第六章 第二節「夢で見ていましたよ」
一行が真っ先に向かったのは、街の南側に広がる港だった。
大河がそのまま海へと注ぎ込む河口一帯は、そのまま天然の良港になっている。
沖には大小さまざまな船が浮かび、岸にはいく本もの桟橋が、蒼い水面へ伸びていた。
視線をさらに先へとやれば、水平線の向こうに、薄く霞んだ陸影が見える。
大陸とヴィクトリアを隔てる海――蒼茫海。
このサン・リュシアンからは、ヴィクトリア王国の本島――グラン=アルバース島へ渡る定期船が出ている。
行き先は、島の南西側にある港湾都市スワンポート。
「ええと……ヴィクトリア行きは――っと。今日はもう終わりか」
掲示板の時刻表を眺めていたオズが、肩をすくめる。
「次の便は、明日の朝だな。ここからスワンポートまでは、だいたい四時間程度ってところだ」
そう言いながら、オズは手元の乗船券を二枚、エルとジゼルにそれぞれ手渡し、残りの一枚を懐にしまった。
「え、四時間も……?」
ジゼルの表情が、ほんのわずかに曇る。
「どうしたの、ジゼル?」
エルが首を傾げると、ジゼルはふいと視線をそらし、口をとがらせた。
「何でもない」
ぶっきらぼうな返事。
その横で、オズがニヤニヤしながら口を挟む。
「ジゼル、お前まさか……船、怖いのか?」
「はあ?」
次の瞬間、ジゼルの踵が迷いなくオズの脛にめり込んだ。
「いってぇっ!」
「うるさい! 怖いわけないじゃない! ただ……」
「ただ?」
悶絶しながらもオズが身を乗り出し、エルもつられて聞き返す。
ジゼルは、しばし逡巡したあと、小さく息を吐いた。
「……初めて、なのよ。海の上も、船に乗るのも」
「あ」
エルは思わず声を上げた。
「そうか。ジゼル、内陸育ちだもんね」
「悪い?」
「ううん、全然。そうだね……」
エルは、蒼茫海へとつながる水面を一度見やり、それから笑った。
「大丈夫だよ。僕も、ヴィクトリアを出たときが初めてだったから」
「アンタも? 怖くなかったの?」
「うーん……思ったよりは、かな。どっちかっていうと、行きの方が怖かった」
脳裏をよぎるのは、リベルタから飛び立ったあの日のことだ。
魔法使いとしての師であったマリア・クルスのボロボロの箒に、二人乗りでまたがって、夜の空を横切った。
あれから、もう一年も経つ。
「そう……アンタが大丈夫なら、私も大丈夫よね?」
ジゼルが、どこか開き直ったように言う。
「うん。意外と、潮風が気持ちよかったと思うよ。海の匂いも、嫌じゃないし」
その会話を聞きながら、地面に座り込んで脛をさすっていたオズが、ようやく立ち上がった。
「さて、と。まずは宿の確保だな。魔術師団設立まで、あと一歩だ。今日はパーッと行こうぜ?」
「モジャは野宿よ」
即答。
「何でだよ! さっきの蹴りでチャラでいいだろ!」
「うるさい。明日、海に落とされたくなかったら今日はしっかり反省すること」
「理不尽すぎる!」
港に吹く潮風の中で、オズの情けない声が、波音にかき消されていく。
エルはそんな二人を横目に見ながら、もう一度、蒼茫海の方へと視線を向けた。
明日、この海を越えれば――そこはヴィクトリア。
魔法使いの国で、僕の、そして彼らの新しい「居場所」を手に入れるための戦いが始まる。
その現実が、ようやく胸の奥で、確かな重さを持ち始めていた。
* * *
宿を探すため、一行は港からサン・リュシアンの中心部へと戻っていた。
石畳の坂道を上り、露店と巡礼者で賑わう通りを抜けると、小さな広場に出る。
その片隅――つい先ほどまで見てきた錆びついた線路とはまるで別物の、真新しいレールが敷かれていた。
「お、ここが駅か」
オズが足を止めて、掲げられた案内板を見上げる。
「“サン・リュシアン発、ヴェルメイユ行き直行便”……だとよ」
白い板には、黒々とした文字でそう記されていた。
「ヴェルメイユ……それがレガリアの新しい首都、か」
エルもその文字を目で追いながら、思わず呟く。
「大都市同士を繋ぐ新しい“足”ってのは、確かに大事かもしれんがな……」
オズがぼそりと続ける。
エルの脳裏に、この街に辿り着くまでの道のりがよみがえった。
まだ焼けたままの村。
瓦礫だけが残された集落。
線路がねじ切れたまま放置されたままの廃都市。
(こうして真っ先に繋がるのは、やっぱり“大きな街”なんだな)
