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亡国のステラリア  作者: 黒瀬 行杜
第一章
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第一章 第十二節「霧の中、炎は舞う」

白い霧に包まれた湖の町。

人々が眠りに落ちる中、静かに忍び寄る影があった。

エルたちは、ただの異常気象ではない何かを探るべく、町の中心へと歩を進める。

白い霧が、音もなく流れていた。

足元を撫で、壁を這い、視界を静かに蝕んでいく。


カルロ・ダ・ルスの町中へと足を踏み入れた一行は、慎重に歩を進めていた。


人気のない通りには、生活の痕跡だけが残されている。

開け放たれた扉、道端に転がる果物、風もないのに揺れる看板。


「……音が、消えてる」


クローチェがつぶやいた。

町の中心に近づくほどに、霧は濃く、空気は重くなる。


マリアは足を止め、視線を巡らせる。

霧の密度、肌を刺すような魔素の流れ、そして感覚の微細なズレ――

ただの気象現象ではあり得ない、と確信していた。


「この霧……ただの霧じゃないわ。エル、あなたはどう感じる?」


問いかけられた少年は、少し迷ってから答えた。


「息が浅くなる感じがします。魔力の感覚も、鈍くて……」


「うん、上出来」


マリアは軽く微笑むと、霧の流れを眺めながら指先をそっと掲げた。

掌に微かに集うのは、目に見えぬ粒子――魔素ネクト


「……やっぱりね。魔素が流れ込んでる。かなり濃く、ゆっくりと」


魔素ネクト……?」


隣のエルが小さく問い返す。

彼のように魔法の初歩を学び始めたばかりの者にとっては、

聞き慣れない言葉だったのだろう。

マリアはエルの疑問に答えず、今度はもう一人に視線を向ける。


「ベアトリクス、あなたは分かる?」


「はい」


ベアトリクスは即答した。


魔素ネクトとは、本来は純度の高い元素(マナ)――私たちヒューマにとっては毒のようなものとも聞きます」


「その通り」


マリアは微笑み、視線を霧の奥へ戻す。


「かつてこの世界には、魔素ネクトが満ちていた。 でも、神々の時代が終わり、神性が薄まった今では…… 魔素が自然に発生する場所は、ごく限られた秘境だけになったわ」


彼女の声は淡々としていたが、その中には確信があった。

この異様な濃霧は、何らかの強力な存在が魔素を放出している証――


「ただし、例外がある」


マリアは続ける。


「幻獣よ。神代の遺物とされる存在。世界を破壊し得るほどの絶望的な力を持ち、人が未だ攻略できない悪夢」


風もなく、霧だけが音もなく流れていく町の一角で、言葉だけが響いていた。


「幻獣は体内で魔素ネクトを生成し、それによって存在している。そして、その眷属である魔獣たちは、その恩恵を受けている」


少しの間を置いて、マリアは背後にいたクローチェを振り返った。


「この町に伝わる伝承を、教えてあげて」


クローチェは頷き、穏やかな声で語り始める。


「カルロ・ダ・ルスには、湖に棲む竜の伝承があります。“霧深い日にのみ姿を現し、人々を攫っていく”というものです」


「そう」


マリアの目がわずかに細められる。


「それが恐らく――今回の霧の正体。『霧誘竜 ネブ・マラク』。幻獣の一角、深海の主『黒蛇 ヘイダルゾーン』の眷属ね」


空気が、より重くなったように感じられたのは、気のせいではなかった。


* * *


濃霧の中、クローチェの足がふと止まる。

湿った空気の中で、白い霧が静かに流れていく。


その隣で、エルが少しだけ躊躇うように口を開いた。


「……あのさ、クローチェも星なんだよね?」


「はい、そうですよ。どうしました?」


クローチェは立ち止まったまま、霧の向こうを見つめながら、エルの方をちらりと振り返る。


「いや、クローチェが治癒魔法(サンクティス)の専門家だってマリアさんから聞いて……でも、僕たちって“星の魔法”しか使えないんじゃ……?」


「ふふ、それ、ちょっと気になりますよね?」


クローチェはくすっと笑いながら、胸元にそっと手を当てた。

少しだけ得意げなようにも見える。


「えっとですね、まず、普通の魔法って“元素(マナ)”を使うのはご存じですよね?」


「うん、それはマリアさんから教わった」


「で、星の魔法って、その元素とあんまり相性がよくなくて……星の力って強すぎるから、ぶつかるとすぐ暴走しちゃうんです」


クローチェは少し困ったように笑った。


「だから、私たちは基本的に、いわゆる普通の魔法は使えないんです。でも、治癒魔法(サンクティス)はちょっと別で――」


彼女は指先を胸元から外して、エルの方へ向き直る。


治癒魔法(サンクティス)はね、その人の中にある魔力とか生命力に直接働きかけるの。外からじゃなくて、中から整えるみたいな。だから、元素(マナ)を通さないんですよ」


霧の中、クローチェの声は優しく響いた。


