第一章 第一節「炎の導き」
滅国の七日間から、季節はいくつか巡りました。
星の痕を宿した少年エルは、自由すぎる案内人に連れられ、
霊峰の麓にある小さな村を訪れます。
そこで彼を待っていたのは、かつての英雄にして、今は籠居の魔女。
炎を司るその女性との出会いが、彼にとっての“導き”となります。
霊峰ジャバリ――
かつてガレオン皇国とリベルタ自由国家連邦とを隔てた自然の壁。
険しい尾根と深い渓谷は軍勢の往来を拒む。
その山容そのものが、国境線としての意味を持っていた。
だが今では、地図の上からその国境は消えている。
ガレオンの南部地方は、国の崩壊と共に吸収され、静かにリベルタの一部となっていた。
滅国の七日間から、すでに季節はいくつか巡っていた。
その麓、霊峰の斜面に抱かれるようにして、小さな村落があった。
石造りの屋敷と、修道院の名残を留める建物がいくつか点在する。
紅葉しかけた森が風に揺れ、上空には、かの山頂にそびえる白銀の礼拝堂――
魔法教会の総本山が、雲を越えてその姿を見せていた。
ここは、戦の記憶からも遠く離れた地。
だがその静けさのなかに、ひとつの新たな物語が、静かに芽吹こうとしていた。
* * *
門前に、ひとりの少年が立っていた。
細身の体躯に、艶のある黒髪。
幼さを残しながらも、その瞳の奥には、過ぎた日々を刻む影のようなものがある。
背後から、気さくな声がかけられた。
「よっ、元気してたか?」
扉が開く。
現れた女性は、その声に目を見開いた。
「……オリヴィア? ……あなた、本当に、あのオリヴィア・スカーレットなの?」
「そりゃ本物さ。びっくりした?」
軽い調子で肩をすくめる紅髪の女。
オリヴィア・スカーレット――自由気ままな風をそのまま纏ったような女。
彼女は、かつての妹弟子との再会を、まるで昨日の続きのように切り出した。
「何年も便りの一つも寄越さなかったくせに……いきなり来られても、びっくりするに決まってるじゃない」
マリア・クルスの声には、驚きと困惑が滲んでいた。
だが、それ以上に――目の前の少年に対する問いが、彼女の口からこぼれた。
「……待って、その子は?」
「エル・オルレアン。今日から、お前の弟子」
「……は?」
信じられない、というより――理解が追いつかないという方が近い。
オリヴィアの口から「弟子」という単語が出たことさえ、もはや事件だった。
「ちょっと待って! あなたから“弟子”なんて言葉を聞く日が来るなんて……しかも、教える相手が子ども?」
マリアの視線が、少年に向けられる。
その眼差しは鋭かったが、その奥に、かすかな違和感を読み取っていた。
「……その左手。まさか、“星”なの?」
エルの手の甲には、淡く光る紋章のような印が浮かんでいた。
「【獅子の星痕】」
オリヴィアが、低く呟く。
「こいつの魔力、冗談みたいに多いんだけどさ……たぶん、それの影響。 あと、こいつ、なぜか火の元素魔法が使えるんだ」
「元素魔法? 何でよ。だって、“星”って限定魔法なんでしょ?」
「それが、さっぱりわかんないんだわ」
エルを挟んだふたりからは、聞き慣れない言葉が飛び交う。
オリヴィアは、冗談のような笑みのまま、肩をすくめた。
「ただ、アトラスのじーさんがやたらとこいつを気にかけててね」
「アトラス・グリュンワルドが?」
その名を聞いた瞬間、マリアの表情が緊張に引き締まる。
「“星”なんて、私はあなたがそうだから知ってるだけ。でも……あれは、魔法の範疇じゃない。教えられることなんて――」
「教えられなかったのは、私も一緒。 いや、この数ヶ月、自由にやらせてみたんだけどさ……これが中々、難しいってのなんの」
オリヴィアは、目の前にいるエルの頭を小突いた。
少し間を置いて、言葉を継ぐ。
「だから、お前に頼みに来た」
マリアはしばらく黙り込む。
「……私は、人に何かを教える柄じゃないのよ。 ここに籠ってるのだって、私が魔法を極めるため。弟子なんて、そんなの――」
「うん、分かってるって。それでも、置いてくから」
あまりにも当然のように、オリヴィアは背を向けた。
「エル、こいつはアタシより怖えーぞ?……ま、灰になってなかったら、また会おう。じゃあな」
ひらりと手を振り、赤髪は去っていった。
振り返ることもなく、秋風の中へと溶けていく。
マリアはその背を見送りながら、何かを言おうとしたが――
結局は、溜息だけが出た。
「……勝手なんだから、本当に」
扉が、静かに開かれる。
「中に入りなさい、エル・オルレアン……あなたに素質があると言うなら、まずはそれを見せてもらうわ」
エルは無言で頷いた。
それは、まだ柔らかい少年の表情の奥に――
確かな覚悟の火が宿った瞬間だった。
霊峰の麓――静寂のなかに、ふたたび星の光が灯る。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます!
今回は、霊峰の麓で始まる“もう一つの出会い”を描きました。
星の力を宿す少年エル、そして霊峰の魔女マリア。
彼らの関係が、これからどのように変わっていくのか――その始まりの一節です。
次回からは、魔法とは何か、“星”とは何か。
世界の仕組みに少しずつ触れながら、物語の根幹に近づいていきます。
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次回は6月5日(水)に更新予定です!