「でも、ヴィクトリアとクライセンに近くなったから、安全にはなったのかもね」
エルは、どこか他人事のような口調で言った。
レガリア共和国という“新しい国”は、もはや自分の知っているガレオンではない。
滅んだ故郷の続きというより、別の国が同じ土地の上に立っている――その感覚の方が近かった。
だからこそ、ほんの少し引いた位置から、こうして眺めてしまう自分がいる。
「列車より、今の私が気になるのはあれよ」
ジゼルの声に顔を上げる。
彼女の視線の先には、サン・リュシアンの象徴――巨大な大聖堂があった。
白い壁と尖塔が、夕刻の光を受けて淡く染まっている。
複雑な装飾を施された正門。
その上には、祈りを捧げる聖人の彫像と、金色の鐘楼がいくつも並んでいた。
滅国のさなか、金竜の炎に焼かれなかったという“奇跡の聖堂”。
「サン・リュシアン大聖堂……」
エルは、白い尖塔の群れを見上げながらぽつりと口を開いた。
「かつて勇者と共に魔王と戦った僧侶リュシアン。……その人が生まれて、最後に帰ってきて死んだ地が、ここだって聞いたことがある」
「リュシアンって言ったら、あれだろ」
オズが腕を組む。
「魔法教会を作った大僧侶。霊峰ジャバリで神学校を開いて、そのあと“教会”に変えて……亡くなった勇者を弔ってからは、教会から離れたっていう」
「うん。そして、余生を過ごすために戻ってきたのが、この南西部なんだって」
エルは頷く。
「リュシアンの眠る地が、今のサン・リュシアン。だからここは、聖人の街って呼ばれてる」
「ふうん……」
ジゼルは短く相槌を打つと、くるりと踵を返した。
「だったら、ちょっと見に行きましょうよ。どうせ宿もその辺りの方が、治安はいいでしょ?」
「まあ、確かにな」
オズが苦笑する。
「聖人様の目の前で悪さできる奴は、そうそういないだろうしな」
三人は、鐘楼を仰ぎ見ながら、大聖堂へと続く石畳の参道へ足を踏み入れた。
* * *
大聖堂の正面に立つと、その迫力はいっそう増した。
「間近で見ると、随分大きいな……」
オズが思わず見上げながら呟く。
「僕も、ここに来たのは初めてだけど……すごいね」
エルも同じように首を反らし、白い壁と尖塔の高さを目で追った。
「あの彫像、腕のいい石工ね……使ってる石は何かしら」
ジゼルは、正門上部に並ぶ聖人像をじっと見上げる。
衣のひだや指先の表現まで、遠目にも分かるほど繊細に刻まれていた。
三者三様に、大聖堂の威容に圧倒されていると――
ちょうどそのとき、分厚い扉がきぃ、と音を立てて開いた。
中から、一人の修道女が姿を現す。
白いヴェールに、きちんと糊の利いた修道服。
胸元には、魔法教会の象徴たる紋章が、ささやかに光っている。
「まだ、中見られるのかな? ちょっと聞いてくる」
オズがそう言って、小走りに修道女へと向かった。
しかし、数歩進んだところで、ぴたりと足を止める。
「……え?」
驚いたように目を見開き、オズは振り返った。
「エル! ちょっと来てくれ!」
「えっ?」
呼ばれて、エルも慌てて駆け寄る。
「どうしたの、オズ?」
「あの修道女……まさか……」
オズが、そっと顎で彼女を示す。
白いヴェールの隙間から、ちらりと覗く髪。
赤みを帯びた桃色――どこかで見覚えのある色。
(この色……)
エルの脳裏に、赤みがかった桃髪の魔女の姿がよぎる。
「いや、でも……」
年頃も違う。
雰囲気も柔らかい。
そう思ったそのとき、修道女がこちらへと振り返った。
ぱっと花が咲くような笑顔が浮かぶ。
「お久しぶりです、エルさん」
柔らかな声だった。
「ふふ、こちらにいらっしゃるのは、夢で見ていましたよ」
「あ……クローチェさん!」
エルは思わず、その名を呼んでいた。
ヴェールの下からこぼれる桃色の髪。
姉よりも明るい緑の瞳は柔らかい目つきではあるが、それでもよく似た面差し。
“魔女の女王”マリアの妹にして、エルに洗礼を施した修道女――
クローチェ・クルスが、そこに立っていた。
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次回更新は1/19(月)20時頃の予定です!
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