「……なるほど。元素(マナ)には触れないから、星の力でも干渉しないんだ」


「はい、たぶんそういう理屈だと思います。お姉ちゃんみたいに難しいことはよく分からないですけど……」


彼女はちょっと照れたように笑いながら、小さく肩をすくめた。


「でも、私はね、治す魔法って優しい力だと思ってるんです。だから、星に目覚めた私たちでも……神様は、それくらいなら許してくれるんじゃないかなって」


その言葉に、少し離れていたベアトリクスが、ふと息を呑んだ。

まるで胸の奥を小さく撫でられたような――そんな、温かくて切ない何かがそこに残った。


「……クローチェさんって、ほんと、すごいです」


ぽつりと呟くその声には、敬意と、わずかな憧れの色があった。


マリアは、そんなふたりのやりとりを見て、口角をわずかに上げる。

からかいも、茶化しも浮かばなかった。

ただ、その妹が話す言葉の重みを、まっすぐに受け止めていた。


「……ったく、そういうとこ、ほんとずるいのよ」


小さくつぶやくその声音には、いつもの軽さはなかった。

けれど、それはきっと――誰よりも、クローチェの優しさを知っている者の言葉だった。


静けさがふたりのあいだに落ちた。

霧が流れ、わずかな風が地をなでていく。


その言葉が終わるか終わらないかのうちに、クローチェがぴたりと立ち止まる。

彼女の目が霧の奥をとらえ、小さく息を呑んだ。


「お姉ちゃん……ここに誰か、います!」


クローチェの声が、建物の陰から響いた。

彼女は町角の小さな家屋の前に立ち、半ば開いた扉から中を覗き込んでいる。


マリアとエルが駆け寄ると、薄暗い室内には三人の男女が倒れていた。

床に横たわる彼らは皆静かに目を閉じ、浅く規則的な呼吸を繰り返している。


「昏睡……でも、自然な眠りじゃありません」


クローチェが眉をひそめる。


魔素ネクトに包まれてる。深く、深く沈んでいる感覚がします」


彼女はそっと手をかざし、治癒の魔法を発動した。

淡い光が静かに室内を照らす。だが、眠りに沈む者たちに目立った反応はない。


「このままじゃ……目を覚まさないかもしれません。助けるには――」


そのときだった。風が、霧の帳を揺らした。


「下がって!」


マリアの叫びよりも早く、上空から黒い影が急降下する。

霧を裂いて現れたのは、黒く細身の身体に鱗を持つ飛竜――

その爪が、クローチェの頭上を狙って閃く。


鋭い爪がクローチェをかすめる、その刹那。

マリアは片膝をつき、左手を地面に当てる。


「クローチェを狙うなんて……いい度胸してるじゃない!」


その瞬間、足元の石畳がうねり、濃霧を割って土壁が隆起した。

突如現れた壁は下から勢いよく小型竜を突き上げ、空中で体勢を崩させる。

立ち上がったマリアは、今度は右手を前へと構える。

炎の奔流が掌に渦を巻き、徐々に赤熱の球体が成型されていく。

彼女は左手を添えるように右手の甲に当て――次の瞬間、音もなく火球が走った。


それはまるで命を帯びた光の矢。突き上げられた小型竜の腹を、真芯から貫いた。

竜が苦悶の声を上げる間もなく、もつれた羽音とともに地面へ墜ちる。


「エル! ベアトリクス!」


マリアが振り返り、二人に向けて叫んだ。


「……気が変わった。よく見てなさい」


彼女の瞳には、これまで見せたことのない怒気が宿っていた。

その熱に、エルは思わず固唾を飲む。


「この数……一体じゃないわね」


霧の奥。

ぼやけた白い帳の中から、いくつもの影が揺れている。

ひとつ、またひとつ――細身のシルエットが霧から滲み出るように浮かび上がってくる。


「ジャバリの小型竜(ワイバーン)……!」

 

ベアトリクスが息を呑むように言った。


「こんな低地に現れるなんて……!」


本来、霊峰ジャバリの高地にしか現れないはずの竜たち。

それがなぜ、こんな町に――答えはまだなかった。

けれど、迫る危機はすでに目の前にあった。


「魔獣の狩り方――見せてあげるわ」


マリアはひとつ、深く息を吐く。


「しっかりと目に焼き付けなさい。これは、生きるための戦いよ」


次の瞬間、炎が渦を巻きながら彼女の周囲を駆け巡った。

風がそれに呼応するように唸りを上げ、赤熱の気流が空気を裂く。

マリアは、その灼熱の中心に、静かに立っていた。


白い霧に包まれた町で、赤い光が咆哮を上げた。

魔女の女王(クイーン)』が舞う刻。霧の中に、戦の始まりを告げる閃光が走る。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

今回は、異変の正体が少しずつ明かされ、初めての“実戦”が幕を開ける回でした。

戦うマリア、そして動き出すエルとベアトリクス。それぞれの想いと立場が交錯し始めます。

次回、いよいよ霧の中での戦闘が本格化していきます。どうぞお楽しみに!

次回は6/27(金)12:00頃の更新予定です!

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