第二章 第一節「魔法と海の国」
ヴィクトリア王国は、三つの島からなる海上国家である。
その中心に位置する本島――グラン=アルバースは、北の丘陵地帯と南の平原地帯に大きく分かれており、南側には、性格の異なる四つの行政区が並び立っている。
そのひとつ、ノースイースト・リム区と呼ばれる地にある大都市ガンドールは、魔法制度と学術研究の拠点として知られ、国内外から優れた魔法使いたちが集う「知の都」として、長い歴史を誇っていた。
そのガンドールの街に、ふたりの姿が現れた。
一人は黒髪の若い男。
魔術師としての名も実績も、まだ何ひとつ持たない少年だった。
そしてもう一人は、炎の魔女。
若くして高位の力を持ちながら、昇格を何度も拒み続けた“異端”の名は、この地でもよく知られていた。
* * *
まだ寒さの残る朝だった。
丘の上、小さな小屋の裏手にて、エル・オルレアンはひとり魔法の修行に打ち込んでいた。
両手を地に向け、意識を研ぎ澄ます。
足元の土がぬるりと蠢き、小さな壁となって立ち上がる。
地の魔法――いまだ習熟は浅いが、少しずつ形になってきた。
その土壁の上に、ふわりと郵便鳥が舞い降りた。
「……あ」
丸い身体に魔封紙を抱えたそれは、決して珍しいものではない。
だが、自分に届いた手紙が二通もあるなど、あまり記憶にない。
「ありがとう」
鳥に礼を告げて手紙を受け取ると、郵便鳥は一鳴きして空へと帰っていった。
小屋へ戻ると、マリア・クルスが椅子にもたれて本を読んでいた。
赤みがかった桃色の三つ編み髪を右肩に垂らし、濃紺のローブを纏ったその姿は、凛とした静けさを纏っている。
「マリアさんに郵便です。魔法協会から……」
「燃やしといて」
顔も上げずに即答だった。
「えっ」
「そんなもの、ろくな用じゃないのよ」
エルは言い淀む。二通のうち一通には、自分の名前が書かれていたのだ。
「あの……でも、もう一通は僕宛で」
「…………ちょっと見せてみなさい」
マリアが渋々手を伸ばし、エルの封書を受け取る。
さらりと文面を読み流し、目を細めた。
「へえ。『魔術師への正式昇格通知』だって」
「えっ……僕が、魔術師……?」
信じられないというようにエルが声を漏らす。
だが、手紙は確かにそう記していた。
リベルタ自由国家連邦における『霧誘竜 ネブ・マラク』討伐の功績を認め、正式に魔術師位階を授与する、という旨が魔法協会から伝えられていたのだ。
「よかったじゃない。行って来なさいよ」
「え、でもヴィクトリア王国って、確か……海の向こうですよね? リベルタからだと、ずっと北に」
「まさか……行ったこと、ない?」
「……はい」
その返事に、マリアはしばし黙った。
そして、手元の自分宛の封筒をひょいと拾い上げた。
「……私の手紙も、貸して」
破かれた封を開き、さらりと目を通す。
予想通りの文面だった。
三ツ星への昇格検査、またしても召集。
(……ああもう、何度送ってくる気よ)
この位階に何の意味があるというのか。
星の数がひとつ増えたからといって、自分の何が変わるのか。
魔女として評価されることに、誇らしさなど微塵もなかった。
むしろ、腹立たしい。決めつけられるようで、値踏みされるようで。
(でも……エルが“魔術師”って)
弟子のくせに、もう自分と星一つしか違わないという事実に、なぜか少しだけ癪も覚える。
(はあ、ほんと……)
ぐるぐると思考は巡った。
昇格検査など受けたくはない。
だが、エルをひとりで行かせるのも不安だった。
この国で、自分を知る者は少なくない。行けば、面倒もあるだろう。
けれども――
「……はあ。しょうがないわね。行くわよ、ヴィクトリア」
* * *
石畳の広場を、昼下がりの光が優しく照らしていた。
ガンドール――ノースイースト・リム区の区都にして、魔法協会本部を擁する学術都市。
エルにとっては初めて訪れるこの街も、マリアにとっては懐かしさすら覚える場所だった。
「それにしても、マリアさん」
周囲をきょろきょろと見渡しながら、エルが問いかける。
「魔法使いの“昇格”って、魔法協会と魔法教会、どっちが主導してるんですか? 今回みたいに、協会が検査するものなんですか?」
その問いに、マリアは肩をすくめて応じた。
「当然、協会よ。制度として“位階”を設けたのもあの組織。昇格の条件や試験内容も、ぜんぶ彼らが作ったの。教会はそういうの、興味ないから」
「興味ない……って、使徒とか、上位階級とかは?」
「“上からの選び”だけで十分ってこと。あの組織、神意に従うためなら人を燃やすし、社会の仕組み作りなんてどうでもいいのよ。現場の教育も、魔術体系の整備も、教会は協会任せにしてる。ずっとね」
エルはその言葉に小さくうなずいた。
「マリアさんって、協会も教会も嫌いですよね」
「当たり前よ」
きっぱりと返すその声に、毒気はなく、むしろ清々しいほどだった。
二人は通りを折れ、市場通りを抜けた先にある魔導書専門店へと足を運ぶ。
分厚い魔術書が所狭しと並ぶその店の前に立つや否や、マリアはため息をつきながら目を輝かせた。
「――ふふ、相変わらずいい本屋じゃない。ちょっと見ていくわよ」
そう言い残すと、彼女は店内へと吸い込まれていく。
エルも後を追おうとしたが、その前に何冊かの魔導書が書かれた看板に見入ってしまい、立ち止まる。
そのとき、不意に誰かと肩がぶつかった。
「あっ、すみません!」
慌てて顔を上げたエルの視界に、すらりと背の高い金髪の青年が立っていた。
柔らかな光を帯びる髪、整った顔立ちと、どこか気の抜けた笑み。
「おっと、大丈夫かい? 君、初めての魔導書店って顔をしてるな」
その声は、落ち着いた調子でありながら、どこか軽やかだった。
「え、はい。あの……すみません、急いでたわけじゃなくて」
「気にしないで。ここは本好きが時間を忘れて迷子になる場所だからね」
青年はにこりと微笑むと、軽く頭を下げた。
と、そのとき、店の奥から声が響いた。
「オズ、今日の荷物はこれで全部かい?」
店の奥から顔を出したのは、年季の入ったエプロン姿の男性だった。
どうやらこの店の主らしい。
「ああ、置き場はいつものところにしておいたよ。書き出しと伝票も一緒に」
オズと呼ばれる金髪の青年は軽く手を上げて応じた。
「助かるよ。あんたが来ると、魔道書の結界がよく整う。不思議なもんだねぇ」
「それはたぶん、品物のおかげだよ。俺はただの使いっ走りさ」
笑いながら肩をすくめると、オズは再びエルへと視線を戻す。
「じゃあ、またどこかで。今度は……もう少し静かなところで」
そう言い残し、青年は足早に店の奥へと消えていった。
「……誰だったんだろう、あの人」
不思議そうに呟くエルの背後から、マリアの声が飛んできた。
「エル、行くわよ。いい本がたくさんあったから、抱えて帰るの手伝って」
「え、そんなにですか?」
呆れつつも、エルは軽く笑ってマリアのもとへ向かった。
第二章は隔日20時頃の更新予定となります、どうぞお楽しみください!




