第五章 第二十六節「僕なんか」
アンシャン・ド=ロワの南。
かつて帝都と呼ばれた街――ロワイヤル。
その中心に、今も黒い影だけを残す皇城の廃墟がある。
塔は折れ、壁は穿たれ、石畳には竜の爪痕のような溝が走っていた。
滅国の炎から幾年が過ぎても、そこだけは時間の流れを拒むように、焼け跡のまま沈黙している。
「――あれ、二人でいるなんて珍しいね」
崩れた回廊に、軽い声が響いた。
『災厄』クルエル・サヴァン。
その視線の先には、瓦礫に寝そべる『太陽王』ソウラ・レイ。
そして、その側で脚を組んで座る『妖精女王』ティターニアの姿があった。
ソウラは片腕を枕に、目を閉じたまま動かない。
ティターニアだけが、いたずらを思いついた子どものような笑みを浮かべ、こちらを振り向いた。
「うふふ。どうしたの、その恰好? とっても不細工よ」
からかうように言う彼女の前で、「男」は肩をすくめた。
腕には小さな木箱。
くたびれた外套に、旅慣れた革の鞄。
その姿は、つい先ほど湖の街でエルがぶつかった、あの旅の商人そのものだった。
「ああ、ちょっとね。直接、会ってみたくなって」
男は自嘲めいた笑みを浮かべると、自分の頬を指先でつまんだ。
べり、と皮が剥がれる。
中から現れたのは、見慣れた白い顔。
『災厄』クルエル・サヴァン本来の姿だった。
「直接って……ああ、獅子宮の子ね!」
ティターニアがぱっと目を輝かせる。
「どうだったの?」
「そうだね」
クルエルは小さな木箱を軽く持ち上げた。
「色々と秘密を抱えていると思ってたけど――もう一つ、おまけも手に入れていたよ」
「おまけ……?」
妖精女王が小首をかしげる。
その問いを、寝転んだままの太陽王の声が遮った。
「お前の行った先、湖の辺りか?」
ソウラ・レイが片目だけを開ける。
顔は向けないまま、鼻先だけで空気の流れを嗅ぐように。
「魔力がぶつかってるな。上と下で、二つ、三つ……いや、もっとだ」
自分の話を遮られて、ティターニアは不満げに頬を膨らませた。
「そうだね。興味は湧いたかい?」
クルエルが楽しそうに問いかける。
「いいや。どっちも不味そうだ」
ソウラはぐっと右腕だけを持ち上げた。
指先でくる、と空をなぞると、そこに一本の槍が現れる。
星槍。
槍身に宿る光が、廃墟の闇を一瞬だけ刺し貫いた。
「それよりよ、クルエル」
「何だい?」
「あそこに星があるなら、もっと手っ取り早く手に入ったんじゃねえのか」
「ああ、星紐のことを言ってるのかい?」
クルエルはあっさりと頷いた。
「確かに“あれ”は星だけど」
「今はまだ――眠ったまま、だものね」
ティターニアが口を挟む。
太陽王は舌打ちした。
「お前には聞いてねえよ、羽虫」
「羽虫なんて失礼しちゃうわ! これだから戦闘狂は……」
ティターニアが肩を怒らせて立ち上がる。
薄い羽根が、ぷるぷると抗議するように震えた。
「それ褒めてるのか? 気持ち悪い」
ソウラは相変わらず寝転んだまま、欠伸混じりに言い返す。
「褒めてなんかないわよ!」
ぎゃあぎゃあ言い合うふたりを、クルエルは小さな木箱を抱えたまま、にこにこと眺めていた。
まるで、よく出来た玩具の動作確認でもしているかのような、楽しげな目だ。
やがて、ティターニアはふいと太陽王から顔をそむけ、改めて『災厄』の方へ向き直る。
「――で、どうするの、クルエル?」
翡翠の瞳が、わずかに細められた。
「あの星を目覚めさせられるのは、“茫洋の主”だけよ」
「大丈夫」
問われたクルエルは、あっさりと答えた。
指先で木箱の蓋をとん、と軽く叩く。
「天蠍が僕たちの下に来てから、彼はより用心深くなった。そう簡単には姿を見せないけど――」
そこで言葉を区切り、にたりと笑う。
「今回ばかりは、さすがに出てくるはずだよ」
廃墟の闇を、ひゅうと風が抜けた。
遠く、湖の方角でぶつかり合う魔力の波が、大きく形を変える。
「さあ、行くよ、二人とも」
クルエルはくるりと踵を返した。
「さっきまでいたんだから、待っててもよかったのに。寂しかったの?」
ティターニアが肩をすくめる。
「いいや。君たちを“待つ”なんて、僕にはとても出来ないよ」
クルエルは小さく笑った。
