼女は、合格だ」
その言葉が告げられた瞬間、場内は再び大きく沸き立つ。
三元の極──その到達が、ついに眼前に迫っていることを、誰もが確信していた。
* * *
廊下へ出たオズは、胸の前で手をばたつかせるようにして、興奮を隠そうともしなかった。
対して、エルは静かに歩きながら頷いていた。
「……風の魔法は驚きましたけど、それ以外は、何度か見たことがあるので」
その言葉に、オズが思わず立ち止まる。
「おいおい、もっと喜べって! 三つの元素魔法を扱えて、さらに複合魔法も使えるなんて──それこそ魔導師でもほんの一握りなんだぞ?」
「……あの、複合魔法って、そんなにすごいんですか?」
素朴な問いかけに、オズは目を見開いた。
「当たり前だろ! そりゃ、魔導師なら複合魔法くらい使えて当然って言うけどな……元素魔法を二つ使うのと、二つの元素魔法と一つの複合魔法を使うのとじゃ、天と地ほども違うんだ」
言葉に熱がこもる。
「第一、三つ目の元素魔法にたどり着ける魔法使いなんて、百人に一人、いや千人に一人もいない。あの人はその数少ない例外なんだよ」
そんな熱量を横目に、エルはぽつりと口にした。
「……僕も、鉄の魔法が使えるんです」
一瞬、オズの足音が止まる。
「え? なにそれ、冗談……だよな?」
エルは首を振る。
「本当です。なら、見せましょうか?」
そう言って、エルが立ち止まり、手を掲げようとしたその瞬間──
「だめだめだめっ!」
オズが大慌てでその手を引き下ろす。
「ここでそんな軽々しく星を見せるんじゃないよっ!」
「え……?」
まるで何が悪いのか分からないといった顔で、エルは首をかしげた。
オズは額を押さえてため息をつき、少し声を落として言う。
「星もそうだけどさ、限定魔法ってのは秘匿性が高い魔法なんだよ。あまり大っぴらに見せびらかすようなもんじゃない」
「……そうなんですか?」
「そうに決まってるだろ? ……って、エル、もしかして知らなかったの?」
こくりと、エルは頷いた。
しばし呆然としたあと、オズはぽんと手を打ち、苦笑する。
「なるほど……だから、あんなに魔力がだだ漏れてたのか」
マリア・クルスが、儀式の間から静かに戻ってきた。
その足取りはどこまでも軽やかで、試技を終えたばかりとは思えないほどだった。
「風、驚いた?」
そう言って、エルの顔をのぞき込むように微笑む。
「……驚きましたけど。あんな槍を向けるような真似、しちゃダメですよ」
「大丈夫よ。あの狐目──私より全然強いんだから。あそこまでやっても、眉一つ動かさないのよ?」
肩をすくめて、冗談めかした口調。
と、一拍置いて──マリアの視線が、エルの隣へと流れる。
仕立ての良い深緑の外套に身を包み、髪を整えた金髪の青年が、見事なまでに硬直していた。
「で、そこの石みたいに固まってるのは……誰?」
エルが口を開こうとした、その瞬間。
「わ、わたしは……オズワルド・ミラーっ! ヴィクトリア南部出身の、し、商人です!」
どもりながらも、なんとか名乗る青年。
さっきまでの気さくな雰囲気はどこへやら、目元までこわばり、声まで裏返っていた。
マリアはじろりと、隣に立つ金髪の青年──オズを一瞥した。
そして、ふと何かに気づいたように目を細める。
「……それ」
視線が向いたのは、オズの肩から掛けられた鞄だった。
一見ただの革製の鞄。
だが、その口の縁には精霊金属の銀糸が縫い込まれていた。
魔力の反応に敏い者でなければ、見逃すような細工。
目利きでなければ見過ごしてしまいそうなそれを、マリアは見逃さなかった。
「それ、コルヌコピアじゃない? あなた、良い精霊工芸持ってるじゃない。ちょっと見せなさい」
「は、はいっ!」
オズはあわてて鞄を外し、両手で差し出した。
その様子を見ていたエルは、聞き慣れない単語を思わず反復する。
「……コルヌ、コピア?」
「エル。精霊工芸っていうのは、エルフたちが作る精霊魔法の込められた工芸品のことよ。普通の魔導具よりずっと扱いが難しいけど、そのぶん用途も幅広いの」
そう言いながら、マリアは受け取ったコルヌコピアの口を上に向ける。
先ほど貰ったばかりの認定証をクルクルとまとめると、口の上でゆらゆらと揺らした。
その直後、音もたてずに認定証は消えてしまった。
「今ので格納完了、ってわけ」
マリアはコルヌコピアを逆さまに、口を下に向けて揺らす。
先ほどの認定書は姿形を見せないままだ。
「……落ちてこない?」
「当然よ。これは、精霊魔法によって小さな異空間に繋がれている鞄なの。出すのも、しまうのも自由自在。もっとも、質の悪いものだといらないものまで勝手に出てきたりするけどね」
今度は口の向きを戻し、マリアは中に手を差し入れる。
何もないはずの鞄の奥から、するりと認定証を取り出すと、満足げに頷いた。
「ふふん。かなり上質な物ね」
その様子を、オズはまるで夢でも見ているかのような表情で見守っていた。
さっきまでの気さくな笑顔は消え、頬は強ばり、どこかこの場の現実感を失っているようだった。