「もし来なかったら、僕なんか――すぐに殺されちゃうからね」
ソウラはめんどうくさそうに息を吐きながらも、片腕を支えにゆっくりと身を起こす。
ティターニアはふふんと鼻を鳴らし、色とりどりの光の粒を撒き散らしながら、軽やかに宙へ浮かび上がった。
* * *
セリューヌの湖面が、ぐらりと揺れた。
次の瞬間、水が空へ向かって噴き上がる。
細く伸びた水柱が二本、夜の湖の上に立った。
一本は崩れかけた城壁の脇へ弧を描き、砕けた石組みを包み込むように巻きつく。
水の鞘に覆われたそこだけが、辛うじて形を保っていた。
もう一本は、まっすぐオンディーヌの眼前まで飛来する。
そして、内側から淡く光を灯す。
湖の魔女は、一歩前へ出ると、ためらいもなくその水柱へ腕を差し入れた。
冷たさが、肘の奥まで一瞬で駆け上がる。
次いで、水がほどけていく。
薄い膜のように剥がれ落ち、滴となって床へ吸い込まれていった。
残ったのは一本の杖だった。
細くしなやかな白銀色の杖身は、オンディーヌの肩に届くほどの長さがある。
先端には、深い湖の色を閉じ込めたような青い宝玉がひとつ――
その周囲を、金色の鉄の帯が幾重にも巻きつき、逃がすまいと締めつけていた。
それは、湖底に沈められていた鎖を、そのまま引き上げたかのようにも見えた。
オンディーヌは、水滴の残るその杖を、愛おしげに胸元へ抱き寄せる。
群青の瞳に、かすかな熱が灯った。
「殿下……私に殿下を傷つけさせないで下さい」
「私は殿下の骸すら愛せますが……下で控えるお連れの方が倒れれば、心変わりしてくださいますか?」
「そんなこと……絶対にさせない!」
オンディーヌが杖を振るう。
宝玉の先に水流が集まり、エルを目がけて放たれる。
エルは後方に飛び、水流を避けたが、狙いは別にあった。
水流が星紐を攫って、流す。
「支配の紐はこういった使い方も出来るのです」
そのまま下の石廊に放流され、星紐がド=ロワの人形――マクシミリアンの上を舞う。
星紐が青白い光を放ち、死体を動かしていた黒い塊に絡みつく。
ジゼルに切り裂かれた身体は無理やり繋がれる。
切り裂かれた胸の継ぎ目から、青白い光と黒い糸が噴き出し、肉と骨を無理やり押し広げていく。
星紐の魔力が注がれた身体は膨張し、巨大になる。
石廊がぎしりと軋み、足元の石にひびが走った。
「星……! なんでこんなところに……!」
オズが目を見開く。
マクシミリアンだったそれを睨み、そして崩れた城跡にいる魔女に視線を移す。
(次から次へと星が集まってる……星の儀は本当に……!)
オズが思案していたその一瞬。
星紐で縛られた巨大なマクシミリアンが湖面を掴む。
掴まれた湖は巨大な水の剣となり、石廊ごと斬り落とさんと振り抜かれた。
「あっ……」
レメンティアを構える隙もないうちに、水の剣はオズを襲う。
「ボサっとすんな!」
ジゼルが無理やりオズを掴んで、そのまま大きく飛ぶ。
オズの足元、石廊の足場は崩れ、湖に沈んでいった。
「す、すまん……助かった!」
「ったく、死体を弄ぶってだけで萎えてるのに……さて、どうしてやろうかあのデカブツ」
ジゼルは目の前のそれを見つめる。
そして、一瞬だけ廃城に目を向ける。
「エル! 説教は後よ! そっちは自分でどうにかしなさい!」
その声を後ろに聞き、エルはその場で頷く。
「……ありがとう、ジゼル。それにオズも」
デネボラの指輪は黒く染まったまま。
しかし、獅子の星痕はその黒を上書きするような白い光を放っていた。
「私の殿下に向かって馴れ馴れしい……あれは、何なのですか?」
オンディーヌがエルに杖を向けたまま呟く。
嫌悪が混じった怒り。
「この城も暴かれたなら……全て、この湖に沈めて差し上げましょう」
オンディーヌの杖が深い青に染まる。
廃城、そして石廊が揺れる。
津波のように立ち上がった水が、廃城だけでなく、石廊ごと呑み込もうと迫ってくる。
「オンディーヌ……僕はあなたを止める!」
エルが左手をかかげる。
獅子の星痕から零れた光は、黒く染まった指輪を包み、そして、真紅を取り戻した。
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